きみをわずらう




 その青に、太刀川の視線は一瞬奪われた。
 コンビニのスイーツの棚である。ふと目を向けた先でそれが一番に太刀川の視線を奪ったのは、それがあいつの目の色に少し似ていたからだ、ということに一拍遅れて気が付く。本当はたまに買って食べるきなこもちを探そうと思って目を向けたのだが。
 それにしても、このコンビニには週に何度か来ているが初めて見るスイーツだ。だから少し興味が湧いて、それを手に取ってみる。どうやら季節ものの新商品らしい。いくつかのフルーツが青色のゼリーの中に入っていて、商品名からしてフルーツポンチの類のようだった。フルーツポンチってそういえば結局なんなんだ、ポンチってどういう意味だ? という疑問がちらりと頭の中を掠めたが、考えても結論は出なさそうなので早々にその件は脇に置いておくことに決める。
 太刀川が手に取った青いフルーツポンチの棚の下段に目的のきなこもちがあるのを視線の端で見つけた。しかもラスト一つだ。これはラッキー、と思って手に取ろうと思って――でも片手に持ったままのフルーツポンチも少し気になってしまった。
 甘いものはそんなに賞味期限が長くない。明日も大学からの防衛任務でほとんど家に帰らないので、買うとしたらどちらか一つだろう。安定の美味しさだということが分かっているきなこもちか、それともなんだか気になる手の中のこれか。
 少しだけ逡巡して、太刀川はレジに向かう。



 夕飯にしたコンビニのうどんを食べ終えた太刀川は、冷蔵庫から先程買ったそれを取り出してテーブルの上に置いた。プラスチックの蓋を開けると、青色のゼリーが部屋の照明に照らされてつやつやと光る。
(やっぱ、今気になる方を買った方がいいだろ)
 きなこもちは捨てがたかったが、今の自分がより気になったのはこちらの方だった。こういうときの自分の直感にはあえて抗うことはしない主義である。フルーツポンチってどんな味だっけ、とか、最近暑いしゼリーみたいなのも美味しそうだよな、とか思い始めたらどうも気になってしまった。うどん、コロッケ、もち、と特に好きなものはあれど、太刀川は基本的に好き嫌いなく大抵のものは美味しく食べるタイプで、甘いものも人並みに好きではあるのだ。
 それに。
 コンビニで貰った小さなプラスチックのスプーンをさし込んで、中に入っている小さなみかんと共にゼリーを一口分掬った。持ち上げるとスプーンの上のゼリーがわずかに揺れる。一口分だと青色はコンビニで見たときの印象よりも少し淡く、そしてより透明に見えた。
 やっぱり少しだけ、あの男の瞳を思わせた。
 その一口分を、ぱくりと口を開けて舌の上に乗せた。咀嚼してみると少しラムネのような風味を感じる。別にそこにあいつを感じさせる要素もない。ただ、色だけ。ラムネ味のゼリーとみかんの合わせ技で口の中に淡い甘さが広がる。普通に美味しいゼリーである。太刀川はそれをよく噛んで、喉仏を上下させて飲み込む。
 別に寂しいと思っているつもりもないが、全然関係のないところであいつを急に思い出す自分が何だか面白かった。そうだな、寂しくはないが。

 迅が近界遠征に旅立ったのは二週間ほど前のことである。今は工程の折り返しくらいのはずだ。今回は一ヶ月弱の遠征になると聞いていた。
 太刀川が遠征に行かないというのはとても珍しかったが、それ以上に迅が遠征に行くということのほうが珍しかった。太刀川ですら最初に聞いたときは聞き返してしまったくらいだ。
 ボーダーが今の体制になって近界遠征を始めてからこの方、迅が遠征に参加していたことはないように思う。少なくとも太刀川は知らない。逆に太刀川はそのかなりの割合に参加していた。迅だって遠征に必要な実力などの条件は当然クリアしているが、本人が「実力派エリートはやることが色々あるんだよ」なんてへらへら躱していたし、上層部だって本人の強い希望があるわけでもなし、未来視持ちの迅を三門から長期間離れさせるのも得策ではないと判断していたのだろう。
 それがなぜ今回迅が遠征に行くとなったのか。今回の遠征参加メンバーではない太刀川は詳細な経緯や今回の工程表までは知らない。だがここしばらく玄界と近界諸国との関係も少しずつ変わってきたことで、ボーダー内にも新たな動きがいろいろと出始めているのは確かだ。今回の遠征先で迅こそが出るべき幕があるのかもしれないし、これまで専ら三門防衛に注力してきた迅の未来視を今度は自ら近界に渡ってより先手で使おうというところもあるのかもしれない。まあそのあたりは話していいことであれば迅が土産話に話してくれるだろう。
 迅が今度の遠征に行くと聞いて当然太刀川も行きたいと言った。迅と行く遠征ならば間違いなく楽しいだろうという確信があったからだ。しかし忍田にはおまえには別の仕事があるとあっさり却下され、出発直前に迅に「おれがいない間三門を頼むよ、太刀川さん」なんてへらりと笑いながら冗談めかした口調で言われればそれ以上駄々をこねることもできなくなった。まあ、事前に迅からは遠征期間中に三門に変わったことは起きないよという予知を伝えられていたし、だからこそ迅だって行く気になったんだろうと思うが。迅の予知通り、こちらは散発的に門が開く程度のいつもと変わらぬ日常が続いている。

