花降る頃

 ぴり、と焼け付くような視線を感じた。
 ほんの一瞬のことだ。けれど考えるよりも早く、目で見るよりも早く、その先にあの青い目があると太刀川は確信していた。形式ばった式典の終わりかけ、つい眠くなってしまいそうなうららかな春の気配のするこんな日には似つかわしくないような、温度の高い、物騒な燃えるような目。
 驚いた。しかし同時に、気付いた瞬間、どうしようもなく胸が疼いた。
 それはひどく懐かしい疼きだった。
 音楽に乗せて体育館の出口へとゆっくりとした歩調で退場していく列を乱さないようにしながら、目だけを動かして太刀川は向けられた視線の方を見る。すると思った通りの顔がそこにあった。一学年下のあいつが何組なのか、どこに座っているかなんて全く知らなかったのに、同じ制服を着たこんな大勢の中で迷うことなんてなく見付けられた自分が少し面白く、でも不思議な納得感すらあった。だってあんな目線、間違えようがない。そう太刀川は思う。
 久しぶりだろうと、俺があいつの熱を間違えるはずがない。
 視線がかち合うと向こうは驚いてその青い目を丸くして、しかしその直後、ほんのわずか眉根を寄せた。まるで困ったように、いやそれよりも戸惑ったといったほうが近いかもしれない。――自分から視線を向けておいて、目が合ったら驚くなんて相変わらずよくわからないやつだな、と思う。それとも、今あいつには何かが視えたのかもしれない。それはまだ互いの距離が間違いなく近かった頃にもたまに見た反応だったから。それが何かなんていうのは、太刀川にはやっぱり知ることのできないことだったけれど。
 つい口角を上げそうになってから、今の状況を思い出して慌てて表情を取り繕う。列が進んでしまってあいつの方を見られなくなったのは少し残念だったけれど、不思議なほど清々しいような、わくわくとするような気持ちだった。つい数十分前、壇上に上がって卒業証書を受け取った瞬間よりもよっぽど。
 体育館の出口を出ると、すぐにわっとあちこちで話し声が起こる。列を外れて友達同士で集まって、卒業を惜しむような同級生たちの喧噪をどこか遠くに聞きながら、太刀川は先程の出来事を反芻していた。別に、高校は嫌いだったわけじゃない。けれど卒業に対しての感慨は正直ほとんどなかった。
 それよりも、俺にとっては、ずっと。
 体育館の脇に植えられている桜並木が、桃色の蕾を膨らませているのが見える。その中でもせっかちな桜の木が一本、早くもちらちらと花を咲かせ始めていた。春が近付いている。そういえばあいつが入学した年は、入学式の頃に桜がきれいに咲いていたっけ、なんてずっと忘れていたことを今になって思い出す自分がおかしかった。
 まだひやりと冷たさの残る風が吹いて、太刀川の胸元にピンでつけられた造花をさらさらと揺らす。
 こんな気持ちになったのは、本当に久しぶりのことだった。



 ドアノブを回すと、ぱっと差し込んだあたたかい日差しが肌を優しく包んだ。小さく軋んだ音を立てるドアを閉めて辺りを見回す。最後のホームルームが終わってすぐに教室を出てきたからか、それともこんな日にわざわざここを訪れる生徒もいないからか、屋上は閑散としていた。
 遠く、階下からうっすらと聞こえてくる賑やかな声を聞きながら太刀川は屋上を歩く。三年間使い古して汚れたシューズのゴムが、どこかから飛んできたらしい小石を踏んで小さくざり、と音を立てた。
 今、太刀川が出てきた階段室の裏。死角になっている小さなスペースを覗くと、目的の顔があった。
 青い目がゆっくりと動いて、太刀川を映す。
 約束なんてしていたわけじゃない。確信があったわけでもない。けれど、ここにいる気がしていた。さっき、卒業式の最後に視線が絡んだ時から。
 太刀川は今度こそ、我慢せずににまりと口角を上げた。対して目の前の男は階段室の壁に凭れたまま、まるでかくれんぼに失敗した子どもみたいな、なんとも言えない表情をする。本部で会うときとは違う、黒い学ラン姿だ。
 自分からわざわざここに来ただろうに、この男のこういう機微は相変わらず太刀川には分からない。けれどそれも嫌いなんてわけはなかった。
「よお」
 覗き込むようにしてそう声をかけた後、正面に回り込む。そうして相対すると、迅の身長がいつの間にか自分とほとんど変わらなくなっていることに気が付いた。記憶の中の――まだランク戦に参加していた頃の迅は、太刀川よりもまだ少しだけ背が低かったから。その後も本部の会議などで定期的に顔を合わせることはあったが、今ようやく気が付いた自分に少し驚いてしまった。
 迅は少しだけ迷ったような間の後に、「……太刀川さん」とこちらの名前を呼んだ。
 迅とこうやって二人きりで話をするのも、こんな風に名前を呼ばれるのも、何もかもが懐かしく思えた。
「久しぶりだな? 迅」
 そう言うと目の前の男はひとつ瞬きをして、そうして小さく息を吐いてから再び口を開いた。
「久しぶりだね、太刀川さん。……卒業おめでとう」
「おー、ありがとう」
 そこで会話が途切れる。少しの間静寂が流れた後、迅が何か言いたげに太刀川を見た。しかし迅が一向に話し出さないので、太刀川の方から聞きたかったことを言うことにした。
「さっき」
 太刀川がそう口火を切ると、迅が小さくぴくりと肩を揺らした。それに構わず太刀川は続ける。
「目、合ったよな」
「……何で気付くかな、って思ったよね」
 困ったみたいに迅が言うので、太刀川は思わずくっと笑ってしまった。何でってそんなの、太刀川にとっては当然のことだった。
「気付くだろ。おまえのことなんだから」
「おれのことだから?」
 オウム返しのように聞き返してくる迅に、「ああ」と頷いてみせる。その言葉を受け取った迅は、きゅっと唇を引き結んで、少しの間何かを考えるように黙り込んだ。今度は太刀川は、迅から話し出すのを待ってみる。そうしていると、思ったよりも早く迅が「目が合った時にさ」と口を開いた。
