sweet lips



「あれ」
 と、玄関のドアを開けて相対した迅はまずぱちくりと目を瞬かせた。
「太刀川さん、髪切った?」
 言いながら迅は玄関の三和土に上がる。がちゃりとドアが閉まれば外の車の音やら何やらが聞こえなくなって、静かになった部屋の中は二人きりであることを実感させた。迅とこうして二人きりの時間を過ごすのはちょっとばかり久しぶりになってしまったから、それだけでじわりと心の内側が少し満たされていくような心地になる自分を俯瞰してなんだか面白く思う。
「おー、分かるか?」
 太刀川はそう言って、自分の後頭部に手をやる。全体として量を減らして短めに切られたが、特に少し前はもさもさと伸び放題だった襟足の部分が今はすっきり短く整えられている。整えついでに軽く刈り上げられたそこは指で触れるとちくちくとした感触が返ってきて新鮮だ。
「分かるよ、結構がっつり切ってるじゃん。え、いつ切ったの? 今日の午前中に本部で会った時には――って、あれトリオン体か」
「だったな。流石にトリオン体の髪の毛まではわざわざ調整しないからな~。切ったのは……先々週の末とかだったか」
「えぇ、結構前じゃん」
 そう言った迅が、少し考えるような素振りを見せた後に唇をわずかに尖らせたのが分かった。本部で人の目があるときには絶対見せようとしないその拗ねた子どもじみた表情に、条件反射のように口角が上がるのを感じた。こういうところを迅には性質が悪いと言われてしまうのだが、好きなやつの自分にしか見せない顔、それも普段からすかしたやつの繕いもしない子どもっぽい表情に気分が上がってしまうのは仕方のないことだろうと思う。
「どうした?」
 太刀川がにやにやとした笑みを浮かべたまま問えば、迅は太刀川の表情に一瞬眉根を寄せたものの、すぐに観念したように返してくる。
「いや、そんなに生身で会ってなかったんだなって思って。……その間気付けなかったのがなんか悔しいって言うか、ちょっと反省したっていうか」
 そんなことを言う迅の可愛げに、太刀川は今度こそくつくつと喉を鳴らして笑ってしまった。
「反省したならよし。おまえほんと、放っとく時ずっと放っとく癖あるからな」
「でも好きで放っておいたわけじゃないんだって。ここんとこまた色々やることあって忙しかったからさー」
 ぶつぶつ言いついでに「……おれだってできるなら会いたかったし」なんて小さな声で呟いた迅が換装を解く。靴を脱いで廊下に上がって太刀川のすぐ横に立った迅が、ひょいと太刀川の後頭部を覗き込んだ。
「わ、ほんとにすっきり切ってるね。襟足とか刈り上げみたいになってるじゃん」
 そう言って迅が手を伸ばして、太刀川の襟足に指で軽く触れる。
「なんか新鮮。ちくちくする」
「ここ最近床屋行きそびれてて伸びっぱなしだったからな。適当にすっきり切ってくれって言って、寝て起きたらこうなってた」
 なにそれ、と言って迅がふは、と吹き出す。
「まあ短いのも楽だしこれはこれでいいかと思って。最近暑くなってきたしな」
「そういうとこすごい太刀川さんだよな~」
 けらけらと笑う迅は楽しそうで、その間もその指は太刀川の襟足で遊ぶようにさわさわと触れている。
「ていうか、触られて全然くすぐったくないんだ?」
 言いながら迅はつ、と親指で首の後ろをゆっくりとなぞる。わざとらしく煽るようなその動きに、しかし迅の指の温度の心地よさを感じこそすれ、くすぐったさは皆無だ。
「全然。……つーか、そう言うってことはおまえはくすぐったいってことだな?」
 そう思い至って迅の後頭部に手を伸ばそうとすると、迅は「うわっ」と後ずさってすぐに自分の首の後ろを手で隠すように覆った。
「危ない危ない」
 ほっと息を吐いて言う迅に、太刀川は笑いながらわざとらしく唇を尖らせる。
「なんだよ、ケチだな」
「どうとでも」
 こういう時でも相手に油断した反応を見せたくない、というこの男のプライドの高さがおかしい。表面上は拗ねたような顔を作ってはみたが、しかしこうして迅とじゃれて遊ぶこと自体が楽しいのでまあいいか、という気持ちにもなった。
(だけど、そんなに必死になられるとやっぱ覆したくなるんだよなー)
 この男にだけはいつだって尽きない負けず嫌いが頭をもたげそうになって、隙をついて再び手を伸ばそうとする。しかしそれにすぐに反応した迅が「もー」と困ったように言って太刀川の手を掴んで止めた。そしてその手をそのままぐっと引かれて、距離を再び詰めてきた迅が唇を重ねてくる。
 唇が触れた後、太刀川の手を掴んでいない方の手が頬に添えられる。頬を滑って、耳の舌、首の後ろへと指先が滑っていく間に口付けはすぐに深くなっていく。絡ませた舌がゆっくりと離れた後、欲を灯した目でじっと見つめてきた迅が言う。
「それより、……久しぶりにこうして二人きりで会えたわけじゃん?」
 ねえ、と言った迅の声は強請るようにとろりと甘い。その声が直截に夜の記憶を思い起こさせて、ずくりと自分の内側で熱が呼び起こされるのが分かる。
 それはもう、今日迅が家に行きたいと連絡を貰った時から自分だって期待はしていたわけで――。まあ今日のところは勘弁してやろう、と迅の襟足に手を伸ばすのは諦めて、迅に手を引かれるままベッドへと向かうことにしたのだった。



