閃く、目眩めくるめ



「……、あ~~」
 黒いベッドの上にぼすんと落とされて、迅は小さく呻く。この個室には勿論迅しかいないから、その声は静かにトリオンでつくられた壁に吸い込まれていくだけだ。腹の中で渦巻くぐるぐるとした気持ちは、負けたことに対するものが半分、別のものがもう半分。どうしたもんか、と思う。見なかったふりをしたいと思っていたのに、その感情は日に日に誤魔化せなくなってきている気がした。
 手の甲を額に当てると、自分の肌の温度がいやに高く思えた。実際はトリオン体なので、体温を擬似的に再現しているだけのものであるはずなのだけれど。
(や、……ないない、そんな)
 戦っていて一番楽しい相手。それは間違いない。今だって、負けたことは悔しくてたまらないが本当に楽しかった。こんなにヒリヒリとして、同時にこんなにもわくわくと気持ちが疼いて、お互いに全力をぶつけ合える相手はあの人しかいないともう何年も前から知っていた。
 あの人とはただただそんな関係――最高の好敵手ライバルで、信頼の置ける同僚で、友人、あるいは悪友のような――そんな関係性であることに一ミリも疑いはなかった。これからも無いはずだったのに。
 刃を合わせて誰よりも近づいた瞬間の彼のその表情に、弧月を操るそのしなやかな体に、いやに色気のようなものを感じてしまっただなんて。
 戦闘欲とは別の欲が頭を掠めてしまっただなんて。
 ドアが開かれる音がして迅は目を見開いた。はっとして慌てて上半身を起こすと、今まさに脳裏にいたその男がにやにやと嬉しそうなのを隠そうともせず迅を見る。
「よお、今日は俺の勝ちだな」
「……そうだね」
 迅が眉根を寄せているのを、悔しがっているせいだと思ったのだろう。勿論それもあるけれど。太刀川は笑みを深くして、迅が座っているベッドの方に歩いてくる。見た目も実際の年齢も出会った頃より随分大人になったというのに、太刀川は時々――殊、迅が絡むと、いやに子どもっぽくなる瞬間がある。
「拗ねるなよ、迅」
「拗ねてないって」
 楽しげに迅の顔を覗き込んだ太刀川の顔が近くて、妙に動揺してしまう。さっきまであんなことを考えていたからだ。だというのに、自分の目は太刀川の口元をとらえてしまってダメだった。思わず口の中に溜まった唾をごくりと呑み込む音がいやに自分の体の中に大きく響いた気がして動揺した。
「ま、そろそろブース閉まるし、メシでも行こーぜ」
 太刀川はそう言ってあっさりと迅から体を離して換装を解く。いつもの意外とかっちりとしたシャツにジャケット姿で迅にひらりと背を向ける。
(そんなの、ない、はずなのに)
 自分の感情を否定したいのに、自信を持って否定しきることができない。戦闘中の昂ぶりのせい、自分の中のバグみたいなものだと思っていたのに。うそだろ、太刀川さんだよ、と自分の頭の中の冷静な部分が思うけれど、生身のその手に手を伸ばしたいという気持ちにさせられてしまった。
 なかなか動こうとしない迅に気付いた太刀川が振り向く。
「迅?」
 太刀川は、いつもの凪いだ瞳で迅を見つめて待っている。
 そんな顔でこちらを見ないでほしい、と自分勝手なことを思った。この自分でも置き所の分からない感情をそのままぶつけても、それでもこの人は受け止めてくれるんじゃないかなんて、そんな期待をしてしまいそうになるから。




(2022年2月5日初出)







close
横書き 縦書き