「太刀川さんがここに来る未来が視えたんだ。おれを探して」
 そう言った後、迅がゆっくりと息を吐いた。呼吸を整えるように、同時に何かに観念したかのように。
「……そんなの視ちゃったら、来るしかないじゃん」
 さっき、卒業式で目が合った時の迅の表情と重なった。困ったような、戸惑ったような。――それでいて、どこか嬉しそうでもあるような。
 別に、未来視で太刀川がここに来ることを知ったって、太刀川のことなんて放っていてもよかったはずだ。知ったからといって、迅がここに来なければいけないなんて義務もない。
 だというのに、迅は実際ここに来た。来ることを選んだ。
 俺が迅を探して、ここに来ると知ったから。
 そのことを自分の中でゆっくりと咀嚼しながら、太刀川はじっと迅を見つめる。迅は少し気まずそうな表情になったものの、その視線から逃げようとはしなかった。
 ――一年半ほど前のことだ。迅がS級になったのは。S級になるということはつまり、ランク戦への参加権利を失うということでもあった。
 太刀川が入隊して間もなくランク戦システムが始まってから、太刀川と迅はずっとランク戦で競い合うライバルだった。太刀川がボーダーに入隊してから過ごしてきた時間は、つまりほとんどが迅とランク戦で時間も忘れて戦り合っていた日々と同義だった。本当に楽しくて、自分がこんなに何かに熱中できるなんて自分でも驚いたほどだった。トリガーを使った戦いは太刀川に合っていたこと、それを使って強い相手と競い合うことが楽しかったということもあるが、何よりもそれは相手が迅だったからなのだと思う。それは迅がランク戦を去ってから、より強く実感させられたことだった。
 あれだけ強くて、負けず嫌いで、『太刀川さんあんたに勝つために』と言って新しいトリガーまで作って挑んできてみせた男。ぎらついた、あんなにも温度の高い目を太刀川〝だけ〟に向けてきたのは、あの頃も今でも迅以外にいなかった。
 ランク戦以外の場所でもべたべたしていたわけではないけれど、戦っていないときでも迅とは比較的よくつるんでいた方だったと思う。そんな迅と、S級になってから、ぱったりと会わなくなった。
「S級になってから、ずっと俺のこと避けてたくせに?」
 確信をもってそう太刀川が口にすると、迅はぐっと言葉を詰まらせた。
 ランク戦から外れて本部に来ることが減ったせいだということもあるだろう。しかしそれだけで片付けようとするには不自然なほど、迅と会うことがなくなった。それに、迅のあの性格に、あのサイドエフェクトだ。
 気付いてないと思ってたなんて、ましてそんなつもりはなかったなんて言わせるつもりはなかった。迅は「あー……」とばつが悪そうに言った後、自分の首の後ろを掻いた。
「それは、ごめんって」
 迅がそうくしゃりとした声音で言うものだから、太刀川はすぐに「別に責めたいわけじゃねーよ」と返す。
「だけど、……急に避けられるのは流石にちょっとしばらくモヤモヤした」
 そう言った後に、なんとなく言い方が違うような気がして少し考える。思考を言語化するのはあまり得意な方ではないけれど、頭の中を探して、先程よりもこっちの方がしっくりくるなという言葉を見付けたので太刀川は言い直す。
「モヤモヤっつーか、あれだ、さみしかった」
 太刀川の言葉に、迅が目を瞬かせる。その青い目が零れ落ちそうに思った。何かを言おうと口を開きかけた迅に、今度は制するように「でも」と太刀川は言葉を続ける。
「今日、目が合っただろ。そんでここに来ただろ、おまえは。俺が来るって知ってて。だから、いい」
 迅は開きかけた口をゆっくりと閉じて、太刀川の言葉を聞いていた。そうして、ゆっくりと息を吸ってからそれを吐き出すみたいに迅が言う。
「……、いいの?」
「いい。だっておまえだって色々考えてたんだろ、あの時。だからもういい」
 別に、迅が太刀川のことが嫌になって避けていたわけじゃないだろうことは分かっている。こいつにはこいつの考えとか、思いとか、意地とか、何かいろいろあったからああいう極端な避け方になったんだろうということも分かっている。
 納得はしたつもりだった。ただ、太刀川個人の本音としては、迅がいない日々はいやにさみしく思えた。
 でも今日、迅は、太刀川を見たから。
 太刀川が来ることを知っていて、ここに来ることを選んだから。
 二人の間に静寂が落ちる。風が吹いて、迅の長い前髪をふわりと揺らすのを太刀川は見ていた。
 不意に、手の甲に何かが触れる感触がした。視線を動かしてそちらを見ると、迅の手がわずかに太刀川の手に触れている。迅がなにやら手を動かした拍子に手が当たった、というような、あまりにささやかな触れ方だった。
 偶然触れたのだろうか、とまず太刀川は思う。しかしその手は触れたまま、進むことも退くこともせず、そのままじっと離れていかなかった。
 触れたままの手を少しの間見た後、太刀川が視線を正面に戻す。太刀川が迅を見たときには、迅はもう太刀川の方をまっすぐに見つめていた。
 視線が絡む。いつの間にか迅が壁から背を離して、先程よりも距離が近くなっているということに気付く。
 近くなった、もう高さのほとんど変わらないその青い目の奥。そこにいつかの日に見た、いつしか焦がれるようになった高い温度をみた瞬間、この男にもっと近付きたいという思いが思考よりも感情よりも早く全身を巡った。
 知りたいと思った。触れたいと思った。
 その衝動のような思いに駆られるまま、顔を近付ける。迅は太刀川を見つめたまま、その目を逸らさない。拒みもしない。
 まるでひどく自然な流れのように、唇に唇で触れた。
 外にいるせいか、そこは思ったよりも冷えているように感じた。しかしそれを嫌になんて思わない。迅の唇は、柔らかくて心地が良かった。
 たっぷり数秒そうした後に、太刀川は唇を離す。意外なことに、迅は驚いたり動揺したりした様子はみせなかった。もう、未来視で知っていたのかもしれない。だとしたら、いつからだろうか?
