滲んで蕩ける夜のこと
驚いて思わず動きを止めてしまうと、緩慢な仕草で太刀川が視線を動かす。赤く上気した頬、荒くなった呼吸、汗で貼り付いた前髪。――そして普段よりももっと焦点の分かりづらく蕩けた瞳は、水の膜を張って今にも零れ落ちそうに潤んでいた。
動揺と興奮が、同じだけの強さをもって迅の頭を揺らす。思わず喉を鳴らしてから、慌てて意識してゆっくり息を吐いた。そんな迅を見る太刀川は、不思議そうな声で「迅、……?」と名前を呼ぶ。事の最中、それも激しい律動の最中に急に動きを止めたのだから不思議に思うのも当然だろう。高められた太刀川の性器は腹につくほど反り返って、先走りを零しながら次の刺激を待っている。呼吸の度に上下するきれいな腹筋は、何度も吐き出した自身の精液でとろとろと濡れていた。
「太刀川さ、ん」
そう言う自分の声は掠れていた。
「だ、いじょぶ? きつい?」
冷静に、と心の中で言いながら言葉にしたら、自分の声色がいやに情けなくて恥ずかしくなった。だってこんな太刀川を見たことがなかったから、どうしたらいいか分からなかったのだ。
太刀川がこんな風に目に涙を浮かべる姿なんて、迅はこれまで一度も見たことがなかった。
太刀川さんって、泣くのか、なんて言葉にしてみたらなかなかひどいような感想を抱いてしまう。けれどそれだけ、太刀川と涙というものが迅の中であまりに結びつかなかったのだ。どうしたのだろうか、無理させてしまったのではないかという心配と動揺で指先が冷えるのに、見たことがない太刀川の姿と色気に衝動にも似た強い興奮を抱いてしまう自分に呆れてしまう。心臓がばくばくと音を立てていた。今日は久しぶりの逢瀬だということもあって、普段以上に自制がきいていなかった自覚もあった。
無理はさせたくない、痛い思いはさせたくない、大事にしたいという思いも、もっとこの人の知らない顔を見たい、ぐちゃくちゃにしたい、全部おれに見せて欲しいなんて思いも両方が自分の中で渦巻いて、自分でも手綱を握るのに必死だ。
そんな迅を見る太刀川は、ぱちくりと目を瞬かせる。潤んだ目が一度瞼に覆われて、再び迅を見る。睫毛に小さな水滴がついて、部屋の照明の薄明かりに反射して淡く光った。
「……あー、これか?」
ようやく合点がいった、というような表情になった太刀川が雑に自分の目元を拭った。今にも零れそうだった水気が幾分減った目が迅を見て、「滲んで見づらかったんだよな」なんてあっけらかんとした様子で言う。
「勝手に出てきただけだから、大丈夫だぞ。きつくないし、気持ちいいから」
太刀川の言葉に自分でもびっくりするくらい安堵して、それが表情にも出ていたのだろう。太刀川に「こーいうときわかりやすいのな、おまえ」と小さく笑われた。その拍子に中が小さくきゅうと締まって、迅が思わず「っ、あ……」と声を零してしまう。中にいる自身もわずかに熱を増したせいで、太刀川も体を震わせた。
「ん、……っ、気持ちよすぎて出てきたのかも、な」
今日すげーいいから、なんて甘さの滲んだ声で言われてしまえば、ずっとぎりぎりだった理性がいよいよ持ちそうにない。心臓がぎゅっと音を立てて、全身が熱くなった。そんな迅の顔を見て、太刀川が目を細めていたずらっぽく笑う。
「ひでー顔」
そう言う太刀川の表情こそ、色気がすごくてひどい、と思う。
顔なんて真っ赤で、汗だくで、目も蕩けているくせにその奥に凶暴な雄くささを隠しもしない。油断したら取って食われてしまいそうな獣性を飼っているくせに、こちらに委ねて、こんなになるまで好きにさせてくれる。好きなように与えさせてくれて、受け止めてくれる。
