忘れえぬひと
バムスターの最後の一体が真っ二つに割かれる。力を失ったバムスターはアスファルトの上、先ほどまで降っていた雨がつくった大きな水たまりへと崩れ落ちてばちゃりと音を立てた。夜明け前、あと一時間もすれば交代の時間になる。今日はもう交代の時間まで門は開かないというのは未来視ですでに知っていた。
一人での防衛任務、門も閉じた夜の警戒区域はしんと静かだ。迅は小さく息を吐く。そして手の中のその剣を眺めてみたのは、なんとなく、だった。
すらりと長い細身の刀身。弧月によく似た形をしたそれは、自分自身が発案し開発したスコーピオンとは剣の間合いが全く違う。この長さの獲物を扱うのは久しぶりだったが、元々は自分だって弧月使い、むしろ弧月を使ってきた期間の方が長かったのだ。少し使えばこの長さの剣での戦い方は思いの外すぐに思い出すことができた。
弧月に似た、しかし、弧月よりずっと軽く切れ味の鋭い刃。黒トリガー。かつての師が遺した剣。
久しぶりに扱う長剣に、戦うたびかつて彼の人が教えてくれたことをひとつひとつ思い出していた。剣の扱いなどなにひとつ知らなかった迅に一から戦い方を教えてくれたのはあの師匠であり、今の迅の戦い方、剣術の基礎は間違いなくそこにある。剣を握ればそのことを実感する。
だけど。
剣を振るえば、気づいてしまった。自分の頭の中に、いつの間にか、もうひとつ。
迅の知る限り、誰よりあざやかに、自由に、うつくしく――そうやって弧月を操る人のこと。
いつの間にか、あの人の動きが体に染み付いていた。自分の中の動きのイメージをつくるときに、ばちんと弾けるみたいに、あの人の黒いロングコートが翻る姿が思い浮かぶ。
だって一番近くで見てきた。
だれより速く駆け上がってくるあの人を、だれより強くなっていくあの人を、その手がどんなふうに弧月を操るかを、全部ずっと、近くで見てきた。
他のなにより悔しくて、他のなにより強く焦がれた。
鮮烈なその姿は、記憶は、今もなお――
(……ほんと、忘れさせてくれない)
それはあまりに鮮烈で、だからおれはあの人から離れた。思い出にとらわれて、足を、思考を、己を鈍らせたくなかった。少しでも、忘れられるように。離れられるように。それで平気なおれに戻れるように。
だけど気づいてしまった。自分の今の強さにも、戦い方にも、もうあの人と過ごした日々が焼き付いていること。切り離せやしないこと。
剣を握れば、条件反射のように思い出すのだ。あの人とのランク戦が楽しかったこと。勝ちたくて強くなりたかったこと。あの人がどれだけうつくしく弧月を操るかということ、それに悔しさと憧憬を抱いたこと。
だからおれは強くなれたこと。
この手の中に、瞼の奥に、心の内側に、全部残っている。もう出会う前になんて戻れない。
おれはもう、あのひとを知ってしまった。
(あーあ、なんなんだろうな)
忘れないのは、苦しい。天秤にかけて、戻らないと決めたものをずっと手に持っているのは、時折胸が詰まる心地になる。だから忘れたかった。その覚悟を決めたはずだった。
なのになぜだろう。
忘れさせてくれないのだと思わされれば、ふと、少しだけ笑いそうになってしまったんだ。