掌に灯る




 眩むようにまぶしいライトが一斉にこちらに向けられていて、熱さすら感じるほどだった。日常生活で見慣れているようなものじゃない、もっとプロっぽいカメラのシャッター音が何度もスタジオに響く。
「次、目線こちらにお願いしますー」
 カメラの向こうからひらひらと手を振るカメラマンの方に視線を向ければ、その瞬間を逃さずシャッターが切られる。迅が少し動く度にベストショットを逃すまいとするようにシャッター音がするので、プロってすごいな、なんて素人丸出しの感想を抱く。試しにサングラスに手をかけるポーズを取ってみたら、すかさずまたシャッターが何度も切られた。
 ボーダーの広報誌用の撮影に出て欲しいと言われ二つ返事でOKしたら、今回のテーマは夏だと言われ控室に用意されていた衣装がアロハだったのは面白かった。でもまあ根付さんが考えそうなことだな、とも迅は思う。ボーダーの広報誌の撮影はちょくちょくこういうラフなものもあって、それはメディア対策室室長である根付の指示だ。三門にとってボーダーは軍事組織ではなく身近なヒーロー、三門を守るアイドルといったポジティブなイメージをつけておきたい根付による、市民に親近感を持って貰う為の戦略である。
 そんなわけで今迅は、用意されていた赤いアロハシャツを着て撮影スタジオの真ん中に立っている。スタジオのセットはシンプルな白背景だけだが、後に海の写真を合成するのだと聞いた。
 こういったメディアへの出演というのは主に嵐山隊の仕事ではあるが、ボーダー側が舵を取っているメディアとなるとその限りではない。広報誌やボーダーのHP等では、嵐山隊以外にも根付の判断で様々な隊員に声がかけられ写真やインタビューが掲載されている。迅とてこうした撮影もこれが初めてのことではない。
 撮影用の過剰なくらい眩しいライトの前に立つ瞬間は嫌いじゃない。が、何度かこなしてもあまり慣れるものではないので、嵐山はすごいなとやる度に思う。
 しかし、個人的に今日はそれだけじゃない座りの悪さがある。
 肩に乗せられた太刀川の生身の腕の温度が、薄いアロハの生地越しにほぼほぼダイレクトに伝わってくる。アイドル雑誌の撮影かという距離の近さで、太刀川の顔がすぐ横にある。まあ、アイドル雑誌というものをこれまで迅はほぼ読んだことはないからただのイメージなのだが。
「すみませーん、えっとタチカワさん、もう少しだけ寄って頂いて。……あ、そうですそれでお願いします!」
 言い終わるなりまたシャッターがパシャパシャと切られる。カメラマンの指示でより距離を詰めてきた太刀川の体温は、今度は腕だけじゃなく太刀川が立っている左側全体に感じていた。体同士まで触れるか触れないかの距離。至る所から当てられるライトは変わらず熱いが、それ以上に間近に感じる太刀川の温度のほうが迅にとってはいやに熱く感じてしまう。
 表情はしっかり作れているはずだが、ふとした拍子に意識がそちらに行ってしまってポーカーフェイスが崩れそうになって困ってしまった。ボーダーの広報誌に掲載される写真なので、下手な表情をするわけにはいかない、と迅は意識を太刀川の体温からどうにか逸らそうとする。
 なぜよりによって今日なのだろうと思う。いや、この撮影のことは事前に知らされていたから、恨むのであれば昨日の自分の方だった。
 昨日、太刀川と付き合い始めた。
 昨日は少し遅い時間からにはなってしまったものの久しぶりに太刀川と存分にランク戦ができて、すごく楽しくて、それで気が緩んでしまったのだ。かつての互いに高校生だった頃のようにブースが閉まるギリギリまで戦り合って、深夜の人気のない警戒区域を互いに熱の冷めやらぬ様子で感想戦をして、だから。
 楽しい気分に任せてぺらぺらと喋りながら、つい気が緩んでしまったせいなのだ。積年の隠し通してきた思いがぽろりと口から零れてしまったのは。
 言った瞬間、やばい、と思った。すぐに茶化して冗談にしてしまおうと再び口を開きかけるも、太刀川は迅を見てその先を制するように「俺も好きだから、付き合おうぜ」なんて言ってのけた。挙げ句の果てには、誰も見てないんだしいいだろと言ってそのまま手を繋いできたのだからこの人の順応力の高さには恐れ入る。