 卒業式で目が合った時から?
 至近距離のまま、じっと見つめ合う。しばらくそうした後に、迅が軽く唇を噛みしめてからゆっくりと口を開いた。
「太刀川さんさ」
「なに」
 返事をして、迅の言葉の続きを待つ。しかし次に迅の口から飛び出してきたのは、予想外の話題だった。
「……彼女。いたんじゃなかったの」
「は?」
 急にそんな話を振られるなんて思ってもいなかったから、思わずそんな声を上げてしまう。
 何で今それだよ、そもそもそれどこ情報だ、と太刀川は心の中で言う。そんな話を迅とこれまでしたこともない。ああでもそういえば――前に彼女といるところを迅に見られたことがあった。しかし、それももう一年以上前のことだ。迅がS級になって少しした頃の話。
「二年の時の話だろ、それ。今はもういねーよ。別れた」
 その時のことだろう、と合点して迅に言うと、迅がぱちくりと目を瞬かせた。
「……そうなんだ」
「三年になってクラス分かれて、自然消滅。向こうも受験勉強忙しそうだったし、俺も遠征とか始まったタイミングだったし」
 迅がS級になって少しして、毎日になんとなく張り合いがなくて内心燻っていた頃。向こうから告白をされて、そうやって好意を寄せられるのは単純に嬉しかった。悪い気はしなかった。
 委員会が同じで、出席番号も近くて、クラスの女子の中では比較的話すことが多い子だった。良い子だって知っていたし、ランク戦ブースに足も遠のきがちで時間も持て余していたし、気を紛らわすと言ったらなんだか言い方はよくないけれど何か新しいことをしてみるにはいい機会かもしれないと思ったのだ。今は分からないけれど、付き合っているうちに好きになれるかもしれないし。そういう感じでもいいかと聞いたら、向こうも頷いてくれたので付き合ってみることになった。
 それなりに楽しかったし、それなりに好きだった。人として。それが恋愛かと聞かれればずっと分からないままだったけれど。
「なあ、今分かったんだけどな」
 触れたままだった手に太刀川がするりと指を絡めると、迅の肩が揺れる。
 至近距離、迅の目の中に自分が映っているのが見える。それだけでこんなにも充足する自分に笑えた。
 今まで良い子で我慢してこられたのが嘘みたいだ。一度近付いてしまえば、もっと近付きたいと思う。一度触れたら、もっと触れてみたいと思う。もっと知りたいと思う。自分の中の欲がとどまることを知らない。
 ようやく知った。他の誰とも恋になれなかった理由。
「俺は多分、おまえがずっと好きだったんだと思う」
 太刀川にこんな気持ちを教えるのは、ずっと、迅悠一ただ一人だけだった。
 太刀川の言葉を受け取った迅が、ぐっと唇を引き結ぶ。頬にじわりと赤みがさした。初めて見る顔だ、と思った。
 その温度に触ってみたくて、半歩近付く。卒業生のお祝いとして太刀川の制服の胸ポケットのところにつけられた造花が、二人の間で擦れてかさりと小さく乾いた音を立てた。
 空いている方の手で、迅の頬に手を伸ばす。と、触れる直前でその手を迅の手に絡め取られた。
 卒業式の時にもみた、高い温度の瞳がこちらを見据える。
 その青が雄弁に、迅の答えを教えていた。




 部屋に入ってドアを閉めると、迅がなんとも困ったような表情になる。どうかしたのかと思って太刀川は視線を向けた。まさか今更やっぱ帰るとか言い出すんじゃないだろうなと一瞬頭をよぎったけれど、太刀川が聞くよりも早く口元に手を当てた迅が呟く。
「……やばい。太刀川さんのにおいがする」
「なんだよ、人がくさいみたいに。においとか自分じゃわかんねーし」
「違うよ。そういうことじゃなくて、太刀川さんの部屋だからさ……、まあいいや、もう」
 そこでようやく迅の表情が、困っているのではなく照れているのだと気が付いた。分かりにくいのか分かりやすいのか、よくわからないやつだと思う。しかし、こうして迅の表情をひとつひとつ知っていくのはなんだか気分が良かった。
 あのまま別れる気にはなれなくて、もっと触れてみたい、学校の屋上ではできないことをしたい――そう明確に言葉にしなくてもお互いに思っていることは明らかだった。迅の家は玉狛だし、そもそも太刀川の家の方が学校から近い。それに太刀川の両親は共働きなので、昼間は誰もいないのだ。だから行き先は自然と太刀川の家になった。
 備え付けのクローゼットに、ベッドと机、それとちょっとした棚を置いたらもういっぱいになるようなこぢんまりとした太刀川の自室。太刀川にとっては慣れきった風景に、迅がいるのがなんだか不思議な感じだった。そういえばまだランク戦でバチバチ戦り合っていた頃にも、迅が太刀川の家に来るということはなかったのだと気付く。
 あの頃、あんなにも近かった気がしていたのに、していなかったことが山ほどあったことを今更になって知った。
 まだ何かぶつぶつ言っている迅のことは放っておいてベッドに座る。それを見た迅が、小さく喉を鳴らしたのが分かった。迅がゆっくりと近付いてきて、太刀川の隣に腰を下ろす。自分以外の体重が乗ったベッドのスプリングが小さく傾くのを感じた。
