spring has come
零れ落ちた桜の花弁が一枚、はらはらと目の前を舞い落ちていく。この桜の木のある角を曲がったら、多分そろそろだ。
春の午後の柔らかな日差しに目を細めながら、迅は頭の中に入っている三門の街並みと未来視で視た彼のいる景色を重ねる。それを辿りながら歩みを進めると、未来視通り。探していた彼の横顔を見つけて、ふっと自分の気持ちが柔らかく緩むのを自覚した。これは彼との『勝負』に勝ったことへの嬉しさだ――と思って、迅は自分の中で静かに納得をする。
「みーつけた」
のんびりとした歩調で近づきながらそう言うと、ちょうど手に持った団子を口に含もうとしたところだった太刀川が顔を上げる。迅の姿を認めて、太刀川がひとつ瞬きをした。
「お、見つかったか」
なんの説明もない迅の言葉に驚くでも不思議がるでもなく、太刀川はすぐに迅の言わんとしていることを理解してそう返してくる。そんなやりとりが心地良く、迅は自然と口元に微笑みを浮かべた。
「こんなところに和菓子屋あったんだ。……あ、店の名前くらいは聞いたことあったかも」
迅はそう、すぐ隣にある和菓子屋を見やって言う。ここは三門の中心街からは少し離れた住宅街なのだが、その中にこぢんまりとした和菓子屋がひっそりと建っていた。店先には美味しそうな団子や饅頭、他にもかわいらしい和菓子が所狭しとディスプレイされている。
「ああ、おまえはあんまこのへん来ないか」
「近くまでは暗躍で来たことあったけどね。玉狛からもちょっと遠いからな~」
なるほど、と頷きながら太刀川は改めて先程食べかけた団子を口に運び、ぱくりと食べる。
「ふぉふぉのひゃんごふまいぞ」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
団子を欲張って二つも一気に口の中に含んだ太刀川は、それをごくんと飲み込んでから「ここの団子うまいぞ」と言い直す。太刀川の手の中の串に刺さった、つやつやとしたタレがかかったみたらし団子は確かにとても美味しそうだ。
さっきから二人でかくれんぼをしていたわけではない。いや、していたのだが、それは迅が勝手に始めたことだった。
たまたま今日の午後は時間があって、たまたま未来視で太刀川の姿が視えたから。それで未来視を辿って、予測して、太刀川を見つける遊びを本人に言わぬまま迅が勝手に始めたのだ。
これは高校生の頃から始まった、太刀川と迅の二人の間だけの遊びでもあった。
高校生の頃――ちょうど今くらいの季節だっただろうか。太刀川に用事があって、少し急いでいたからと未来視を使って太刀川を見つけ出したことがあった。なんで場所が分かったのかと聞かれて、未来視でというのは流石に気を悪くするだろうかというのは言った後ちらりと迅の頭の隅を掠めたが、そんな迅の心配とは裏腹に太刀川の瞳はその言葉を聞くなり不敵に輝いた。
なるほど、じゃあ未来視とのかくれんぼ勝負ってわけだな。そんなことをわくわくと楽しそうな声色で言ってのけた太刀川は、その後迅がちょっとした用があって連絡をしても「未来視で見つけてみろよ」なんて挑戦状を返してくるようになってしまった。それに、なら見つけてやろうとどこか高揚した気分で乗っかっていった自分も自分だ。
――そんなことを繰り返すうちに、迅が太刀川を探し出すというかくれんぼが二人の間だけの遊びとなっていたのだった。始まりの合図なんてものはいつしかなくなって、迅が太刀川を探したい時に勝手に探して、見つかったら迅の勝ち。見つからなかったら太刀川の勝ちというなんともゆるいルールのゲームである。
これでは迅が圧倒的に有利……かと思いきや、太刀川は迅も知らないようなよく分からない細い路地にいたり、さっきまでいた場所から未来視では予測していなかったところにふらっと移動したりなんてしょっちゅうなので、意外と迅が負けることもある。だからこそ、太刀川と遊ぶのは迅にとって、他に代えがたい楽しさがあるのだった。
太刀川はおもむろに自分のズボンの尻ポケットに手をやって、そこに刺していた黒の財布を取り出す。
「見つかっちゃったしな。団子くらいなら奢るぞ」
「え、いいの? 太刀川さん太っ腹~」
丁度、太刀川が団子を食べているのを見てこちらも食べたくなってきていたところだったのだ。太刀川の提案にうきうきとした気分になった迅は、早速店頭のショーケースに近づく。太刀川が食べているのと同じみたらしから、よもぎ、あんこ、三色団子と美味しそうな団子が並んでいて目移りしてしまう。迅が悩んでいると、後ろから太刀川の機嫌良さそうな笑い声が聞こえた。
「なっはっは。もっと言ってくれ。それに」
太刀川はそこで一度言葉を切る。
「おまえ今日誕生日だろ、迅」
はっと顔を上げる。振り向けば太刀川は、にまりと口角を上げて楽しそうに笑っていた。心臓がどきりと大きく跳ねて、その動揺を悟られないように気を配りながら迅は口を開く。
「覚えてたんだ」
「当たり前だろ? ……ってのは言い過ぎだが、まあ今日スマホ見たらさ、今日が誕生日の人って表示されてて。あー今日かって」
最初はわざとらしいほどのどや顔で言った太刀川だったが、続いた言葉に迅は拍子抜けしてしまう。そして先程どきりとしてしまった自分が急に恥ずかしくなってしまった。友達登録しているメッセージアプリの表示か、もしくは出会って間もない頃に赤外線で携帯のアドレスを交換した際に誕生日の情報も一緒に送っていただろうから、それで迅の誕生日が太刀川のスマホに表示されたのだろう。