 シャッターの音、眩むほどまぶしい照明、こちらに向けられる多くの大人たちの視線。それらを真ん中で浴びながらなお、太刀川の腕の温度があまりにも鮮明すぎて、それを感じてしまえばその他のことがどこか遠くの出来事に感じてしまうくらいだった。
 太刀川の体温を感じると、昨日触れた手の温かさを思い出してしまう。結局昨日はそのまま警戒区域を出るギリギリのところまで手を繋いだまま帰ったのだが、しかし元々手を繋いだのももう警戒区域の終わりに近い場所だったから、それもほんのわずかな時間でしかなかった。
 だから余計に名残惜しくなんてなってしまったんだ。
 シャッターの音が繰り返し響くのをぼんやりと聞きながら、ああ、この人とまた手を繋ぎたいな――なんてことを思ってしまった自分を、迅は笑い飛ばすこともできやしなかった。

 おつかれさまでーす、という声を背中に聞きながら二人並んでスタジオを後にする。これで自分たちの撮影は終わりだ。楽しかったけれど、やっぱり慣れない分体に変な緊張がかかっていたような感じがする――いや、これはまた別の緊張のせいかもしれないと思い至ってじわりとした恥ずかしさがぶり返してしまった。隣では太刀川が「終わった~」とのんびりとした声で言って伸びをしている。そんな二人の隣を、小道具の入った箱を持ったスタッフが忙しなさそうに小走りで通り過ぎていった。
 自分たちに用意された控室はこの一つ下の階である。この後はもう帰っていいと言われているので、私服に着替えて帰るだけだった。
 一つ下の階に降りるだけならエレベーターを使うまでもない。廊下の端にひっそりと佇んでいる階段に辿り着くと、先ほどまでの華やかな雰囲気とは打って変わって人通りも少なく静かだった。
 細い階段を他愛ない話をしながら下っていく。二人分の足音が廊下に響いた。迅はラフなサンダルだが、太刀川は何故か革靴のようなしっかりした靴を用意されていたので、太刀川の靴音の方が大きい。
「そういえばこないだ生駒っちがさ~、……あれ」
 話しながら踊り場まで出たとき、太刀川の足音が止まったことに気付く。不思議に思って振り返って、たちかわさん、と名前を呼ぼうとしたら、不意に手に温かい感触が絡んだ。
 昨日と同じ――そしてついさっき迅が焦がれたのと同じもの。
「え」
 迅がぱちくりと目を瞬かせると、太刀川はしてやったりというような満足げな顔でにやりと笑う。悪戯っ子みたいな表情。
 太刀川がたまに迅に見せるこういう子どもじみた表情が、昔からずっと好きだった。そんな迅の好きな表情で、太刀川は迅に向けて口を開く。
「バレてないと思ったか」
 言われて、心臓が跳ねた。顔が赤くなりそうなのを慌てて必死で繕ったら、唇を噛みしめた変な表情になってしまったような気がする。
 その言葉はつまり、太刀川にバレていたということだ。多分あの、撮影の最中に思い浮かべた煩悩を。撮影中だったからまじまじと顔を見られたわけではないはずなのだが、何で分かられてしまったのだろうと妙に焦る。この人は時々、動物的と言うほどに謎に鋭い時がある。
「……いやここスタジオ、」
 咄嗟に出てきたのはそんな言葉だった。しらばっくれることも否定することもできなかったのは、つまり図星であると太刀川に伝えているも同義だったと言ってから気付く。
 ああやっぱり、おれはちょっと昨日から変に浮かれてしまっているのかもしれない。だからこんな迂闊なミスをやらかす。
「見られるの嫌だったら、人が来ないか視とけよ。得意だろ」
 太刀川は楽しそうな声でそんなことを言って、再び歩き始める。手を繋いでいるので太刀川が歩けば迅も引っ張られるような形になり、つんのめらないように迅も慌てて太刀川の後を追いかけた。
 太刀川の手のひらは大きくてごつごつとしていて、だけど意外なほど柔らかさもあって、そして迅よりも温度が高く感じる。繋いだ部分に一度意識を向けてしまえばそこからじわりと体温が上がっていくような心地になって、手のひらに汗をかいてしまわないように迅は内心で祈る羽目になってしまった。