 目が合うと、今度のキスは迅からだった。唇が重なって、やっぱり柔らかくて気持ちがいいなと思っていると舌先がぬるりと太刀川の唇の表面をなぞる。迅のしたいことを理解して薄く唇を開くと、すぐに迅の舌がそこから押し入ってきた。触れた瞬間はそっと慎重な様子だったのに、こういうところはなんだかランク戦の時のほんの一瞬でも隙を見せたらこちらを食らってやろうとでもするようにとぎらつくあの迅の様子を思い出させられておかしく思った。とどのつまり、そんな迅を太刀川はとても気に入っている。
 深くなりつつあるキスの合間に、太刀川は迅の下肢に手を伸ばす。まだ制服のズボンに包まれたそこを手のひらで包むようにして撫でてみると、迅が大袈裟にびくりと体を震わせた。
「おぉ」
 思わずといったように迅から唇が離れる。「かたくなってる」と思ったままの感想を太刀川が言うと、迅は恥ずかしそうに唇を尖らせた。
「太刀川さん、性急すぎ……」
「このあと防衛任務だから長くはいられないって言ったのおまえだろ」
 それにおまえも人のこと言えないだろ、と心の中で付け足す。あんなふうにエロいキスを仕掛けておいて。勿論太刀川にとってそれが不満なんてわけはないのだけれど。むしろもっと、もっと知りたいと心が疼く。その気持ちのままに、もう一度指先で迅のそこをつつ、形を確かめるようにとなぞると、「そういうことじゃなくて、」と言いかけた迅の口から「っ、ん」と鼻にかかった声が小さく零れた。
「なあ」
 鼻先が触れ合いそうなほどの距離に近付いて、迅の目を覗きこむ。まるでその瞳の奥で確かに揺らめく迅の中の炎に、直接問いかけようとでもするみたいに。
「おまえは俺に触りたいって思わないのか?」
 俺がそう思ってるんだから、おまえもそうだろう、なんて確信を込めて言うと、迅が一瞬言葉に詰まった。ひとつ瞬きをした後、ぐっとその瞳に力が籠もる。太刀川に挑もうとでもするみたいに、鋭く、その奥で高い温度の熱が揺れた。
「思わないわけ、ないじゃん」
 そう言うと、迅が先程の太刀川と同じようにこちらの下肢に手を伸ばしてきた。急だったので、触れた感触にこちらも小さく体を震わせてしまう。迅に触れられたそこは、迅のことをからかってもいられないくらいにはこちらだって熱を集め始めていた。それは布越しとはいえ触れた迅にだって如実に伝わったのだろう、迅がふっと口角を上げる。その表情がいやらしくて、それにまた興奮を煽られてしまった。
 お互いズボンを取り去って、下半身は何も纏わない姿になった。上半身はまだお互い制服を着たままだったので、なんだか冷静になるといやに自分たちの姿が滑稽なように思えてしまう。太刀川がつい笑ってしまうと、むっとした顔になった迅に「太刀川さん、ムード壊さないで」と怒られてしまった。自分たちの間にムードなんて必要なんだろうかと思ってまたおかしく思ったけれど、そう言う迅の声色がいやに真剣だったので、太刀川はそれ以上何も言わないことにした。
 カーテンを開いたままの窓からは、柔らかい太陽の光が差し込んでいる。健康的な春の日差しと、この部屋の中でじわりと膨れあがる濃密な空気がアンバランスに思えた。だけど、今更やっぱりやめようだなんて更々思えない。
 むき出しになったそれに今度は直接触れると、迅の目の青が深くなるのを見て取った。それに満足した気持ちになって、手の中のそれを擦ると迅が短く息を吐く。我慢しきれない、といった様子で小さく甘い声を漏らした迅に太刀川はついにまりと笑ってしまう。
「っは、かわいーな、おまえ」
「かわいいとか、言われたくない、あんたに」
 太刀川の言葉に、すぐに迅は強い口調で返してくる。意地っ張りを丸出しにしたようなその様子に、そういうところがかわいいと思ってしまうということに気付かないのだろうかとおかしかった。自分の気持ちを自覚してから、なんだか急に迅のことがかわいく思える瞬間があって、そんな自分が面白くてならない。
 そんなことを太刀川が考えているとは気付いていないのか、迅がゆっくりと息を吐いてからぽつりと小さく零す。
「人に触られるのとか、初めてだし。どうしたらいいかとか分かんないって」
 独り言のようなその言葉は、しかしこの至近距離だ、太刀川の耳にも届かないはずがなかった。ぱちくりと太刀川が目を瞬かせると、そこで迅がようやくはっとしたような表情になる。
「おまえさ、……童貞?」
 思わず素直に聞いてしまうと、迅がかっと耳を赤くする。
「っ、太刀川さん!」
 迅が鋭い声で、牽制するように太刀川の名前を呼ぶ。しかしその後に何も言葉は続かなくて、この流れで否定しないということはもはや肯定しているのと同義だった。そんな迅に正直かよ、と思ってついまた笑いそうになってしまう。それに迅が初めてこういう触れ合いをする相手が自分であるらしい、ということへの高揚もある――別に迅が初めてだろうとそうでなかろうとどっちだってよかったが、初めて迅がこうやって手を伸ばしてきた相手が太刀川であると思えば気分は悪くないものだ。
