chain of
何と言って切り出すかしばらく迷っていたが、結局この人には直球でいくしかないだろう、という結論に至る。風呂上がりでリビングに戻ってきた太刀川を「太刀川さん」とソファに呼んで、素直に隣に座った彼に迅は手元に用意していた小さな箱をずいと差し出した。
箱を見た太刀川がきょとんとした表情をするのを見て今更に少し恥ずかしいような気持ちになってくるが、しかしもう引くこともできない。だからそのままの体勢で太刀川に促す。
「開けてみてよ」
太刀川はそんな迅を見てから再び箱に視線を戻して、「わかった」とその箱を受け取る。シックな紺色の蓋を迅に言われるまま開けた太刀川が、中身を見てぱちくりと目を瞬かせる。そのさまを迅はらしくもなくドキドキと心臓の鼓動を少し早めながら見ていた。
「……今日、何かの記念日かなんかだっけ?」
そう首を傾げる太刀川に、「いや」と首を横に振る。予想できた反応。だからこそ少しだけ居たたまれなさがあるのだった。不思議そうな顔をしている太刀川に向けて、迅は口を開く。
「そういうわけじゃないんだけど、……今日玉狛の近くの、最近ボーダーのスポンサーになったジュエリーショップに行ってさ――」
ボーダーが対近界を掲げる軍事組織から近界との協調を主目的とする組織として表向きにも大きく方向転換をして以降、最初こそ多少の混乱や動揺はボーダー内外にみられたものの結果としてまたボーダーのスポンサーは多く増えた。件のジュエリーショップもその一つだ。
既に唐沢たち本部の営業部が既に挨拶は済ませているはずだが、支部はその地域とボーダーの窓口になることも大事な役割のひとつである。玉狛の支部長補佐――実質的な次期支部長という立場として、迅も軽く挨拶に出向くこととなったのが今日の昼下がりのことだった。
応対してくれたのは品の良い落ち着いた年頃の女性の店長で、つつがなく挨拶を終えて去ろうとしたとき迅は何気なく店頭のカウンターにディスプレイされている商品に目が行った。一番目立つ位置に大きく展開されているのが、星座をモチーフにしたネックレスだ。星座のマークのペンダントトップに、アクセントとしてきらきらと光を受けて輝く小さな宝石が埋め込まれている。
その中でもそれを見つけてしまった時、迅の視線の動きが止まった。
「気になりますか?」
すかさず聞かれ、はっとして「ああ、いや」と咄嗟に言葉を濁してしまう。こういうところを見逃さないのは流石プロだなと思いながら迅は言葉を続けた。
「きれいだなと思って。星座のモチーフは良いですよね」
「ええ、大切な方へのプレゼントとしてもご好評を頂いています」
そう微笑まれて小さく苦笑する。ちらりと視線を動かした彼女がこちらの左手の薬指に気付いたことが分かったからだ。
少しだけ考える。ボーダー玉狛支部の代表として来ているという心証面を気にするところもないではないが、しかしそれは言い方次第でどうとでもなる。そのあたりを上手くやる自信はあったし、向こうだって押し売りめいたことをするつもりはないだろう。
しかしそれ以上に、素直にそのネックレスに心惹かれている自分がいた。正確にはネックレス自体というよりも、そのモチーフからつい彼の姿を連想してしまったからだ。
「……パートナーが、おおかみ座なんです」
そういえば太刀川さんおおかみ座だったな、とそのネックレスを見て不意に思い出してしまった。
誕生日は覚えていたとしても別に占いが好きなわけでもなし、大抵の人に対しては正直星座まではぱっと出てこない。だが太刀川の星座を覚えていたのは、大昔、まだ互いに高校生だった頃。誕生日を教えてもらった時に「おおかみ座なんだ。似合うだろ?」だなんて今より少しだけ幼い顔をした彼が楽しそうにどや顔で言っていたのが、いやに印象に残っていたからだった。
それにこの宝石の色。おおかみ座で、しかもこの色となれば――かつての隊服姿の彼の姿が脳裏に浮かんでしまって、条件反射のように気持ちが疼いてしまったのだ。
迅の言葉を受け取った店長は、ぱっと表情を一段階明るくする。
「そうなんですね。こちら本体と宝石の色もお選びいただけるんですが――」
