It's my love





『おれ、先帰ってるね』と本部ですれ違いざまに迅が通信を入れてきたのは今日の夕方、遠征艇が基地に帰ってきてすぐのことだ。
 比較的長めの遠征を終えて玄界に帰ってきて、のんびりする暇もなくまずは遠征の報告とトリオン体の簡易的な検査に向かう。本部の地下深くに帰還した遠征艇を出て移動する最中、一般隊員が使うことはあまり多くないような奥まった通路で迅と鉢合わせた。「やー久しぶり、おつかれ」といつもの軽い調子で言った迅が、すれ違う時に太刀川にだけ聞こえるようトリオン体の通信でそんなことを囁いたのだった。
 ちらりと、そばを歩く出水や国近、そして風間隊や冬島隊の面々にばれないように迅の顔を見る。ほんの一瞬絡んだ視線、その瞳の奥に太刀川は確かに熱の欠片のようなものをみた。それを深追いする前に迅はさっさとその場を立ち去ってしまったので、それ以上何かを追求することもなかったのだけれど。

 迅が帰ってるね、と言った先はやはり太刀川の部屋のことだったらしい。迅と太刀川は同棲をしているわけではないが、迅に合鍵は渡しているしいつでも使っていいぞとは再三伝えている。最初はそれについてはどこか遠慮がちだった迅も、最近では太刀川が留守の時でもしれっと部屋に上がっているようになっていた。
 あれこれとやることを終えて、帰宅する頃にはすっかり夜になっていた。遠征に出た頃にはまだ秋らしさが残っていた外の空気もすっかり真冬のそれになっていて、それを見越して隊室に置いていた冬用のコートを着て帰ると、玄関には明かりがついていた。太刀川が玄関のドアを開けるとすぐに奥の部屋から迅が顔を出して「おかえり」と笑う。その顔を見ていたらなんだか急に、遠征の間思い出しもしなかった胸の深い部分が満たされるような、それでいていやに腹が空いていることを自覚させられたような、そんな心地になった。
「ただいま」と太刀川が返事をする頃には迅は目の前にやってきていた。手を伸ばせばすぐに触れられる距離。触れることに、躊躇う理由などなかった。
 太刀川の方が一センチだけ迅よりも身長は高いのだが、玄関を上がったところに立つ今の迅は太刀川より少し高い位置にいる。手を伸ばして、少しだけ背伸びをして迅の唇に触れた。柔らかくて熱い、生身の迅の感触。そう思えばすぐにもっと欲しくなって舌を伸ばした。迅はそれを受け入れて、キスはすぐに深いものになる。
 久しぶりの感触に、気持ちがいい、と頭がじんわり痺れるようだった。迅の熱を感じるたび、遠征の間中すっかり忘れていたはずの欲をまざまざと思い出させられて減った腹を満たそうとするように舌を絡ませる。どのくらいそうしていただろうか。酸素が足りなくなってようやく唇を離せば、静かな部屋の中に二人分の荒い呼吸が落ちた。
「……、熱烈だなぁ」
 そう言ってへらりと口の端をつり上げて笑う迅の唇も頬もじわりと赤い。その青い瞳の奥に本部で見たときよりもずっと確かな熱が宿っているのを見た瞬間、全身の熱がかっと上げさせられたような気がした。強く、欲情したのだ。
 生身の迅に触れて、その温度を知って、帰ってきたんだなという実感が不思議なほどじわりと指先から全身に染み渡っていくような心地になった。軽薄めいているくせに嬉しそうなのを隠しきれていない、熱をもって太刀川を見つめるその目を見ていたら、きっとこいつはあの時視ていたんだろうなと気が付いた。だからあんなふうに、太刀川にだけ聞こえるように囁いたのだ。太刀川自身も自覚していなかった欲を、あの瞬間迅に先に知られていた。ずるいやつだ、と思う気持ちも無いではない。しかしそれも含めて、決して悪い気分ではなかったのだった。

 全てを中に埋めれば、どうしたって内側の質量を強く意識させられる。それも久しぶりの感覚だった。迅の熱も、その形も、全てをくっきりと感じられてそれが性感によるものだけじゃない興奮を連れてきた。はあ、と浅く吐いた自分の息の熱っぽさを自覚する。迅の腹についた手から迅の体温が上がっていること、その肌が汗ばんでいることに気付いて、迅も興奮しているのだと思えば気持ちがまた上向いた。