 しかし今笑ってしまうと話が変に拗れてしまいそうだと思ったので、それ以上突っ込まれたくなさそうな迅の気持ちを汲んで軽く話題を変えてやることにする。
「俺も人のとかしたことないから、あれだ、強すぎたりしたら言えよ。加減があんまわかんねえ」
 太刀川がそう言うと、迅がじっとこちらを見てくるのに気が付いた。
「……太刀川さんさ」と少しだけ躊躇うように口を開いた迅に、「なんだよ」と返して続きの言葉を待つ。今度は何を考えているのやら、と思っていると、迅は至って真剣な様子で言葉の続きを口にした。
「太刀川さんはしたことあるわけ?」
 そんな問いが投げかけられて、太刀川はほんの一瞬口ごもる。この流れでどう答えたものか、と逡巡してしまったからだ。そんな太刀川を見た迅はすぐに後悔したような顔をした。こちらが何かを言うよりも早く、キスで口を塞がれる。触れて、離れて、正面から視線が絡む。
「……自分で聞いてきたくせに」
「やっぱ聞きたくない。いい」
 迅はそう言ってから、すぐに手の動きを再開させた。わがままなやつだな、とそんな迅に苦笑しかけて、しかしそんな暇もなく少し強いくらいの力加減で先端を擦られて思わず声が零れた。それを聞き逃すわけもなかった迅が、満足げに口角を上げる。そんな迅に煽られて、太刀川も会話の最中に止まりかけていた手を再び動かす。迅が、は、と小さく息を吐いた。
 お互いのものを擦って、扱いて、性感を高め合う。触れ合う度に迅の表情に負けん気が強く滲んで、その青い目の温度が高くなる。それに高揚する。それはかつての日々とどこか重なるようでいて、あの頃の形とは違う。
 ――ランク戦でしか味わえないものはどうしたってあって、それは今この瞬間もなお満たされたわけじゃない。それは迅と刃を合わせないと決して埋まりようのないものだと、太刀川はもう嫌になるほど思い知っている。
 だけどランク戦だってこういう触れ合いだって、迅と張り合って遊ぶのはやっぱり太刀川にとって楽しいことだった。
「ランク戦だから」あんなに楽しかった。それも確かにある。だけど同時に、「迅だから」あんなに楽しかったということも間違いなくあるのだと、この一年半ずっと満たされなかった部分がようやくじわりと満たされていくような心地になって改めて実感させられる。ずっとカラカラだった喉が、ようやく潤されたような。無くしたままだったパズルのピースがようやく嵌められたような。迅に触れると、そんな心地にさせられる。そんな自分を面白いと思う気持ちと、ひどく納得するような気持ちと、両方が太刀川の中で渦巻く。
 迅の吐き出す息が段々と荒くなってきた。こんな風になっている迅を珍しく思って、それに高揚した。興奮させられた。そんな自分だって、負けず劣らず呼吸は乱れている。
 不意に、太刀川の肩に迅が頭を凭れさせた。人間の頭の重みと、吐き出した迅の息の熱さを厚い制服の生地越しにうっすらと感じる。こんな風になる迅を見るのも初めてで、もっと追い詰めて知らない顔をさせてやりたいという気持ちになって太刀川は更に手の動きを激しくする。全体を少し強いくらいの力で扱くと、迅の先端がじわりと透明な液体で濡れたのが分かった。
「っぁ、……は、」
 零れた迅の声に、背筋をぞくぞくとしたものが駆ける。と、そのタイミングで迅がゆっくりと口を開いた。
「……あ、のさ。おれが、S級になったとき」
 熱の籠もった息を零しているくせに、迅が急に脈絡のない話をし出すものだから太刀川は思わず目を小さく見開いて迅を見てしまった。しかし迅は太刀川の肩に額を預けたままなので、その表情は見えない。
「なんだ、っ、急に。今かよ」
 そう返事をすると、迅は顔を上げないまま「今だからだよ。これ終わったら忘れて」と言う。そんな迅に、太刀川はなんなんだとどこか呆れたような気持ちにさせられる。
「俺が素直にハイ忘れますとか、言うと思うか?」
 太刀川の言葉が何かツボにでもはまったのか、迅はくっと声を出して笑った。
「思わない」
 妙に上機嫌にそう言った後、しかし迅は結局話を止める気はないようでそのまま言葉を続けた。
「……太刀川さんとバチバチ戦り合ってたのがあんまり楽しかったから、またやりたいって、戻りたくなるのが怖かった。そんなふうに過去への甘えが自分の中に生まれるのがいやだったんだ」
 だから、太刀川さんに会いたくなかった。迅がゆっくりと零れ落ちるみたいに言った。
 その言葉を受け取った太刀川が何か言葉を紡ぐ前に、迅がついでのように付け足す。
「それに、あのまま近くにいたら、太刀川さんへの気持ちに自分で気付いちゃいそうだったから」
 そんなことを言う迅のことを思えば、手の中の迅の熱がどくどくと脈打つのが先程よりも急に大きく感じられた。太刀川が触れればかわいらしいほどに逐一素直に反応を返してきたそれは、すっかり大きく固く凶暴に育って先走りを滲ませている。
「……それに関しては、結局悪あがきだったってことじゃないか?」