こちらが本気で購入を検討していることを察したのだろう。すぐに営業トークに入る彼女の話に頷きながら、あのひとのことになるとおれも大概単純だよなあと呆れて、しかしそんな自分がどうにも嫌では無いのだから余計に厄介で、迅は内心でまた苦笑を零してしまったのだった。
衝動買いのように思わず買ってしまったそれの経緯をかいつまんで話すと、太刀川の表情が不思議そうなそれからにやにやと口角が緩んだ嬉しそうなものに変わる。
予測できた反応だった。未来視が薄らいでいたって分かった。太刀川があんまり嬉しそうなのを隠さないので余計に気恥ずかしさがじわりと足元から上ってくるような心地になるけれど、しかしそれも分かった上で買ってきたのだ。
購入したのは結局ディスプレイされていたものと同じ、本体はシルバー、ペンダントトップに赤の石が埋め込まれたネックレスだ。流石に値段相応に宝石はいいものらしく、部屋のごくありふれた明かりでもきらきらと控えめでありながらも美しく光っている。
太刀川と、赤。すらりとした黒のロングコートに印象的に入ったその色は今でも目に焼き付いている。飽きるほどに相対して、でもひとつも飽きやしなかった。
かつて内心で憧れた、焦がれた、だからこそ誰より超したかった姿。
最近は互いにめっきりスーツ姿ばかりで、模擬戦もなかなかできていないのであまり見られてはいない。だからこそ余計に、この色に変に執着してしまったのかもしれない。
「おおかみ座、と」
箱に入ったままのネックレスのペンダントトップを手の上に乗せて、それをじっと見つめながら太刀川が言う。
「赤」
赤色の宝石をきらりと光に翳すようにしながらぽつりと零されたその言葉に、迅の心臓はどきりと跳ねた。
星座のくだりについては話したが、この色を選んだ理由までは言っていない。だというのに、ほんとこの人変なとこ鋭いんだよなあと内心で舌を巻く。
「……迅」
顔を上げて再びこちらを見た太刀川は、いたずらっ子みたいな顔で目を細めて笑っていた。
「なに」
この人が次に言うことなんて考えずとも分かったけれど、あえてとぼけた返事をしてみせる。
「おまえ、俺のこと好きだよな」
「……そうだよ」
今更否定するまでもない。素直に頷いてみせると、太刀川はにまりと口の端をさらにつり上げる。ただ嬉しそうなその顔を見ていればつい、そういうとこほんとずるいよなぁとこちらも恥ずかしさ以上に嬉しさの方が勝ってしまうから、表情を変に緩ませないようにするのに苦労してしまった。
「迅くんがそんなに俺の隊服姿が好きだとはなあ~。そんなに見たいなら今度模擬戦やろうぜ? 久々に。つーか明日やろう明日」
太刀川隊は現在は隊としては解散となっているが、太刀川の戦闘体にプログラムされている隊服は今も同じだ。甘い誘惑に心が傾きかけるも、いや待て、とすぐに現実的な問題に気を取り直す。明日って。相変わらずこの人はこういうときにはせっかちだ。
「や、書類溜まってるって言ってなかったっけ? 太刀川のところで止まってるって、今日会ったとき二宮さんが苛ついてたけど」
「……それはそれ、これはこれだよ」
「放っといても書類は片付かないんだよ、太刀川さん」
迅の指摘に、太刀川は途端に目を泳がせる。ただの防衛隊員から次期幹部として日々書類仕事にも追われるようになって数年、意外と言うべきか納得と言うべきか、太刀川は大抵の仕事は基本的にきっちりできる。だというのに書類をギリギリまで溜め込む癖だけは昔と大して変わっていないのだからおかしい。迅だって書類仕事よりは外に出たり体を動かしたりする方が好きなので、その気持ちは分からないではないが。
「ん」
そんなことを考えていると、太刀川が少し屈むようにしてぐいと首をこちらに突き出してきた。なんだ、と一瞬思っていたら、軽い上目遣いでこちらを見上げた太刀川が言う。
「折角ならつけてくれよ。俺に似合うと思って買ってくれたんだろ?」
この人話逸らしたな、という気持ちと、あーもうずるい、かわいいな、という気持ちがない交ぜになってすぐに後者が勝つ。そんな可愛げのある甘えをみせてくれるのも、普段はなかなか見られない上目遣いも、こっちの思いも分かってそうやって上機嫌になるところも、全部が迅の心臓の鼓動を早くさせた。
