my deep green
シャワーを浴びて居室に戻ると、太刀川はベッドの上で既にすやすやと寝息を立てていた。先ほどかいた汗やら何やらを流すためのシャワーはそれほど長い時間では無かったはずなのに、寝付きいいなあ、と迅は思う。そういうところもなんだか太刀川らしく思って迅はふっと表情を和らげたけれど、今夜は少し疲れさせてしまったせいもあるかもしれないと気付けば一人赤面する羽目になってしまった。
太刀川が起きていなくて良かった。起きていたら絶対こんな百面相、からかわれるに決まっている。
眠っている太刀川を起こさないように、照明はつけ直さないことにした。廊下の照明を落とせば一気に暗くなるが、豆電球の明かりだけを頼りにベッドに向かう。いつ来てもお世辞にも片付いているとは言えない部屋だが、暗いこの部屋を転ばずに歩くのもだいぶ慣れたものだった。
太刀川の一人暮らしのこの部屋のベッドはごく普通のシングルベッドなので二人で寝るには狭いが、太刀川が端に詰めて寝てくれているおかげで迅が眠るスペースも確保されている。そんな些細なことを嬉しく思いながら、迅もベッドの中に潜り込んだ。
一度は仰向けに寝転がったけれど、太刀川がこちらに背を向けているのをいいことに、迅はそっと体を動かして太刀川の方を向くように横向きに寝直した。彼女の意外と華奢な背中、呼吸の度小さく上下する肩、そして少し癖のある長い髪がすぐ目の前にあって、迅はじっとそれを見つめてしまった。
起こさないように、そっと手を伸ばす。髪の毛に触れると、迅の少しぱさついたまっすぐなそれとは違う、柔らかい感触が指先に伝わる。
思い出すのは、少し前の夜のことだった。
いつものようにランク戦を終えて二人で本部から帰るときに、太刀川が口にした髪を伸ばした理由。――まさか昔の迅の何気ない一言がきっかけだったなんて、夢にも思わない。
だってあの太刀川が。いつだって自分を持って、揺らがず、自分らしくマイペースに在る彼女が、あの頃迅が何の気なしに言った一言に影響されて髪を伸ばしてみようかと思うなんて。勿論太刀川にとっては強い動機じゃなくなんとなくのきっかけに過ぎないのかもしれないが、それでも。
今思い返しても、新鮮に顔が熱くなる。
(……おればっかり追いかけてるって、思ってたのになあ)
この恋情を自覚するより前、彼女に勝ちたくてスコーピオンを作り上げた時からそうだった。彼女に並び立てる自分で在りたくて、振り向いて欲しくて、おれを見て欲しくて、彼女に影響を与えてやりたくて――自分にとって太刀川という存在が特別なものになっていくにつれ、そんな我儘のような思いはどんどん膨らんでいった。付き合い始めてからだって、太刀川からの思いを疑うわけではないが、付き合い始めてからも相変わらずの太刀川に、自分ばかりが追いかけて必死になっているようで悔しいとすら思ってきたのに。
するりと太刀川の髪を梳く。高校の頃より随分と伸びた髪。――この髪は、あの日のおれの。そう思えば胸をじわりと熱くさせるのは、独占欲か優越感か。
太刀川の髪が好きだ。
黒のようでいて陽の光に照らされると淡く透ける深緑になる色も、ふわふわと柔らかそうな癖毛も、そして戦闘の時に前髪の隙間から覗くきらきらとした目も、グラスホッパーで飛び上がる度風に靡く、弧月で相手を切り落とした後に揺れるその長い髪のシルエットの美しさも、全部。
ずっとそのすべてに惚れ込んで、焦がれていた。
触れた髪を一束摘まんで、唇を寄せる。
(おれのもの、って思っていいかな)
もしそう太刀川に言えば、そうだなと頷いてくれるだろうか。それとも私の髪は私のものだろうと正論でばっさり斬ってくるか。そのどっちだって、迅は構わなかった。
唇で触れる直前、ふっと香ったシャンプーの香りが今の自分と同じ香りであることに気付く。そのことに迅は、ひどく充足した心地になったのだった。