 今度は、太刀川がくっと笑う番だった。太刀川の言葉に、迅もはは、と小さく笑う。自嘲も含んだようなそれは、しかし後悔をしているような様子はなかった。
「なんか、太刀川さん本人に言われるのは癪だなぁ、……っ」
 迅の言葉の途中で、敏感だと知った先端を親指で先走りを塗りつけるみたいに擦ってやると迅の声が分かりやすく上擦る。
 その言葉は結局、ずっと好きだったと告白しているのと同義ではないのか、と思う。迅だってそれに気付いていないわけがないだろう。それを分かっていて、迅は太刀川に伝えることを選んだ。
 そう思えば、この小器用に見えて変なところでひどく愚直な目の前の男を、愛しく思わずにいるなんて無理な話だった。
 触れるごとに知っていった迅の弱いところに何度も触れて、扱いて、手の中の熱を高めていく。それに元来の負けず嫌いが刺激されたのか、誘われるみたいに迅の手の動きも激しくなった。自分でする時とは違う予想の出来ない動きに翻弄されて、それが気持ちよくて、楽しくなって、今こういうことをしている相手は迅なのだという実感をこんなところで連れてくる。「っん、ぁ」「は……っあ」というお互いの吐息と嬌声の間くらいの声と、互いの先走りが立てるぐちゅぐちゅという水音が他に誰もいない静かな家の中にひっきりなしに零れ落ちていった。
「じん、っ。気持ちいいか?」
 そう聞いてみれば、迅は熱に浮かされたような舌っ足らずな声で返してくる。
「ん、……太刀川さんは」
「俺も。そろそろイきそ……」
 太刀川が言うと、太刀川の肩に凭れていた迅の頭が動いた。肩から重さが離れて、角度を変えたことでさらりと揺れた茶色の髪の毛の隙間から見えた耳が赤い。緩慢な動作で迅が顔を上げて、太刀川を見た。
 少し上目遣いになってこちらを見る青い目は、高い熱を湛えたままうっすらと潤んでいる。頬も耳に負けず劣らず上気していて、迅が太刀川の手管に感じていることを手の中の熱だけじゃなくその表情からもまざまざと感じさせられた。
 かわいい、と思った。
 いつも大人ぶって見栄っ張りなこの男がこんなにも余裕がなさそうな顔をしていることに、たまらない興奮が太刀川の中に湧き起こる。しかもそれが太刀川の手によって、だと思うと更にだった。
 迅ともっと気持ちよくなりたい、と衝動のような強い感情が太刀川の頭を揺らした。迅ともっと気持ちいいことをしたい。もっと近付いて、触って、知らなかったところを知って知られて、温度を分け合って、そうして二人でぐずぐずになってしまいたい。
 そう思ったら、止まろうなんて思えなかった。
 元々近かった距離を更にぐっと詰める。驚いたように青い目を見開く迅に構わず、迅の昂ぶった性器に同じくらい固くなった自分のそれを押しつけるみたいにして迅の手ごといっぺんに握りこむ。迅が「な、っ……」と唇をわななかせた。これは視えていなかったのだろうか、と頭の隅で思う。もしかしたら視る余裕もなかったのかもしれない。それならそれで良い気分だった。
「た、ちかわさ……ッ、ん、ぁ」
 ふたつまとめて扱くと敏感に張り詰めた性器同士が直接擦れ合って、ぞわぞわと先程までとはまた全然違う直截な感触に性感が一足飛びで駆け上がっていく。とろとろと手に零れた先走りがどちらのものなのかなんて、すぐに分からなくなってしまった。
「っ、あ、やばいな、これ」
「やばいって、っ……あ、そこ」
「ここか?」
 どこをどう擦ったかなんていちいち覚えていないから勘でしかないけれど、先程の動きをできるだけトレースするように手を動かしてみると迅が素直にぶるりと体を震わせた。
 迅の首の後ろが汗ばんでいる。汗のにおいと混ざり合った迅のにおいが鼻先に香った。男っぽさもあるのにどこかさらっとして、嫌な感じは全くしない。さっき迅が言っていた「太刀川さんのにおいがする」というのはこういう感じだったのかもしれないと思う。
 かつてランク戦で毎日のように戦り合っていた頃は、たまに学校で会うとき以外はほとんど迅はトリオン体だったことに今更気付かされる。迅の温度を、生身の肌の感触を、においを、今になって俺は初めて知ったんだ。
 なんで、触れようとしなかったんだろう。そう不思議にすら思った。迅とすることならきっとなんだって楽しいって、あの時から知っていたはずなのに。
 迅の手も太刀川に負けじと動いて、もう気付かれている太刀川の弱いところに自分の性器を擦りつける。「んぁ、あ……っ」と零れた甘ったるい声が自分のものだと気付いて驚いた。自分の知らない自分を、迅によって引き出されている。迅に余すことなく見られている。現に太刀川が喘いだ時にみっちりと触れ合ったそこが熱を増したことに太刀川だって気付いていた。互いを隠すものなど何もない状態で、こんな風に迅と遊ぶのは、やっぱり太刀川にとって楽しいものだった。
 痛くないように気を付けながら先端に軽く爪を立てるようにしてやると、迅の体がびくりと大きく跳ねた。「っあ、っ!」と迅が零した性感に濡れた声が太刀川の鼓膜を揺らす。限界が近付いて敏感になった状態では、それだけで太刀川の体の熱を上げる十分な要素だった。
