Sweet on You



『行けるか分かんないけど、行けそうなら太刀川さんち行くから』
 迅からそんな連絡を貰ったのは、遡ること数日前。
 普段であれば別に、会えそうなときにふらっと会うみたいな方が多いから――なにしろ迅にはサイドエフェクトがあるからこちらの動向を視てそれに会わせて会いに来るという方法を取ってくることも多くて、太刀川だってなるほどそれはそれで楽だなと思っているので視られることに何の文句もなかった――何日も前から連絡を取り合って会うなんてほうが珍しい。しかし今回に関しては、話を振ったのは太刀川からだ。別の件でちょっと連絡を取った時にふと思って、ついでに聞いてみることした。
 なぜかって。
 そういえばもうじき、“付き合い始めて最初の誕生日”ってやつか、ということに気付いたからだ。


 防衛任務が終わって遅めの夕飯をとって、テーブルの上を片付け終えたところで時計を見ると時刻は二十三時過ぎだった。脳裏にあいつの姿が浮かんで、しかしスマホもインターフォンもいまだ鳴る気配はない。まあ仕方ないな、と太刀川は心の中で呟いて小さく伸びをする。
 なにしろあいつが自分自身で『行けるか分かんないけど』と言っていた通り、何やら最近もまたなにかとやることがあるようであちこち暗躍と称して日々飛び回っているようだったから。たまに本部で顔を合わせたときはそんなことをおくびにも出さずにいつも通りへらへらとした様子でいるけれど、一時期は「早くアタッカー一位の座を塗り替えてあげたいからね~」なんて生意気な顔で言いながらよく来ていたランク戦ブースでもここしばらくはほとんど見かけていない。ちなみにこれは、俺がいないときに来てやいないかと思って緑川や米屋たちにも確認したのでやっぱりそうらしい。
 このところ、少なくとも太刀川の耳には何かイレギュラーな事態が起きる、あるいは起きてようとしているような話は入ってきていないが、しかし先日玄界を攻めてきた国もまだこちらの軌道から外れておらずまだボーダーとしては警戒を完全に緩めたわけではないし、来月には大規模な遠征も控えている。迅としては色々、視たり根回ししたりとやることは沢山あるのだろう。ああ見えて真面目で、仲間思いで、だからこそあれこれ背負いたがる男だから。
 まあ別に、付き合い始めて最初の誕生日だからといって何か特別大きな思い入れがあるというほどでもない。これまでだって当日に会えなかった年の方が多いし、当日に祝うことにどうしてもこだわりがあるわけでもなかった。ただ、そういえば迅はどうするつもりでいるのかと思って聞いてみただけだったから。
 会えないなら会えないで仕方ない。
 そう思いながら、太刀川は居室から廊下に出る。風呂でも湧かすかと思ってキッチンの流し台の横にある給湯器のスイッチを入れて、ぺたぺたと裸足の足音を鳴らしながら風呂場に移動して浴槽に向けられた蛇口を開く。と、そのタイミングでピンポーン、とチャイムが鳴った。
 あ、と思って、太刀川はすぐに玄関へと足を向ける。わざわざ居室にあるインターフォンや、あるいはドアについている小さな覗き窓で誰だか確認することもせずに躊躇いなくガチャリとドアを開けた。春の夜の涼しい空気がふっと部屋の中に流れ込んでくるのと同時に視界に入ってきたのは勿論、先ほどまで脳裏に思い描いていた恋人――本日の主役の男だ。
「ギリギリ間に合ったな」
 言えば、迅はふっといつもの飄々とした顔を崩す。どことなく気恥ずかしそうに変わる表情がおかしい。こちらが先日のやりとりを覚えていたことに? ギリギリ滑り込みのこんな時間になってまで、わざわざ太刀川の家を訪ねに行った自分自身を客観視して? 迅はよく太刀川にはよくわからないところで照れたりし出して、そんなところが不思議で、面白くて、かわいいななんて思ったりして、もっと知りたくて仕方がなくなる。
「うん」
 その表情のわりに多くは語らず、迅はするりと玄関の中に滑り込む。ドアを閉めて、鍵をかければこの場所にはすっかりふたりきりだ。
 誕生日だから、みたいなこだわりは自分は薄い方だと思っていた。今日会えようが会えまいがどっちだって構わないと思っていた気持ちも本当だ。しかしこうして実際目の前に迅がいると、なんだかじわりと高揚感が生まれて口角が緩む自分を自覚する。
「誕生日おめでとう」
 まっすぐ視線を絡ませて言えば、迅がふっとその青い目を細めて笑う。
「ありがと」
 言った後、迅は顔を動かして風呂場のある方を見やった。
「今お風呂入れてるとこ?」
「ああ、うん。丁度良かった、どっち先入る?」
 広くはない一人暮らしのアパートだ、風呂を入れるどどどという水音は玄関にいてもよく聞こえる。この時間に来たのならば当然迅も泊まるだろうし入るだろうと思ってそう聞けば、迅が返す。
「おれ後でいいよ。返したいメールとかもあるしさ」
「なら先入るわ」
「ん」
 そうか、誕生日だからメールとかも色々入ってるよな、と一拍遅れて思う。太刀川だって迅ともしこういう関係でなかったら、自分の迅に向ける友人やライバルというだけではおさまらない感情に気付かないままだったら、後日でも直接会ったときに言うかメールで済ませるかしていただろう。
 そう思えば、わざわざこんな時間になっても直接会おうとする、できるなら顔を見たいと思うようなこの関係性が去年までと違う『特別』なものであるのだということ。
 換装を解いて生身になって、玄関に上がる迅を眺めながら、そのことをなんだか改めて実感させられるのだ。

