summer lover
突然頬に降ってきた冷たい感触に、それを頭が冷たいと認識するよりも早く「つめてっ」と反射的に口走る。
それを夢か現かうまく判断できないまま太刀川は目を開き、ぱちぱちと瞼を瞬かせた。視界に映ったのは見慣れた自室の風景――頬にはまだほんのりと冷たい感触。なんだ、とその冷たい原因があるであろう方向に視線を向けるよりも早く、噛み殺しきれないといったような笑い声が少し上から届いた。
「おはよ、太刀川さん」
よく聞き慣れた涼しげな声。視線を動かすと、ソファの側に立った迅がにやにやとおかしそうに笑っている。その手にはチューブに入ったシャーベットのアイスが握られていた。本来二つ繋がっているものを一つずつに割った状態で両手に持っていて、片方は太刀川の頬のすぐそばに――なるほどさっき冷たかったのはそれか、と寝起きのまだふわふわとした頭でようやく合点がいく。
「はよ。来てたのか」
「一応来る直前に連絡したんだけどね、全然返事ないし寝てるの視えたし」
「あ~、悪い」
「別にいーよ」
そう本当に気にしていなさそうな声音で言った迅が、はい、と言って今度は頬ではなく太刀川の手に取りやすい位置にアイスを動かす。「お、さんきゅ」と言って手に取れば「どういたしまして」と迅が目を細める。手に持ったアイスはやっぱりひやりと冷たい。
「外あっつくてさ、来る途中そこのコンビニでアイス買ってきちゃった」
「流石エリート。気が利くな」
「ふふ、でしょ?」
そんな軽口を交わしながら、寝転がったままだったソファから体を起こす。体を動かして一人分のスペースを空けてやると、何も言わずとも迅は素直にそこに座った。ぱきりと先端部分を折ってアイスの吸い口を開ける。
部屋の中はクーラーがすっかり効いているが、窓の外を見やれば外は見事な快晴だ。これは迅が言う通りもうなかなかの暑さになっているのだろう。窓の外では蝉たちが競うように元気に鳴いている声が聞こえて、夏休みだなあ、という実感が沸いてくる。
ソファに寝転んで昼寝したのが確か昼飯を食べ終わった一時頃だったから、この太陽の明るさを見るに今は二時とか三時とかだろうか。先日ようやく大学の前期レポートを全て提出し終えて――何本か正規の締切を過ぎてしまって、教授の温情で引き延ばしてもらったものもあったが――どうにか突入できた夏休み、ひどい有様だった部屋をどうにか少し生活できるように片付けたのが午前中のこと。それで疲れたのか昼飯を食べたら眠くなってつい昼寝してしまったのだった。
迅に合鍵を渡しておいてよかったなと思う。迅にはこういう関係になってしばらくした頃に部屋の合鍵は渡してある。この暑い中、家主が昼寝しているせいで家に入れないというのは流石に大変だ。まあ普段から任務以外の時でもトリオン体で過ごすことの多いこの男のことだし、トリオン体になってしまえば暑さは関係ないといえばないのだが。
「……にしてもさぁ」
アイスを吸っていた迅が言う。何だ、と思って迅を見ると、迅も横目で太刀川に視線を向けた。
「太刀川さん、おれが来た時おなか出して寝てたよ」
「うわ、マジでか」
迅の指摘に慌てて自分の腹の方を見ると、迅は「大丈夫、おれが直したから」と返す。なんだ、と思って迅に服を整えてくれた礼を言おうとしたところで、迅のアイスがべこりと鳴る。全部吸いきって、中身が空になった音だ。食べ終わったアイスの容器を手に持って、迅が今度は太刀川の方に顔ごと向けた。青い目が、じ、と太刀川を見る。
「……そんな無防備に寝てたら、襲われちゃうよ? おれに」
太刀川がひとつ瞬きをする。その間も迅の目は動かず太刀川を見つめ続けていた。
わざとらしいくらいの冗談めかした口調で言ったくせに、その目の中に滲む本気に気付く。青い目の奥に、迅の元来の強情さや欲深さを見つける。
数秒の間の後、迅がふっと笑う。「なんて、」と笑い飛ばそうとした迅に、「いーぞ?」と被せるように返してやる。
「襲いたいなら好きにやればいいだろ? おまえになら別にいい」
そう言って、残りのアイスを吸い上げる。べこ、と先程の迅と同じように太刀川のアイスも中身を吸いきって空になった音がした。
青い目が見開かれる。窓越しに見る空の色より、ずっときれいな青色だ、と太刀川は思う。それを見ながら、なんだか楽しい気持ちになってきて太刀川は口角を緩める。
さて、おやつの時間は終わり。そして。
「……本気にしちゃうけど。いい?」
「ああ。なんなら今襲ったって構わないぞ」
迅が手に持ったままだった空のアイスの容器を取り上げて、二人分まとめてテーブルの上に適当に放る。さあどうぞ、と言わんばかりに待つと、迅が躊躇いがちに距離を詰めてきた。青い目の本気の色が、じわりと濃くなる。
「ほんと、太刀川さんと付き合ってるとすげーわがままになっちゃいそう」
呟いた迅に何か返事を返す前に唇が塞がれる。つめたくて熱い唇が噛みつくみたいに太刀川の唇に押しつけられ、まるでわがままな子どもみたいなその仕草は普段のやたら大人ぶる迅とは似つかなくて、それが楽しくて体の熱が上がる気配がしたのだった。