 固く反り返って先走りで濡れた二つの性器を、二人分の手が蠢く。太刀川が腰を押しつけるみたいに性器で迅のそれを擦る。それに合わせて手でもお互いに扱きあえば、限界はもうすぐそこだった。
「あ――、……も、っ、むりだ。イく」
「ん、俺ももう……っ」
 言葉の直後に迅が吐精して、追いかけるみたいに太刀川も達した。
 手に纏わり付いた白濁のどろりとした感触と熱さを感じながら、二人で荒い息を吐き出す。静かな部屋の中で、整わない互いの呼吸の音がいやに大きく聞こえた。
 気持ちが良かった。今までに感じたことがないくらい。驚いてしまう。快楽が後を引いて、熱がまだ残っている。
 それもこれも、相手が迅だからだろうか、とまだぼんやりとしたままの頭で考えた。そんな迅はといえば、達した時に力が抜けたのか再び太刀川の肩に凭れている。自分と大して体格の変わらない男の頭はやっぱり少し重いけれど、迅に甘えられているようで、悪い気なんてさらさらしなかった。

 少しの間そうしていたけれど、呼吸が段々と整い始めた頃にとりあえずどろどろになった手をどうにかしようと思って手近にあった太刀川はティッシュボックスに手を伸ばす。ギリギリ手が届いたそれを雑に引き寄せて、適当に何枚か取り出して自分の手を拭った。
「迅」
 まだそのままぼんやりとした様子の迅に、おまえも使うだろ、と言うつもりで名前を呼ぶ。太刀川の声に、迅が顔を上げてこちらを見た。
 絡んだ視線、その青い目の奥で欲を纏った炎がまだ止まず揺れていた。そしてかつての日々で何度も見た――太刀川の大好きな、負けず嫌いの顔を滲ませていて、考えるよりも早くぞくりと太刀川の背中が震える。
「なあ、迅。ティッシュ、……――ッ!」
 迅が屈んだかと思ったら、そのまま太刀川の足の間に顔を埋めた。咄嗟のことに驚いている暇もなく、迅が大きく口を開けて太刀川の性器をぱくりと咥える。
「ぁ、じん、おまえ――ぅ、あ」
 吐き出して萎えたはずのそこを舌でねっとりと舐めあげられて、太腿がぶるりと震えた。一気に喉奥まで咥えこまれると迅は一瞬苦しそうな顔をしたものの、しかし止める気はさらさら無いようだ。
 達したばかりだというのに、先程までの手や性器を擦り合わせるのとはまた違う全体を包む温い温度とざらりとした舌、濡れた口内の感触に、性感をぞわぞわと沸き起こされてそこがまた熱を持ち始めたのが分かる。そのことに流石に少しだけ恥ずかしいような気持ちになったというのに、迅は口の中のそれが大きくなったのを感じてか、咥えたまま小さく口角を上げる。その表情がびっくりするほどいやらしくて、それにまた興奮を煽られてしまう。
 事を始めるときはこっちに性急すぎるなんて言って唇を尖らせてみせたのに、性急なのはどっちだよ、と快楽でちかちかする思考の中で思った。まさかさっき自分がリードできなかったから悔しいとでも思っているのだろうか? 元来ひどく負けず嫌いな迅のことだからあり得る、と思う。
「ん、っ……ぁ、あ」
 太刀川がそんなことを考えている間にも、舐めて、吸われて、持てる手管を惜しみなく使っているというような愛撫で着実に性感を高められていく。太刀川としてはこれまでフェラチオにそこまでそそられたこともなかったが――そもそも、太刀川はそれほど性に対して強い興味はない方だった――なるほど、これはやばい、とどこか冷静な自分が思う。思っていた以上に気持ちがいいし、なにより視覚刺激がやばい。
 あの迅が。いつも飄々として、余裕ぶってへらへらと笑っている男が、粘つくような欲に濡れた目をして、太刀川の股間に顔を埋めてその性器を口に咥えている。
 その光景のみだりがわしさに、太刀川は口の中にいつのまにか溜まっていた唾液をぐっと呑み込んだ。
 迅の舌がねっとりとカリのあたりを舐めてきて、その性感の強さに「っ、く」と声を零す。呼吸が乱されて、たまらなくなって迅の頭に手を伸ばす。迅を甘やかしたいのか、与えられる性感を発散したいのか、自分でも分からないまま髪をくしゃりと撫でると愛撫は止めないまま迅の目がゆっくりとこちらを見上げた。
 ぎらついた、高い温度の青い目が、太刀川を挑むように見据える。
(……あ)
 こいつ、と思った瞬間、衝動のような感情が体の中を駆けて指先までを痺れさせた。迅の口の中にいるそれが質量を増して、急に追い詰まってしまったのを感じる。迅はひとつ瞬きをした後に、しかしすぐに太刀川を更に追い立てるように口の中の動きを激しくした。「ぁ、っあ」と上擦った声が太刀川の口から零れ落ちる。
(こいつ、――俺のこと、抱きたいんだろうな)
 別に迅に言葉で言われたなんてわけじゃないのに、気付いてしまった。その瞳の奥に飼っている情動に。ただの勘、と言われればそうだ。なのに太刀川には確信すらあった。
 だって迅のことだ。自分と迅の間に、理由なんてそれだけでよかった。
 そうか、こいつ、と心の中で反芻する。そう思うと湧き上がるこの感情は、何なのか自分でも分からなかった。戸惑いか、それとも期待なのか? 瞬時にうまく整理できなかったのは、これまで想像をしたことがなかったからだ。しかし少なくとも自分でも不思議なほどに、拒絶の感情はなかった。