「迅ー、上がったぞ、……って」
 風呂を上がって居室に戻れば、目に入ってきたのはローテーブルに突っ伏して眠っている迅の姿だった。太刀川はぱちりとひとつ目を瞬かせてから、近付いてしゃがみこんで迅の顔を覗き込む。そんなに長い時間入っていたつもりはないが、どうやら太刀川が風呂を上がるまでの間に睡魔に負けてしまったらしい。
(なんだ、折角後ろも準備してきたってのに)
 この時間に家に来たということはまあ当然するだろうと思っていたのだが、そういった触れ合いはおろかキスのひとつすらできていない。欲求不満、といえばまあそうだけれど、なんだかこんな展開が逆に面白くも思えてしまった。
 一人で手持ち無沙汰になってしまったので、すやすやと寝息を立てている迅の顔をじっと眺めてみる。人に隙を見せたがらない、いつだって大人ぶって余裕ぶりたがる男が、太刀川の部屋でこんなにも油断した顔で眠っている。
 迅だってこんな風に寝落ちするつもりはなかっただろうが、まあそれだけこのところ忙しくしていたということだろう。そう思えば、わざわざ今日にこだわるみたいに日付が変わるギリギリになってでも太刀川の部屋を訪れてきたこの男がどうにもいじらしく思えて、じわりと愛しさのようなものが自分の中にわき上がる。
「じーん」
 名前を呼んで、少しぱさついた茶色の髪に手を伸ばす。くしゃりと撫でるようにかき混ぜてやると、普段だったら子ども扱いみたいで嫌だと口を尖らせてくるのに迅は起きる様子を見せない。緩んだ、無防備な表情のままだ。
 それを見る自分の表情も、きっと同じくらい無防備なものになっているだろうと思う。
 さっきも言ったのだけれど、なんだかもう一度言いたい気分になって太刀川はゆっくりと口を開く。
「たんじょーびおめでとう」
 そう言った自分の声がいやに柔らかくて、自分はこんな声を出すのかと少し驚く。迅がもし知ったら、聞いていなかった自分自身を悔しがるだろうか、と思うとなんだか面白くなってしまった。
 誕生日に会えて嬉しいと思う、とか。
 こいつのことになると自分はこんなに柔らかい声を出すのか、とか。
 そんなひとつひとつを自覚しては、ああそっか、俺は迅が好きなんだな――と、実感を改めて深く連れてくるのだ。



(2022年4月9日初出)







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