 なんにしても、珍しい状況だ。普段とは逆である。大抵は太刀川の方が遠征に行って、迅が三門にいるという構図だったから。
 プラスチックの中の小さな青色を、掬って、のったりとした動作で口に運ぶ。変に甘すぎない味付けが思いの外気に入った。そうしてもう一口とスプーンで掬うと青色の中に小さな四角いゼリーが入っていて、トリオンキューブみたいだなとちらりと思ってつい笑ってしまった。
 この二週間、特段思い出すこともしなかった。太刀川は太刀川の日常を普通に過ごしていたし、そもそも互いに三門にいたって数週間くらい会わないことなんてザラだ。一ヶ月以上会わないことだってそれなりにある。それでも別に何ともないのだから、遠征で二週間離れていた程度、太刀川にとって何の問題もない。
 ただこうして、全然関係のないふとしたきっかけであいつのことを思い出す自分を面白いと思った。ふと目に入った青。ただそれだけ。いや、でも、そうだなと思う。あいつの何を俺は一番好きかって。
 寂しいとは思わない。心配もしていない。あいつだってきっとそうだろう。
 ただ、会いたいなとは思った。
 二週間思い出さなかったのに薄情と言われるだろうか。でもそんなもんだ。思い出せば会いたくなる。あの顔を――俺を見つめるあの青い目を見たい、と思った。
 薄く空けたベランダの窓、カーテンが風を受けてふわりと揺れる。思い出せばそのカーテンの影から今にもあいつが入ってきそうな気がして、しかし今に限ってはそれはあり得ないんだよなと思い直す。太刀川の部屋は警戒区域にほど近いアパートで基本的に周辺の人通りが少なく、そして入口に回り込むのが少し遠回りだからと言って迅は一目のない夜なんかはたまにベランダや窓から入ってくるという悪癖があった。あいつのことだからかっこつけも何割かで、そして残りの何割かは本当に面倒だから、といったところだろう。
 自分が遠征に行っているときに迅のことを思い出すということもあまりなかった。強いやつと戦ったときにちらりとあいつの顔を思い出すくらいはあっても、こんな風にふと思い出せば芋づる式に――ということはあまりない。遠征中は基本的に見るもの全部新鮮だから、そっちに意識が行きがちなのだ。それにこの部屋がいけない。あいつと過ごした空気が、景色がありすぎるから。
 いつの間にか最後の一口になっていたフルーツポンチを口に運んで、ごくりと飲み込む。そうして背もたれ代わりにしていたベッドにもたれ掛かって天井を仰いだ。ベッドの向こうにある逆さまの窓枠の中に星が見える。しかしあいつは今この星空じゃない空の下にいる。遠征いいなあ、という思いと、会いてーな、という思いが同時に湧いてくる。
(まあ、考えたってしかたねーけど)
 よ、と弾みをつけて頭を上げる。視界が正面に戻って、目の前にあるのは空のフルーツポンチの容器だ。
 どうせあと二週間すれば会えるのだ。思い立ってすぐに実現できないことというのは己の元来の性分的にはじりじりもするが、二週間程度待てない時間じゃない。今までもそうだったし、それにあいつに待たされるのは慣れてる、だなんて本人に行ったらなんとも微妙な顔をされそうなことを思う。嫌味がまったくないとは言えないが、別に責めるつもりもないし、それにあの期間で俺ってだいぶ一途だったんだなあと自覚させられたのだった。
 それに楽しみが後に待っているというのも嫌いじゃない。迅に聞きたいこともできたしな――と太刀川は心の中で呟く。
 普段と逆だったからこそ思ったこと。迅に聞いてみたくなったこと。
 俺がいない三門にもずっといた迅に。
(俺がいない三門で、俺のこと思い出したりしてたか? ……って)
 全然関係ないはずのことで、あるいはふと景色に思い出が重なって。
 そんなふうに思い出す相手のこと、なかなか結構に好きなんだろう――と思ったからだ。




(2022年8月7日初出)






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