「覚えてなかったんじゃん」
恥ずかしさを隠すようにそう指摘すれば、太刀川は気にしたふうもなくへらりと笑ったまま続ける。
「いや、今月ってことは覚えてたぞ。日付までは曖昧だったけど」
「あーまあ、太刀川さんだからそんなことだろうとは思ったけど」
「なんだよ失礼だな。それより早く選べよ、どれがいい?」
それでも団子を奢ってはくれるつもりらしい。気のいい人なんだよなあ、とそんな太刀川に恥ずかしさゆえ意地を張る自分がばからしくなってしまって、迅は短く息を吐いて小さく笑った。再びショーケースの中を覗き込んで、少し考えてから迅は指をさして気になった団子を示す。
「じゃー、このあんこのやつで」
「太刀川了解。……あ、ちょっと会計するから団子持っててくれ」
食べかけの団子を手渡されて、まあ会計するには邪魔だろうと迅は素直に受け取る。串が半分ほど覗いたみたらし団子を迅が手持ち無沙汰に眺めているうちに太刀川は会計を済ませ、尻ポケットに財布を戻した後「はい」と迅に買ったばかりの団子を渡してくれた。こちらの手の中の太刀川の団子と交換するような形で迅はそれを受け取る。
「ありがと」
「味わって食えよ。誕生日おめでとう」
「はは。ハタチ最初の奢られだ、ありがたくいただきます」
二人でまた店の脇に戻って、迅は受け取ったばかりの団子を口に含んだ。団子のもちもちとした食感と共に、あんこのほっとするような甘い味が口の中に広がる。
さっき期待して速くなった鼓動はいまだ余韻のように、とくとくと速いペースを刻んでいる。
バレていないといい。この鼓動の速さも、――本当は、誕生日だから太刀川さんの顔を見たくなったんだ、なんて自分の小さな我儘も。
(……やっぱ、そうなんだろうな~)
口の中の団子を咀嚼しながら、迅は心の中で呟く。
なんとなく、気づき始めていた。自分の中のこの人への感情の在り方の変化を。
ランク戦に復帰して数ヶ月、自然な流れみたいにまた昔みたくこの人との距離が近づいた。それは迅にとって単純に嬉しいことだったのだ。この人と居るのは昔から楽しかったから。
一緒に居ると楽しい。それが最初にあってそこから、一緒に居たい、顔が見られたら嬉しい、名前を呼ばれたら何だかそわそわする、になっていって。その感情はもう普通の『友達』の距離感をすっかりはみ出していることに、気付かないふりをし続けるにはもうその感情は育ちすぎてしまったようだった。
(おれは、――好きなんだろうな、太刀川さんのことが)
そう内心で言葉にすると、じわりと耳が熱くなりそうになる。こんなつもりじゃなかった。ただ彼と一緒に居るのが楽しくて、バカやってるのが楽しくて、それだけだったはずなのに。
だというのに今こうして彼がすぐ隣にいるのが嬉しくて、誕生日を気にしてくれたのも嬉しくて、そんな動揺もふわふわとした嬉しさがあっさりと押し流してしまう。そんな浮かれた自分がまた気恥ずかしい。恋って、こんなものだったか。人にそういった好意を抱くのなんてそれこそ保育園くらいぶりのことな気がするし、その頃は恋愛がなんたるかなんてさっぱり分かっていなかったからもうよく分からない。
持て余した感情の行き場に困った迅は、八つ当たりのように太刀川の肩にとんと自分の肩を軽くぶつける。そうしたら太刀川は不思議そうな顔をして、「なんだ?」とみたらし団子を咀嚼しながら聞いてきた。
急にぶつかられたというのに、迅を怒ろうとする様子も不機嫌になる気配すら無い。そういうところを見ればまたどうにも、この人のことを好ましく思うばかりになってしまう。手の中の串に刺さっていたはずの団子はなくなっていて、もう全て太刀川の口の中に収まったらしい。
「別に?」
「ふうん」
理由なんて言いようがなくて迅がそれだけ答えると太刀川は少しだけ探るようにその目を瞬かせてこちらを見たが、すぐに追求する気は失せたらしい。大きな喉仏を上下させて口の中の団子を飲み込み、そうしてから迅に言う。
「で、俺んとこに来たってことは、この後ランク戦できるやつだろ?」
太刀川のその爛々とした目が向けられるのが自分であるということに抱いた満足感を、深追いしないようにしながら迅はわざとらしく生意気な表情を作って太刀川に向き直った。
「まあね。誕生日プレゼントに、ポイントごっそり貰っちゃおうかなって」
「それはできない相談だな」
そんな軽口を叩き合う時間を心地よく思う。未来視が見せる勝率は五分五分。読み切れない未来、それにわくわくと気持ちが疼くなんてこと、おれはこの人に出会うまで知らなかったのだ。
風が吹いて、終わりかけの桜がふわりと舞う。足元に散った花弁が楽しげに踊るように風に吹かれていくのを眺めながら、迅はまた団子を口に含んだ。
甘い味を口の中に感じながら、陽だまりの中で楽しげに口元を緩ませる太刀川と少し未来の仮想空間で弧月を握って不敵に笑う太刀川を交互に眺める。
まだ少しだけ速い鼓動、じわりと上がった体温。だけどそんな余所事を考えていて、ランク戦ができる相手ではないのだ。迅はそう言い訳をして、今はそんな自分を忘れたふりをすることにして、この後どうやって彼に勝ってやろうかということを考えるのに集中し始めたのだった。