「迅、……っ、じん」
 名前を呼ぶと、迅がわずかに目を細めてから再びぐっと太刀川のそれを喉奥までくわえ込んだ。先端が迅の内側の壁に触れる感触があって、それにぞくりとする。強めの力で全体を吸われると、止めようもなく足先まで震えた。それに味をしめたらしい迅が、何度か同じような動きを繰り返す。気持ちいい、もっと触れたい、触れられたい、そんな気持ちが頭の中を渦巻いて、その衝動の発露のように迅の髪を先程よりも少し雑になった手つきで撫でる。いつもきれいに整えている前髪が少し乱れたけれど、迅はゆるりと目尻を緩ませただけで太刀川を止める気はないようだった。
 迅を抱きたいのか、それとも抱かれたいのか。自分でもあまり分からなかった。だけど、迅ともっと深いところまでいきたいのは確かで、迅の欲をもっと見たいのも確かで、それに対する手段はきっと自分はなんだっていいのだろうと思う。
 先程見た迅のものを思い出す。自分とほとんど変わらない――いや、太刀川より少し長さがあったかもしれないそれが、自分の中に果たして入るのだろうか、と思うとうまく想像ができなかった。
 けれど、気付いたときに膨れあがった自分の中の熱が、きっと答えのような気がしていた。
 さっき吐き出したばかりだというのに、いつの間にか太刀川の性器はすっかりまた熱を取り戻していた。固く張り詰めて、限界が近付いているのが分かる。
「ぁ、イく、から。……口離せ、って」
 そう言うと、迅は再び太刀川を見上げる。しかし迅は口を離すことなく、その動きを一層強くしてきた。尖らせた舌で既にまた零れ始めた先走りやら何やらで濡れた先端を嬲られると、背筋をびりびりと快楽が駆ける。呼吸が乱される。
「迅、おまえ……このままだと口に、っう、あ」
 太刀川の言葉を迅は聞こうとせず、畳みかけるみたいに敏感な部分を責めて太刀川を一気に追い詰めていく。……そのつもりなのかよ、あーもう知らねえぞ、と、快楽で白くなる思考の中で太刀川は心の中で呟いた。
「ぁ、あ、……っ!」
 快楽が弾けて、びくりと体が大きく震えた。口の中に吐き出された太刀川の熱を、迅は躊躇う様子もみせずにごくりと飲み込んでみせる。喉仏が上下するのと同時に迅は一瞬眉をしかめたけれど、しかしやめる気はないようで最後まで迅は口を離そうとしなかった。強情なやつ、と思いながら、太刀川は乱された呼吸を整えようと深く息を吸ったのだった。



 互いにズボンを履き直して身支度を整えると、先程までの濃密な空気がゆっくりとした速度で溶けて霧散していくように感じられた。先程の太刀川のせいでくしゃりと乱れた前髪を迅が適当に整えて、「じゃあおれ、そろそろ防衛任務行かなきゃだから」と言う。太刀川はベッドに座ったまま「おう」と返して迅を見る。しかし迅はそのまま、部屋を出て行こうとしなかった。どうかしたのだろうか、と思っていると、迅がじっと太刀川を見つめた後ゆっくりと口を開く。
「……卒業式の時にさ」
 急にそんな話をし出す迅に、なんだろうと思いながら太刀川はとりあえず大人しく聞いてみることにする。
「太刀川さんが、こっちを見る可能性も見ない可能性もあった。見ない可能性の方が高かったかな」
 迅がふっと困ったように、なのにどこか嬉しそうに小さく笑った。
「そういえばあんたってそうだったな、って思って。――ほんと、覆してくれるよね。太刀川さんって」
 窓から差し込む穏やかな日差しに照らされて、迅の青い目がゆるやかに光る。
 それを見た太刀川の口角も自然と上がっていた。そんな太刀川を見て、迅の笑みも深くなる。
「これからも、いくらでも覆してやるよ」
 そう言ってやると、迅がけらけらと今度は声を出して笑った。
「流石だなあ。やってみてよ」
 太刀川の宣戦布告に乗っかるように、迅が挑戦的に目を細めて太刀川を見る。心の奥がわくわくと止めようもなく疼く。この一年半の間、忘れかけていた高揚だった。
 そんな気持ちのまま、ベッドから立ち上がる。迅が瞬きをする。太刀川はそんな迅に構わずまっすぐ迅の方に歩いていって、その頬を両手で挟むようにして触れた。手のひらで触れた迅の体温が心地が良い。
 そのまま迅にキスをする。すると屋上で触れた時とは違って唇が苦くて、先程迅が太刀川の精液を飲んだまま口をゆすいでいないということを今更思い出した。苦、と思わず太刀川は顔をしかめたけれど、しかしキスをしたこと自体に対する後悔は一ミリも沸いてこなかった。
 たっぷり数秒重ねた後、唇を離す。至近距離で、迅の瞳が太刀川を見る。
「残念。これは視えてたよ」
「マジか」
 太刀川が悔しがると、迅が得意気に口元を緩ませる。しかし触れたままのその頬は、うっすらと熱をもっているように感じた。




(2022年2月20日初出)





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