そんな風にされて、たまらない衝動が迅の中に駆けるのは止めようもないことだった。
は、と短く息を吐くと、太刀川が小さく眉を動かした。迅の出方を見るような表情。ランク戦の時にもよく見る動きで、しかしランク戦の時と違うのはそれが相手を狩るためではなく相手を受け止めるためのものであるということだった。
「ね、ほんとにきつかったら言ってよ。そんなこと言われたら、おれほんとにもう、自制効くかわかんない」
言いながら、ぐっと太刀川の足を抱え上げて崩れかけていた体制を再び整える。その拍子に中に当たる位置が変わったのか、太刀川が吐息とも嬌声ともつかない声を小さく零した。
「分かった、けど、……っおまえになら別に、何されても嫌とかはないと思うぞ」
好きな相手にそんなことを言われて、理性を保てる人間がいたら教えてほしい。
太刀川の中に埋めたままの自身が膨らんで、それに反応して太刀川が呼吸を荒くする。きゅうきゅうと締め付けてくる内壁が熱くて、気持ちがよくて、愛しくて、胸が痛いほどだった。太刀川が眉根を寄せて、しかし煽るように楽しげに迅を見据えた。迅に負けず劣らず掠れた声で太刀川が言う。
「来いよ。いま、中途半端で辛いんだよ、もっと……っぁ、あ!」
一気に最奥まで突き入れたせいで、結合部からローションがぐちゅりと派手な水音を立てた。そのまま何度も打ち付けるように腰を動かすと、その度太刀川が声を零す。段々と中の締め付けが強くなってくるのは、それだけ太刀川が感じている証拠だった。気を抜いたら達してしまいそうなのを意地で堪えて、太刀川の気持ちのいいところを何度も先端で押しつけるように擦ると、太刀川の体がびくんと大きく震える。しかし太刀川の性器からはとろとろと先走りが零れ続けるだけで、ドライで達したのだと知る。出さずに達すると達したときの快楽がずっと後を引いて続く状態なのだと知っているから、迅がそのまま律動を止めずにいるとあまりに快楽が強いのか太刀川の体が何度も小さく震えた。
「ッあ、ぁ――ああ、っ!」
太刀川が声を零して、先程拭ったその目がじわりとまた潤み始める。それを見つけて、今度はただただ強い興奮が迅の心を満たした。それに、どこか空恐ろしさすら感じるほどに。
太刀川が自分の手でこんなに気持ちよくなってくれていること。太刀川の知らない表情を自分が暴いたこと。この人がこんなにひどく色気のある表情をすること。独占欲と、恋情と、性欲と、色んな感情が迅の中で混ざり合って、その衝動のままに再び腰を押しつけた。
太刀川が背を反らすように震えて、目にいっぱいに溜まった水分が一粒零れ落ちる。それを見た瞬間、思考するよりも早くぐっと顔を寄せてそれを唇で拭うように触れた。至近距離で視線が絡むと太刀川が少し呆れたように目で笑っていて、それにひどく甘やかされていると思って、今度は薄く開いたままの唇に触れる。触れた唇も、繋がったままの内側も熱くて、それがどうしようもなく愛おしく思えて、迅は太刀川の中に熱を吐き出した。しばらく触れていなかった太刀川の性器にも手を伸ばして軽く扱くと、太刀川の体が震えて先程出していなかった精液がとろとろと零れていく。
お互いに深く息を吐いてから、力が抜けて迅は軽く太刀川の体に凭れる。重いかな、とすぐに思ったのに、迅が体を退けるより前に太刀川が迅の髪で遊ぶようにその大きくて無骨な手で頭を撫でてきたから、顔を見られていないのをいいことにしばらく力が抜けたままのふりをしてそのまま太刀川の手のあたたかさを感じていた。