 迅を見下ろせば、迅もまた太刀川をじっと見つめていた。射貫くような、強い、青いまなざしが性感に浮かされる太刀川の姿を余すところなく見つめる。太刀川の肌の表面を、ぞくりと興奮が駆けていった。
 それは遠征の間、どんなに強い敵と出会った時のことも、どんな未知のトリガーを見た時のことも、到底敵わないほどの。
 一度火がついたら待てなくなって、そのまま雪崩れ込むようにベッドに向かった。迅の上にのしかかって再びキスを仕掛けると、唇が離れた後迅は喉を鳴らして機嫌良さそうに笑ってから太刀川に言った。
「いーよ。今日は、おれのこと好きにして」
 そうわざと太刀川の好きそうな言葉を選んで渡してきたのは、長旅を終えて帰ってきた恋人に対する迅なりの分かりにくい労りとか甘やかしとかそういう類のものだったのだろう。そう気付いたのは、こちらが迅の首筋に唇を落としたときに触れてきた指先がいやに優しいことに気が付いたときのことだった。
 腰を揺らすと内側が擦れて、吐息と共に声が零れた。内側でしか感じられない類の甘くて強烈な性感にぶるりと体が震えて、もっと欲しくなって自分から擦りつけるように動く。迅に見つけられた自分のイイところはもう覚えている。そこを狙って腰を動かして、狙い通りの場所を掠めると「ッあ、ぁ……!」と上擦った自分の声が、結合部からこぼれるローションの水音と一緒に濃密な部屋の空気を揺らした。思わず内側をきゅうと締め付けると、それに比例するみたいに中にいる迅が大きくなるのが分かる。見下ろした迅が少し苦しそうに、気持ちよさそうに眉根を寄せるのを見て、もっと見たいと思って、もっと一緒によくなりたいと思って腰の動きを段々と強くしていく。こうして迅の息づかいを感じるほど近くにいると、迅と繋がっていると、素直に逐一反応が返るのが一緒にしている遊びなのだと実感して嬉しくなった。
 遠く離れた異世界に長いこと行っていたって、その間連絡のひとつも取っていなくたって、寂しいと胸を焦がす夜なんてなかった。遠征は楽しかったし、充実していたし、迅に会いたいとか触れたいとか、そんな欲を思い出さないでもいられたのだ。
 だというのに、久しぶりにその青に見つめられて、その温度に触れて、まったく自覚もしていなかったものを呼び起こされる。自分は腹が減っていたのだと、これがいちばん欲しいものだったのだと、気付かされる。思い出させられる。
 一度知ったら、もう他のものでは満たされることがない。他のどんなものでも替えがきかない、迅だけが太刀川に気付かせて、そして迅だけが満たせる場所。自分の中にそんなものがあるなんていうことを最初に教えてきたのは思い返してみれば高校生の頃、太刀川を本気にさせた、何度も挑んできては飽きもせず一緒に遊んだ今より幾分幼い迅だったのではないか。
 腰を動かすたび内側が擦れて、体の熱が上がっていく。溢れた声はもうひっきりなしになっていた。勃ち上がった太刀川の中心はもうはしたないくらいに先走りを零して幹を伝う。重力に従って落ちていったそれが迅の薄く腹筋のついた腹にぽたぽたと小さな水たまりをつくって、そのさまがひどく淫猥で、熟れた頭はそれにも興奮を煽られるばかりだった。
 恋愛感情、なんてものと自分は比較的縁遠かったように思う。周囲が誰が好きだの、付き合っただの、そういう話をしていてもあまり羨ましいとも思ったことがなかった。恋って結局なんなのか、迅と付き合いだしてからも正直実感としてあまり分かっていなかったところがある。
 けれどこの感情がそうなのかもしれないと、最近は思い始めている。だとしたらこんな感情は、きっと迅以外に対して一生抱くことはないような気がした。それは今よりも子どもで世界が狭かった頃よりも確かに思う。色々なものを見て、知って、自分の世界が広がっていくにつれて、ああこいつしかいないんだろうなというこの思いはより鮮明になっていくのだ。
 中を擦り上げて追い詰められるのと一緒に、中にいる迅も張り詰めていくのがよく分かる。それに自然と太刀川の口角は上がった。熱い。気持ちいい。体が満たされていくのと一緒に、それ以上に自分の内側が満たされていく。