 ゆっくりと挿入されて、先端が奥を掠めると小さく体が震えた。根本までみっちりと埋められると中は圧迫感が強いはずなのに、この先の快楽を既に知りすぎるほど知っている体は期待の方が上回って鼓動が早くなるのが分かる。後ろで迅も息を吐いた音が聞こえた。荒い、どこか獣じみた凶暴さを孕んだ息。迅も興奮しているのだ、と思うと、それだけで気持ちがふっと浮き足立つ。迅を前にすると、自分が普段以上に単純になると思うときがある。迅と一緒にすることだから楽しい。迅も同じように楽しんでいたら、興奮していたら、気持ちいいと思っていたなら嬉しい。ひどくシンプルな答えだけれど、間違いなくそれは自分の心の深いところからくる本心だった。
 迅は大抵、挿入してすぐには動かない。それは受け入れる側である太刀川には負担が大きいと理解しているから、太刀川の呼吸を読んで、馴染むまでは待っていてくれる。別に好きにしてくれて構わない、むしろ焦れったいと思うときすら太刀川としてはあるのだが、そんな意固地にも感じるくらいの気遣いが迅らしく感じて嫌いではなかった。そして、迅は太刀川のタイミングを図るのも上手かった。ずっと相手を好敵手と呼んで戦ってきた関係値がそうさせるのか、迅がそういうことがそもそも上手いのか、それとも体の相性がいいというやつなのかもしれない。
 太刀川がゆっくりと息を吐く。と、迅の気配が強くなったと思ったら、首の後ろ――うなじのあたりに吸い付かれて、反射的にぴくりと体が小さく震えてしまった。そんな太刀川の反応を見逃すはずもなかった迅が、ふ、とすぐ後ろで笑う気配がする。迅の熱い息を首元に感じて、そんなことにすらぞくりと興奮が全身を鳥肌みたく駆けていく。
「さっきは全然だったのに、ここ、ちょっと気持ちよくなってる?」
 わざとらしいくらい意地悪い声で言いながら迅が再び唇を寄せて、今度はざらりとした舌でゆっくりと髪の生え際のあたりまでをなぞってくる。先ほど迅が指でなぞったのと同じあたりだけれど、先ほどとは違う、気持ちよさというほどではない何かが太刀川の体の熱をじわりと煽るのが分かる。整いきらない呼吸が、は、と開きっぱなしの唇から零れた。
「気持ちいいってほどじゃない、けど、……そりゃイかされたばっかだから敏感になってるだろ」
 挿入される前に既に指で散々高められて、弱いところを何度も弄られてぎりぎりまで熱を上げられた後前も触られて、ついさっき一度達したばかりだ。熱の引ききらない体は平時よりずっと敏感で、迅が触れた場所のひとつひとつから貪欲なほど刺激を拾ってしまう。
「……まぁ、そっか。そうだよね」
 そう言う迅の声は妙に嬉しそうで、表情は見えないけれどきっと今いやらしく緩んだ顔をしているのだろうと簡単に想像がつく。こうしたのはおまえだろ、なんて言いたくもなって、しかし言葉にする前に迅がまたうなじに舌を這わせてその声は甘ったるい吐息に変わった。
「ん、っ……」
 うなじから首元、肩、背中へと唇が降りていく。恭しいほどに丁寧に触れられる唇の熱さと、それにあわせてさわさわと柔らかく擦れる迅の髪の毛のくすぐったいような感触に、高められたままの熱がじわじわと疼き始めるような心地がした。元々迅は、後ろからする時になにかと背中やらなにやらにキスをしてくる癖があった。痕でも残したいのかと思って、したいならすればいいと言ってみたこともあったが迅には「そういうんじゃない」と耳を赤くしながら眉を顰められてしまった。――結局その理由までは今日に至るまで聞けてはいないけれど、ひどく丁寧に触れてくるそれは迅なりの感情の発露なのかもしれない、と太刀川は思っている。後ろからする時の迅は、顔が見られていないという安心感からか時折妙な素直さや甘ったるさ、あるいは凶暴さ、をみせる時があるから。
 ……かわいーやつ、なんてことを頭の隅で考えていたら、迅が体を小さく動かした拍子に中が僅かに擦れて腰がぴくりと揺れてしまった。
 内側で張り詰めている熱の固さと、背後に感じる隠し切れていない凶暴な気配、対して背中に触れてくる唇の丁寧さがアンバランスで、疼き始める熱が段々ともどかしさに変わってくる。迅を包み込んでいる自分の内側が、覚え知った刺激を待って焦れるようにきゅうと絡みつくのが分かる。
「じ、ん……も、動け、って……」
 もう待てない、と思ってそう言った声は思った以上に張り詰めていて、自分でも少し驚いてしまった。太刀川の言葉を受け取った迅がほんの一瞬黙った後、「うん」と短く返事をする。その返事だけで、期待で自分の鼓動の音が更に大きくなった気がした。
 腰を引いた迅がぐんと一息に奥まで突き入れてきて、自分の口から甘えたような声が零れる。
「~~ッぁ、あ!」
 そのまま迅にもう知り尽くされた弱いところを突かれて、性感の強さに体が震えた。一度出したはずの性器も再び頭をもたげて、じわりと先走りが滲むのを感じる。と、迅が前にも手を伸ばして太刀川の性器を包み込むように触れられると、びくりと腰が大きく跳ねた。
「っう、あ……」
「……もう固くなってるね」
 興奮した様子をもはや隠そうともしない迅がそう言ってぬちぬちと先走りを絡ませるように扱いてくると、体が追い詰まるのはあっという間だ。前と後ろを同時に攻められれば、強い性感に上半身を支えていた腕に力が入らなくなる。かくんと上半身が崩れて枕に頭を埋めるような体勢になると、後ろで迅がその気配の凶暴さを増したのが分かった。それにすら興奮を煽られて、しかし自分のことでいっぱいいっぱいでうまく反応なんてできそうにない。迅が腰を押しつけてきて、「ぅあ、」とうわごとのような声が零れて枕に吸われていく。迅の手に包まれた自身はもうがちがちに固くなって、解放に足る強い刺激を今か今かと待っていた。
「迅、もう、イきそ……」
 ん、と返した迅がつう、と亀頭を優しく撫で上げてきて体がぶるりと震えた。とぷりとまた先走りが零れて迅の指を汚すのが分かる。
 ぐっと迅が体を寄せてきて、近付いた迅の肌の熱さを背中で感じた。と思えば再びうなじのあたりに口付けられてざらついた舌をゆっくりと這わされると、そのぞわぞわとした刺激に思わず中を小さくきゅうと締め付けてしまった。太刀川の反応に、迅が首元で熱い息を吐く。
「かわいい」
 思わず、といったように掠れた音で囁かれたその声がいやに雄くさくて、取り繕いもしない迅の本音をみた気がして、太刀川も妙に興奮してしまった。
 気持ちいい、未満だったものが段々とそれに近付けられていくのを本能に近い部分で感じる。そもそもこの行為だってそうだった。最初は中だけでは快楽には遠かったのを、迅が少しずつ教え込むようにして、こんなふうに変わっていった。変えられていった。そんなやり方がどこか、こいつらしい、と思う。この男の負けず嫌いぶりをきっと、自分以上に知っている人間はいないだろう。
「……おれも、イくね」
 そう言った迅がぎりぎりまで腰を引いて、一番奥まで一気に貫いてくる。同時に前も強く刺激されれば、「ぅあ、あ……っ!」という上擦った声と共に先端から白濁が零れた。その拍子に中を強く締め付けてしまえば迅が耳元で苦しそうな息を漏らして、背中から抱きしめるようにしたままどぷりと太刀川の中に精を吐き出した。

