我儘な唇
食事も終えてリラックスした様子の太刀川が軽く身じろぎをする。その拍子に部屋着用の浴衣の合わせがわずかに緩んで、覗いたすらりとした首筋から鎖骨のラインに目を奪われてしまった。思わず鳴らしそうになった喉、すぐにさりげなく目を逸らそうとしたけれど、そんな迅のわずかな挙動は、他でもないこの人には簡単に見逃されるはずもなかった。
「今、」
「別に」
「なんだよ、まだ何も言ってないだろ」
太刀川が言いかけた言葉に先んじて迅が言うと、太刀川はおかしそうにくつくつと笑った。男らしく出っ張った喉仏、その下の胸元にかけて覗く肌は普段の意外とかっちりとした格好の時よりずっと無防備だ。しかも適度に摂取したアルコールのせいでその肌には普段よりもほんのりと赤みがさしていて、そんな恋人の姿を見てしまえば煽られずにいろといった方が無理な相談だろう、と内心で迅は思う。
「あんなきょーぼーな目しておいて」
そんなの、自分じゃわからない――と言いたいところだけれど、太刀川の肌に目を奪われたあの一瞬、自分の顔を取り繕えていなかった自覚はあった。
「……あんな一瞬で見て取るなんて、太刀川さんもずいぶんおれのこと好きみたいだね」
「そりゃ好きじゃなきゃこんなふうに二人きりで旅行なんてこないだろ」
そう言って、太刀川がへらりと笑う。口元は緩んでいるのに、視線は迅に挑もうとでもするように鋭いまままっすぐに逸らされない。
太刀川が迅を煽るときの表情だった。戦闘の時も、こういう時も。
だから迅はその表情に、条件反射のようにぐんと気持ちが昂ってしまう。まるでパブロフの犬。迅をこういうふうにしたのは、間違いなく太刀川だった。
珍しい二人合わせての連休、大好きな恋人と二人きりでちょっと足を伸ばした温泉旅行なんて来てみたりして、そりゃあ気持ちは浮き足立つものだ。そして、期待だってする。温泉に入ってご飯も食べて夜も更けてきて、さてこれから、というところなわけで。
再び迅の視線が太刀川の首筋から胸元に戻ったのを見て、太刀川が満足気に目を細めた。
「噛み跡でも残してくれたっていいんだぜ? 大浴場もよかったけど、内風呂だってあるしな」
そんなことを言う太刀川に、「……噛み跡もキスマークも残す趣味はないよ、おれは」と言った声がわずかに揺れたのが恥ずかしい。べつに少し動揺しただけで、そういう趣味があるわけじゃないのは本当だ、……多分きっと。
「そんなふうに煽られるとなんか酷くされたいみたいに聞こえる」
そんな気持ちから意識を逸らそうとするように太刀川に言う。距離を少し詰めれば、手と手が触れる。あたたかい太刀川の体温を指先に感じて、ああこの人の温度だと思えばもっと触れたい、感じたいと心がざわりと騒ぎ出す。「そーいうわけじゃないが」と太刀川が迅の言葉に返した。
「俺は、おまえが好きなだけ好きなようにするのを見たいんだよなあ?」
そう軽く首を傾げるようにして言った後、迅が何かを言うよりも早く太刀川から唇を塞がれた。触れて、離れて、至近距離で格子の目が迅をとらえる。その瞳の奥に、じっとりとした欲の炎をみた。
「全部欲しいだけだ」、と、そのくちびるが動いて迅に伝える。こんなふうに色気を隠しもしない顔でそんなことを言うこの人のほうがよっぽどひどい、と思って、もうどうにでもという気持ちで次は迅のほうから噛み付くようなキスをしてやった。
診断メーカー様よりお題をお借りしました。
お題:温泉旅館/噛み跡/酷くされたい