きみとありふれた特別を



「――ベーコンエッグサンドのお客様、お待たせいたしました」
 呼ばれて、迅はカウンターに準備されたアイスコーヒーとサンドイッチを受け取る。トレーを持ってきょろきょろと店内を見回せば、先に注文していた太刀川が店内の端のテーブル席からひらりと迅に向けて手を振っていた。
「先食べてるぞ」
「うん」
 言いながら太刀川の正面の席にトレーを置いて、ガタンと椅子を引く。起きてから何も食べないまま家を出てきたので、これが今日初めての食事だ。できたてのサンドイッチ、バンズに挟まれたとろりと半熟の目玉焼きが食欲をそそる。
 アイスコーヒーの透明なカップにストローをさしながら、目の前の太刀川を見やる。口を大きく開けてサンドイッチを頬張る私服姿の太刀川がなんだか普段本部で見るすっかり大人びた表情よりずっと幼く見えて、この人美味しそうに食べるよなーなんて思ってふっと迅の口角は小さく緩んだ。
 一口アイスコーヒーを流し込んだあと、迅もまだ少し熱いくらいのサンドイッチを手に持ってぱくりと食べる。
「わ、うまっ」
 程よく焼かれたバンズの表面の硬さと内側の柔らかさ、そしてベーコンと卵の絶妙なバランスが口に広がって、予想以上の美味しさに迅は思わずそう零す。そんな迅を見て、太刀川も上機嫌な様子で「うまいよな? これ」と同意した。
 早朝の空港のカフェは空いているものの、意外と人はぽつぽつといるものだ。今日が土曜日ということもあるのだろう、キャリーケースを携えた友人同士やカップルらしき人たちが楽しそうに喋りながら、これからの旅への期待を膨らませているようだった。
 そしてそれは自分たちも同じことだ。
「そうそう、国近に聞いといたぞ。北海道の美味しい店」
 迅より先にサンドイッチをぺろりと平らげた太刀川がポケットからスマートフォンを取り出して、少し操作をした後画面を迅に向けて見せてくる。開いているのはチャットアプリの画面で、絵文字が多めの文章とともにグルメサイトのURLがいくつか貼られていた。
「おわー、助かる。ありがとね。今度会ったら国近ちゃんにもお礼言っとかないとな」
「だな」
 スマホを受け取ってURLを開いてみると、美味しそうな写真が画面にたくさん並ぶ。ガッツリと食べられそうな居酒屋から、さくっと寄れそうなカフェまで何件かピックアップしてくれたようで、どのお店も魅力的だ。
「うちの隊長の旅行デートのためなら~なんて張り切ってたぞ」
 太刀川がにやりと笑ってそう言うものだから、少しばかりの気恥ずかしさを感じる。しかしそれ以上に、揶揄するでもなく本気で言ってくれているのだろうということも分かっているから、ありがたいなという気持ちも強かった。うちの隊長――といっても、太刀川隊は太刀川が次期本部長候補として本部長補佐の仕事に就くことになった時に解散することにはなったのだが、今も隊員同士の交流は頻繁にあるそうだ。太刀川隊のオペレーターを結成当時からずっと務め上げた国近は、今は中央オペレーターのチーフとして大活躍をしていると聞く。

 今日は仕事は何も関係ない、ただただプライベートでの太刀川との旅行だ。行き先は北海道。足と宿は押さえているものの、他は特段の予定はまだ決めていない気ままな旅である。
 考えてみれば、太刀川と泊まりでの旅行というのは初めてのことだ。
 太刀川との付き合いも、気づけばそれなりに長くなった。しようと思えばいつでもできた――とりわけ近界との戦いに休戦協定という一旦の決着がついてからは三門でもすっかり平和な日々が続いているわけだから――とは思うのだが、今までそれをしなかったのはひとえに互いに旅に対して特段の関心が無かったからだった。近界のテクノロジーや文化にはそこそこ関心はあるし二人で近界を旅するのなら結構楽しそうだなとは思うのだが、特にそれまで国内のどこかに二人で行こうという発想にはならなかった。
 それがなぜ急に国内旅行をしようなんてことになったかというと、本当にたまたまというか、テレビで旅番組をやっていて「そういえば迅と旅行ってしたことないな」と太刀川がふと言い出したからだ。
「あー確かにね。でも特に行こうって気になることもなかったからなー」
「そうだなー」
 なんてやりとりを、リビングのソファに座って晩酌をしながらしていた。太刀川といれば基本的にいつだって楽しくて満足していたから、わざわざ出かけなくたって構わなかったのだ。
「……行ってみるか?」
「え?」
「旅行」
 おまえと行ったことないって思ったら行ってみたくなってきた、と、太刀川が付け加える。
 悪戯を思いついた子どものような表情で言う太刀川の姿に、未来視が重なる。
(……視ちゃったら、実現させたくなっちゃうじゃんね)
 太刀川といればいつだってどこだって楽しい。――それは裏を返せば、太刀川となら、きっとどこに旅をしたって楽しい。
 三門ではないどこか旅先で楽しそうにこちらを見る太刀川の未来の表情に、そう思ってしまえば、もう首を縦に振ることしか迅には思いつかなかったのだ。

「あ、これとか美味しそうじゃない? 海鮮丼」
 迅が開いたページを見せると、太刀川が「お、美味そう」と目を輝かせる。じゃあこれ候補だね、なんて話しながらスマホに表示されている時間を確認する。自分たちが乗る飛行機の出発まではあと1時間近くあるから、まだもう少しのんびりできそうだった。
(……今までやったことないことやるってのも、結構楽しいもんだね)
 これまで旅に興味がなかったというのに、いざ出発を目前にするとわくわくと気持ちが疼く自分がいる。そんな自分の現金さがおかしくて、でもまあそれも悪くない気分だった。
(……それを、この人の隣で味わえるなら余計に――かな)
 と、太刀川がじっと迅を見ていることに気付く。目が合うと、太刀川がゆるりと目を細めた。
「ん?」
 そう聞くと太刀川は「いや?」と言って機嫌良さそうに笑う。なんとなく太刀川が言いたいことが分かって、おれそんなに表情に出てたかなあ、と思う。この人の前では、とりわけプライベートの時間になるとふと気持ちが緩んでしまいがちだ。
 まあそれも悪くはないと、今は素直にそんな自分も受け止められる。
「……楽しみだね、旅行」
 迅が言えば、今の迅ときっと似たような表情をした太刀川が、「うん」と普段よりどこか柔らかい声色で言うのだった。



(2022年6月18日初出)






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