 ずっと知っていたはずの人だ。なのにどうして、こんな些細な触れ合いにいちいち感情が動かされてしまうのか自分でも不思議なほどだった。トリオン体の身体のことは、その体がどう弧月を操ってどう戦場で立ち回るのかは誰より深く知っていても、この人の生身の身体のことはまだ全然知らないのだということを知る。
 だから知りたかった。触れてみたかった。だというのにその温度に一度触れてしまえば、また、もっと、なんて強欲になる自分のことを、おれは昨日まで知らなかったんだ。
 階段を降りながら、太刀川が再び口を開いた。まるで歌うようなご機嫌な口調で迅に言う。
「俺も繋ぎたかったしなー」
 太刀川の足が階段の最後の一段を降りる音が響いたのと、今度こそ自分の体温がぐんと上がる感覚がしたのは同時だった。
 思わず、繋いだ手にぐっと力を込める。歩こうとした太刀川がおっと、とそれで立ち止まって迅の方を振り返るのが分かった。なんだか顔を合わせられなくて迅は俯いたまま、ゆっくりと口を開く。
「太刀川さん」
「ん?」
「このあと空いてる?」
「おう。なんだ? ランク戦か?」
 途端に太刀川がまるで子どもみたいにわくわくとした気配を出し始めるので、迅は思わず笑ってしまいそうになった。この人のこういうところは本当に変わらなくて、おれもずっと、変わらずこの人のこういうところがすごく好きだった。
 これまでだったら自分は太刀川の言葉にすぐ頷いていただろう。だけど。
「それもいいけど」
 迅はそう言って、一度言葉を切る。顔を上げると、太刀川は迅をじっと見つめていた。
 迅を見つめるその表情は楽しそうで、うれしそうなのを隠す気もない様子で、心臓がまた小さく音を立てる。太刀川のこういう表情もずっと知っていた――はずなのに、それらとは少し違うような気もした。
 この表情の意味はなんだろうと思って、それがおれと同じだったらいい、なんて思う。気恥ずかしいけれど、付き合いたてのカップルってそういうもんなんじゃないの。分かんないけど。だって恥ずかしながら、こんなに人を好きになるのも、誰かと真剣に付き合うのも、おれはこれが初めてなんだ。
 視線を絡める。太刀川は逸らさない。その瞳の真ん中に自分だけが映っているのを見つめながら、迅はゆっくりと息を吸う。
「太刀川さんちは、どう?」
 手のひらに、指に、繋いだ太刀川の温度を感じていた。これだけで、嬉しい。でもこれだけじゃ、もう満足しきれない。もっとこの人に、もっとこの人のやわらかいところにまで、全部触れてみたかった。
 言い終わった後、少しだけ口が渇いているのを自覚した。建物の中で空調はよく効いているから暑いはずもなくて、だからこれは緊張のせいだろうと分かる。
 迅の言葉を受け取った太刀川が、こちらをまっすぐに見る。目を逸らしたら負けな気がして迅も逸らさずに見つめ返していると、太刀川が返事をする前に未来視が視界の隅を過ぎった。咄嗟に詳しいことまでは見ないように気を逸らしたけれど、その一瞬の映像で太刀川の返事は予想がついてしまう。
 途端に実感が襲ってきて、今度こそ手に汗が滲む。しかしそれを恥ずかしがる余裕も、さらりと手を離してみせる殊勝さも今のおれは持ち合わせてはいなかった。
 太刀川は元々楽しそうだった顔を、さらに楽しげに笑みを深くして迅に言う。
「いいぞ」
 そう言って握り返してくるその手の強さも、どこかやわらかいその声色も、太刀川の上機嫌な瞳の奥に灯る見たことのない色も、未来視よりもずっと鮮明に迅の目の前に現れる。どうしよう、家まで待てないかもしれないなんてことを咄嗟に思ってしまって、そんな急いている自分がらしくない、それを誤魔化すように迅は「……うん、じゃあ帰ろ」と言って太刀川の手を引いた。



(2022年9月18日初出)






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