「――、っ、ぁあ……ッ!」
 弱いところを擦れば、その性感が予想よりも強くて思わず体の力が抜けそうになる。迅の腹についた手にぐっと力を入れてどうにか倒れ込まずに済んだけれど、体が前に傾いだ拍子にまた違うところに擦れてまたぶるりと大きく体が震えた。あともう少し、深く突かれたら達してしまうだろうことが分かる。触ってもいない前はさっきよりもどろどろに濡れていた。息を吐いて、迅を見れば、ひどく興奮した目でそんな太刀川を見つめていた。
 視線だけで灼かれてしまいそうだなんて思うほど、欲情を隠しもしないその目にたまらない気持ちにさせられる。
「迅、」
 名前を呼ぶ。目が合っているということは、きっとひどいことになっているだろうこの顔も迅にはバレているのだろう。恥ずかしいと思う気持ちも無いではない。けれどそれすらも嬉しく思ってしまうなんて、自分は随分とこの男に、すっかり絆されてしまったらしい。
「おまえも動いていーぞ。……もっと、奥、突いてくれよ」
 普段であれば、上に乗って最後まで太刀川が主導権を取るのも好きだった。迅に乗っかられてもひっくり返そうとすることもしばしばあるし、迅だってそんな太刀川を知っていて今夜はあの負けず嫌いの男にしてはひどく珍しく「好きにしていい」だなんて太刀川を甘やかしたのだろう。
 それだって悪くないし、好きだ。だけど今夜はなんだかそれ以上に、この男の自分に向ける熱を、欲を、もっと味わって食らいつくしたいような気分になったのだ。
 迅の手が腰に触れる。汗ばんで熱いその手に、普段は飄々と輪郭を掴ませないようなこの男の生を、かたちを強く感じたような気がした。
 迅の喉仏がごくりと上下して、「うん」と少し掠れた声が返る。その返事を受け取って太刀川が熱っぽい息を吐き出すのとほとんど同時に迅が強く腰を突き上げてきて、堪えようもなく声が零れた。
「ッあ、ああっ、~~!」
 自分で動かすのとは違う、予測のできない容赦ない動きに強い快楽が全身を駆ける。先端からとろりと伝った雫がまた迅の腹を濡らして汚していく。もはや太刀川以上に太刀川の体を知っている迅は的確に太刀川を追い詰めていって、快楽に目の前がちかちかと白んだ。限界が近い。手加減なんてできずに中を締め付けてしまうから、迅の呼吸も忙しなく荒くなっていくのを感じていた。
「ね、……気持ちい?」
 汗だくで、目を細めていやらしく笑った迅がそんなことを聞く。見れば分かるだろうと笑い飛ばしてやりたくなったが、また奥を突かれて返事はうまく言葉にならなかった。余裕ぶってこちらに譲歩してみせたくせに、一度許可が下りたら容赦なくこちらを追い詰めてくるのが迅らしい。しかしそれも太刀川のリクエスト通りなのだった。
 もはやこちらから腰を動かす余裕もなくなってきて、迅から与えられる快楽を甘受する。迅も限界が近いようで、時々呼吸に混じって噛み殺しきれない甘い声を漏らすのがかわいらしかった。
「すきだよ、太刀川さん」
 迅の熱っぽい声が、鼓膜を揺らす。その切実さすら感じる響きに、胸の内が、腹の奥が満たされるのが分かる。後ろを締め付ける力も思わず強くなって、迅がへらりとやわらかく笑った。
「大好き」
 かっこつけで意地っ張りな男の素直な言葉に、こんなに嬉しく思う自分が面白かった。その後はひっきりなしの呼吸の音と、水音と、自分の喘ぎ声ばかりが部屋の中に響いて、迅がぐんと押しつけるように一番深くまで突き上げてくれば、止めようもないほどの強い快楽に押し流されて太刀川は白濁を吐き出す。それとほとんど同時に迅も太刀川の中で達して、内側に熱いものが注がれる感覚に太刀川は小さく体を震わせた。
 体の力が抜けて、上半身を支えられなくなって迅の上にへたり込む。そうしたら迅の手が太刀川の髪に触れて、宥めるようにゆっくりと髪を撫でてくる。その手つきの優しさが普段の飄々とした迅の様子からは考えられないくらいで、迅のこちらに対する感情が伝わってくるようで、少しの気恥ずかしさとともにかわいいやつだと、まだふわふわと揺蕩う思考の中で太刀川は思うのだった。