「……あんたほーんと、おれへの殺し文句が上手いよね」
「殺すなら言葉より弧月でやりたいけどな。だから模擬戦――」
「今溜めてる書類全部終わらせたらね!」
迅がそう念押しをすると、太刀川は眉間に軽く皺を寄せる。
「あーくそ、そう言われたらやるしかなくなるだろ」
「おれでやる気出してくれるのは嬉しいよ」
言いながら、太刀川が差し出してくれたネックレスの箱を再び受け取る。こういったアクセサリーには慣れていないので台座からネックレスを外すのに少しだけ手間取ってしまったが、どうにか外して空箱はすぐ横のローテーブルに置いた。
金具を外してチェーンの部分を広げ、再び太刀川に向き直る。太刀川は先ほどの姿勢のまま、素直に迅にネックレスをつけてもらうのを待っていた。
無防備に迅に任せて待つその姿に、みょうに独占欲が疼く。
許されている。求められている。
そのことが、どれだけ付き合いが長くなろうと、変わらずにずっと嬉しい。
太刀川の首に手を回して、軽く抱き込むような体勢でネックレスのチェーンを通す。首の後ろで金具を留めようとして、また少し苦戦した。こういう華奢なネックレスの金具は小さくて、人につけるのだって結構難易度が高いのだと知る。もう少しスマートにできると思っていたのだが、いかんせんこういう経験値は足りていない。人とこういう深い関係になるのは太刀川が初めてだったし、多分これからもただ一人だけなので。
どうにか焦りを表情に出すことなく金具を留めて、太刀川に「つけたよ」と言いながら体を離す。言われた太刀川は首元を見下ろしてペンダントトップに指で遊ぶように触れた後、顔を上げてこちらを見た。
「さんきゅー」
そう微笑んだ顔がいやにかわいかったから。いや、世間的にかわいいかは分からないが、少なくともおれにはとてもかわいいように見えてしまったので、「うん」と頷いてからすぐそばにあった頬に唇で軽く触れる。
そうしたらすぐに「こっちだろ」と言って悪戯っぽく笑った太刀川に後頭部を引っ張られて、しっかりと唇の方を奪われてしまったのだった。
◇
「――だな。じゃあそんな感じで」
「うん。詳細な資料はまたメールで送るよ」
とんとんと来馬が用意してくれた紙の資料を机で整えて、太刀川はそれを足元のカバンに仕舞う。
ボーダーに本格的に就職し、運営の中枢部分に関わるようになってからは堅苦しい打ち合わせや会議もどっと増えてどうにも肩が凝るのだが、少し前に鈴鳴支部長に就任した来馬との打ち合わせはいつもとても気楽で助かっている。互いに元々戦闘員同士であり同級生でもある、ということもあるし、来馬の温厚な人柄による部分も大きい。それに来馬は頭も良いから、なにかと話が早いのも良かった。
鈴鳴支部の応接間の座り心地の良いソファから立ちあがってカバンを手に持とうとした時、ボールペンを手に持ったままであることを思い出した。おっと、と思って芯をノックして戻し胸ポケットに仕舞おうとした時、うっかり手が滑ってポケットに入る直前にそれが床に吸い込まれるみたいに落ちていってしまう。
「ありゃ」
「わ」
二人の声が重なった直後、カツン、とペンが綺麗に掃除が行き届いた床の上に音を立てて落ちる。一回転近く転がって止まったペンを拾い上げようと太刀川は屈む。
と――その拍子にスーツのシャツの下から、仕舞っていたネックレスがしゃらりと落ちてくるのが分かった。
「あ」
やべ、と反射的に思ってから、まあ来馬しかいないし大丈夫かとすぐに思い直す。体を起こして拾い上げたペンを胸ポケットに戻した後、零れ落ちたネックレスをのんびりとまたシャツの下に戻した。そんな一部始終を待っていてくれた来馬を見て、太刀川は聞いてみる。
「ボーダーって装飾品禁止だっけ? 今更だけど」
わざわざ言われたことはないが、若いやつの多い防衛隊員はともかく本部運営の職員たちがアクセサリーをつけているのは思えばあまり印象にない。自分がそういうものに疎いから気付いていなかったという可能性は大いにあるけれど。ボーダーの就業規定集というのもそういえばボーダーに正式に就職すると決まった時に忍田から貰ったような記憶がうっすらとあるが、当然ほとんど読まないまま仕舞い込んでしまったのだった。