 しばらくそうしてくっついていた後、ずるりと迅が太刀川の中から抜け出ていく。はあ、と荒い息を吐いた後、力の抜けた体を緩慢な動作でどうにか自分で仰向けに返した。
「じん」
 まだとろりと緩んだままの声で名前を呼ぶと、迅がこちらを振り返る。青い目が太刀川を見つめて、ぱちりとひとつ瞬きをする。そうして太刀川の言わんとするところを察したらしい迅が手早く手の中の使用済みのコンドームの口を縛ってゴミ箱の中に放った。
 迅が太刀川の横に手をついて、再び覆い被さるような体勢になる。薄暗い部屋の中で、迅の目が淡くひかって見えた。
(別に、どこにされてもいーけど)
 折角なら――なんてことを思ってしまう自分は、大概この男に惚れているらしいとこんなときに妙に自覚させられた。そんな太刀川の求めるものを違わず受け取った迅は、まだ熱の残滓を残したままの唇を太刀川のそれに触れ合わせる。
 その熱さと柔らかさがまだ余韻の残る体にはいやに心地良く思えてすぐに離すのが惜しくなって、迅も同じように思ったのかもしれない。どちらからもなかなか離れない唇は、しばらくそうやって触れ合わせたままでいたのだった。




(2022年5月1日初出)





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