 結局なんだかんだと明け方近くまで熱を交わして、落ちるように眠って目が覚めたのは昼時もとうに過ぎた時間だった。意識が浮上して部屋の明るさに一度目を細めてから、随分と深く眠っていたようだと自覚する。それとほとんど同時に昨夜のことを思い出して、まあ遠征帰りに朝までヤればなあ、と思って少し笑いそうになってしまった。
「あ、起きた? おはよう」
 こちらが起きたことに気付いた迅がそう言ってベッドに近づいてくる。
「ん、すげー寝たな。おはよう」
「体、どう?」
 ベッドサイドに座った迅に少し控えめな声音で聞かれて一瞬何のことかと意味を掴みかねたが、昨夜無理をさせすぎてないか、という意味だと少し遅れて気付く。体を起こしながら自分の体調を確認したけれど、多少腰が重いくらいで特に問題はなさそうだ。そして昨夜後処理もろくにしていなかったような気がしたが体にどろどろについていたであろうあれこれがすっかりきれいに拭われていることにも気付いて、迅がしてくれたのだろうと目の前の男にいじらしさのようなものを感じるのだった。
「問題ないな」
 そう返せば、迅はほっとしたのとなぜか困ったようなのとが混ざった表情で眉を下げる。
「ほんと丈夫だよね……」
「褒めてくれてありがとな」
「安心はするよね、男としてはちょっと悔しいけど」
 まあ問題ないならよかったよ、と迅が肩をすくめて苦笑する。
「今日買い出ししないと食べるものないでしょ? 手伝うよ」
「お、さんきゅー」
 長い間遠征に行っていたので、乾麺などのように賞味期限の長いもの以外家に食材がほぼ無いのだ。迅もそれは承知しているので、話が早い。ベッドから降りて、流石にシャワーくらいは浴びたいとクローゼットから適当な下着と衣服を出してシャワーに向かった。
 ざっとシャワーを浴びて出ると、迅が「いつものスーパー?」と聞いてくる。
「そうだな。あと帰りに商店街の肉屋も寄りたい。夕飯のコロッケ買う」
「りょーかい。揚げたての時間視とくよ」
「助かる」
 迅の言葉に返事をしながら、太刀川は小さくくっと笑ってしまった。普段、明日の天気はどうだとか単位が取れそうか教えてくれとか聞けばそんなどうでもいいことにおれのサイドエフェクト使わないでよと言うくせに、時々自分からこういうサイドエフェクトの使い方をしてくるのだからおかしい。
 財布とトリガーとスマホをポケットに突っ込んで、迅と連れ立って玄関に向かう。半歩先を歩く迅のうなじからふっと自分のものと同じシャンプーのにおいが香って、それに妙に満たされるこの感情は、きっと恋心というやつからきているのだろうなと自分を俯瞰して思う。
 四六時中一緒にいなきゃ嫌だなんて、そんなことは思わない。迅には迅の、太刀川には太刀川の時間がある。だけどこうしいてそれぞれに過ごして、仕事柄時には遠く離れて旅をして――そうして帰ってきてまた迅に触れるたび、自分は思い知るんだろうと思う。俺は、この男が好きなんだということを。
 歩きながら太刀川が迅に追いついて、肩が触れた。手の甲もちらりと触れて、そうしてどちらからともなく目が合う。
「手でも繋ぐか?」
 思いつきでそう言ってみると、迅が「いや、それはさすがに」とかぶりを振る。昨日の夜は随分と素直だったのに、素面に戻ればまた照れ屋だ。でもそういうところも嫌いじゃない。
 そうか、と言いながら玄関で並んで靴を履く。
「なんか、上機嫌だね」
 迅に言われて、自覚していなかったのでそうだろうかと考える。確かにそうかもしれないなと思った。顎に手をやって、その理由を考える。
「んー、なんだろうな。楽しいなと思って」
「あんたはだいたいいつも楽しそうじゃん」
 太刀川の言葉に迅はおかしそうに笑う。それもそうか、と思って、太刀川は楽しい気持ちのまま「そうだな」と頷くのだった。





(2023年1月22日初出)






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