来馬は太刀川の質問にうーんと真面目そうに首をひねった後口を開く。
「明確な規定はなかったと思うけど……でも珍しいね」
「そうか?」
「アクセサリーとかしてるの、あんまり見たことなかったから。あ、指輪は別だけどさ」
「あー。まあ、そうか」
確かにな、と思って顎髭に手をやる。自分の左手にはシンプルなシルバーの指輪が嵌められているが、確かにそれ以外の装飾品をこれまで身につけた覚えはない。
この指輪というのもしばらく前、籍を入れた後迅と揃いで買ったものだった。それ以降、基本的にはこの指輪はずっとつけている。指輪なんてつける習慣はなかったから最初は違和感があるかと思ったが、つけ続けていたらいつしかすっかり慣れていた。
昨日のことを思い出せば、楽しくて口角が自然と緩みそうになる。そうしたらなんだか、人に話したい気分になってしまった。風間や二宮あたりに自慢したってうざがられそうだし、迅にもあんまそーいうこと言いふらさないでよと照れたような困ったような顔で言われてしまいそうだが、来馬ならいいだろうなんて勝手に判断する。
「
迅が突然ネックレスなんてものを贈ってきたのは昨日の夜のことだった。
互いに元々装飾品にもこまめなプレゼントにも大して興味は無い性質だ。だから迅が急にこういう類のプレゼントをしてくるのは珍しくて受け取ったときは少し驚きはしたものの、つい俺のことを思い出したなんて言って、しかもわざわざ赤い石がついたネックレスを選んでくるあたりにあの男の可愛げが見えて、嬉しく思わないなんてはずがなかった。だからついそんな昨日の楽しい思いを引きずって、シャツの下にネックレスをつけてなんてしてみたのだった。
(それに、ネックレスのプレゼントってのがな)
そう思って、またにまりと小さく笑ってしまう。
それは数年前、まだボーダーが対近界民の防衛の最前線で、自分もまだ第一線で戦闘や遠征に日々出ていた頃のこと。定期的に諏訪隊室で開催されていた麻雀にたまたま参加していた小佐野が、何かの話の流れでネックレスのプレゼントの心理について言っていたのを久しぶりに思い出したのだ。迅はそんなこと知っているかは知らないし、あえて教えてもやらなかったけれど。
――束縛、独占。
迅にもし言えば、そんなつもりじゃないと顔を赤くして否定するかもしれない。いや、今の迅ならむしろ開き直って肯定する可能性もあるか、とも思い直す。まあどちらにせよ、確かに迅という男はふらふらと自由に見せて俺に対してだけはそういうところがあるやつだともう短くもなくなった付き合いで知っているので、なるほどなあとにやにやと表情を緩めずにはいられなかったのだ。本人に自覚があるかは知らないが、思えば昔からそうだった。なんならこういう関係になるより前、きっと、――あいつが俺を殺すためだけに
「そっか」
わざと自慢したことが分かったのだろう。太刀川の言葉を受けた来馬は少しだけ苦笑交じりに、しかしいつもの人の好さそうな顔で笑う。固有名詞を出さなくても、来馬には誰のことを指しているのかしっかり伝わったようだった。
自分と迅の関係はもう隠してはいない。付き合っている頃は迅の希望でごく近しい相手にしか話していなかった――というか、風間さんあたりは勘がよすぎて勝手にバレたという感じだったのだが――けれど、籍を入れたことをきっかけに迅ももうこそこそする気はなくなったようだった。別に普段からひけらかすことはあまりないが、揃いの指輪だって互いにいつもつけているし、聞かれれば別に誤魔化すこともない。それはもうただの事実だからだ。だから今や自分たちの関係は、すっかりボーダー中が知るところとなっていた。
「幸せそうでなによりだよ」
何の含みもない、来馬らしい素直な祝福。言わせたみたいになっちまったなとは思うが、しかしそうやって言われるのは素直に嬉しく思う。来馬にそう言葉にされて、確かに、間違いなくそうだなと思ったからだ。
太刀川は「ああ」と充足した気持ちで頷いてからなんだか迅に会いたくなって、あいつの独占欲を一身に浴びたくなんてなってしまって。
だからあいつと模擬戦するために、戻ったらさっさと書類片付けないとなあなんて思って太刀川は内心で肩を竦めるのだった。