glitter
ひゅう、と風が吹く。首元を撫でるその風の冷たさに、迅は思わず体を縮こまらせた。昼間はぽかぽかと暖かかったはずなのに、夜になって急に気温が下がったらしい。季節の変わり目というのは気温差が激しくていけない。やっぱり換装を解除しなければよかったなんて後悔が頭を過るが、特に理由もなく一日中トリオン体でいるとこれだから寝付きが悪いんだだの生身でちゃんと休めだの周囲から言われてしまうから仕方がない。特に今のように平和――だなんてまだ言えないが、少なくとも目の前の脅威が一旦落ち着き、常に一定以上の警戒をしていなければいけないような状況ではなくなってから。
ボーダー本部から遠ざかり市街地に入っても、もう夜も深い時間になってきたせいで人の影はまばらだ。普段であればしんと寂しい雰囲気を感じるところだが、今夜は違った。
冬の夜の静けさの中、街路樹や建物があちこちできらきらと光っているのを見て、迅は思わず瞬きをする。
「わ、もうそんな季節かあ」
迅が呟くと、隣を歩いていた太刀川も「ん? ああ」と迅の視線を辿って納得したように頷く。
「クリスマスか」
「ね。もう年末……早いな~」
「そういうこと言うのちょっとじじくさいぞ」
「おれより年上の人に言われたくないんだけど」
そう言って迅が太刀川を軽く小突けば、太刀川は気にした風もなく「一歳しか違わないだろ」なんて言って笑い飛ばした。
(まあ、もうそんな季節ならばどおりで寒いわけだ)
そろそろ厚手のコートやマフラーも出すべきか、なんてことを考えながら迅は所狭しと飾られたイルミネーションをぼんやりと眺めて歩く。迅は特別イルミネーションが好きというほどでもないが、普段であれば夜遅くなると人通りも少なくて寂しい印象を与える道も、こうしてきらきらと光っているとなんだか賑やかに感じて、気持ちも多少上向くものだった。
「クリスマスか、玉狛でのプレゼント交換どうしよっかな。いい加減ぼんちはやめろって去年禁止令出されちゃってさ――」
迅がそんなことを言いながら太刀川の方を見れば、隣を歩く太刀川もイルミネーションを眺めていた。そんな太刀川の口元が少し綻んでいることに迅は気付く。しかしその理由が思い当たらず、不思議に思って迅は太刀川に聞いた。
「なんか嬉しそうだね」
「ん?」
そう言われて、今度は太刀川が不思議そうな顔をして迅を見る。そんな太刀川に向けて迅は言葉を続けた。
「太刀川さん、そんなにクリスマスとかイルミネーションとか好きだったっけ? 知らなかったな」
迅に言われて、「……あー」と太刀川は少し考えるような仕草をした。考えるときあごに手をやるのは太刀川の癖だ。親指で自分のひげをなぞるのは、ひげを生やしてからの癖。
「まあ、クリスマスは普通に好きだぞ。美味いもの食えるし、プレゼントも貰えるし、なんかみんな楽しそうだし」
太刀川隊でもプレゼント交換とかあるからなあ、と太刀川が言う。そういえば昔、そんな話を聞いたことがあるようなないような。どうやら今でも続いているらしい。
「でもクリスマス自体じゃなくてな。こーいうイルミネーション見ると、思い出すんだよ。あー、あの時期もこんな感じだったなって」
「あの時期?」
太刀川の言葉に、なんだろうと思って迅はオウム返しのように聞き返した。
太刀川は、なにか冬に特別な思い出でもあるのだろうか。考えはじめた迅を見て、太刀川はどこかおかしそうに小さく笑いながら続ける。
「……遠征から戻ってきたらもうこっちは冬でさ。街の様子見る暇もなく次の作戦に入って、そんで、終わってからの帰り道がこんなふうにきらきら光ってて、それが妙に印象に残ったんだよ」
遠征から、この時期に――。迅が記憶を辿っていると太刀川は迅を覗き込むように見つめて、格子模様の目を細めてにやりと笑う。
「何年か前、このくらいの時期に、おまえがA級に戻ってきただろ」
ぱちり、と迅は目を瞬かせた。そんな迅を見た太刀川は、堪えきれないといったようにくつくつと喉を鳴らして笑う。
「ええ……っと」
その言葉の意味が、分からないはずがない。迅だってあの日のことはよく覚えている。
太刀川たちが遠征から戻ったその足で城戸司令から命を受け、遊真――玉狛の黒トリガーを本部の手中におさめるべく迅と対立することになったあの夜。最終的には迅が風刃を本部に献上することで丸くおさまり、迅はその結果としてS級からA級に戻ることとなったのだった。
A級に戻る――つまり、迅がランク戦への参加資格を取り戻した日。
(……そりゃ、おれにとっても大事な日だったけど)
迅も当然あの日のことを忘れたわけはなかった。太刀川が当時嬉しそうにしていた様子を疑うわけでもない。
けれどこんなに動揺してしまうのは、他でもない太刀川が、そのことを何年も経った今もこんなふうに思いがあるということ――あの時のことを思い出して表情を今でも緩めてしまうくらいにずっと喜んでいるだなんて、迅は予想もしていなかったからだ。
(大抵のことは寝たら忘れるみたいな人だっていうのに)
そんなことを考えていると、太刀川に「……おまえ今なんか失礼なこと考えてないか?」と疑いの目を向けられてしまった。この人は時々妙に鋭いのだ。迅は「別に」とはぐらかしてから、小さく息を吐く。
いつも飄々としているこの人の心の柔らかい部分に触れてしまったようで、少しの気恥ずかしさといたたまれなさを勝手に感じてしまう。しかしそれよりもずっと大きく感じるのは、この人の心にそれほど自分が居座っているのだということへの独占欲のような喜びだった。それを自覚してしまうのもまた、気恥ずかしい。この人を前にすると自分は、いつだってあの頃のわがままな子どもに戻ってしまう。
「……太刀川さんってさ」
「なんだ?」
「案外、おれのこと好きだよね」
そんな気恥ずかしさを誤魔化すように迅はあえて揶揄うような表情をつくって太刀川を見つめ返す。しかしそんな迅を見て、太刀川はまたおかしそうに笑う。
「人をからかう時は、そんなふうに耳赤くしてない方がいいと思うぞ、迅?」
まったく、本当に、ああ言えばこう言う。
そうやって迅の心を良くも悪くもかき乱してくれる、迅にとって太刀川というのは世界で一番厄介な人だ。迅が先程よりも少し強い力で太刀川を小突いても、太刀川はやっぱり楽しそうに笑い飛ばしたのだった。