ウェイティング・フォーユー

 ランク戦ブースに足を踏み入れるのも少し久しぶりになってしまった。
 迅の視線はあの黒い背中を自然と探し、しかし学校が終わった中高生組も到着して賑わう夕方のロビーにその姿は見当たらない。思わず迅は「あれ」と小さく呟く。もう誰かと対戦を始めているのかとも思ったが、ランク戦の様子をリアルタイムで映し出すモニターも彼の姿は見当たらない。
 どうせあの人は今日も居るだろう、と決めつけて連絡もせず来たのだが、当ては外れたようだった。
(まだ大学? それとも防衛任務だったかな)
 そのくらい未来視があれば分かるのではないかと人には思われるかもしれないが、未来視もそこまで万能ではない。このところ迅の方は立て込んでいて、本部に立ち寄る機会も少なかった。会っていなければ自然と未来視に登場する頻度も減るもので、そうなればサイドエフェクトがない人と一緒で彼の動向など分からないのだ。
 ようやく色々片付いて暇になったってのになぁ。迅は少しだけ出鼻を挫かれたような気分になってしまうが、まあそんなこともあるか、と思い直す。
「あっ、迅さんだ!」
 と、そこで溌剌とした声に捕まり迅の意識は現実に戻った。振り返ればそこにあったのは、はちきれんばかりの嬉しそうな顔をした緑川と、「本当だ。迅さんがいる」と物珍しそうにこちらを見る米屋の姿だった。
「お、駿に米屋」
 こちらに駆け寄ってきた緑川は、キラキラと期待の眼差しで迅を見上げる。
「ここに居るってことは、迅さん今日ランク戦できる?」
 可愛い後輩にそう期待されては断れないなと迅は内心で苦笑する。そもそも、相手が誰であれ今日はランク戦をしようと思ってここに来たのだ。ランク戦自体好きだし、駿と戦うのも楽しいし、アタッカー一位の座を奪取するという目標もある。想定とは少し違ったが、これはこれで。
「ああ、今日は時間あるからいいぞ」
「やった!」
 迅が笑ってそう言うと、緑川は無邪気に両手を上げて喜んだ。ずりー、その次はオレもお願いしますとどさくさにお願いしてくる米屋にも頷き、実力派エリートは引っ張りだこだなあなんて笑う。
 個人ブースに向かう途中、迅はふと先程の疑問を思い出して、世間話の体でさりげなく二人に聞く。
「今日、太刀川さんがいないみたいだけど珍しいね」
 迅が言えば、二人は確かにと頷く。
「そういえばそうっすね」
 二人は個人ランク戦の常連だからもしかしたら見かけていたかもと思ったが、二人も知らないようだった。じゃあ今日は本当に居ないのだろう。
「これもまた珍しいことがあったもんだな」と迅が軽い調子で言えば、二人も同意して笑っていた。



 しかし翌日も、その翌日もランク戦ブースに足を運んだが太刀川の姿はなかった。
(あれ~……)
 迅はランク戦ブースの入口でそう内心でぼやく。タイミング悪く入れ違ってしまっているのか。まあ、そういうこともあるか。……あるのか? あの人に限って。
 ランク戦は楽しい。誰と戦っても面白い。ここ数日久しぶりに色んな人と戦ってとても充実しているのも本当だ。だが、期待していた分の肩透かし感は否めなかった。
(いや、期待してたのか、おれ)
 言葉にしたことでそう自覚させられ、妙に気恥ずかしくなる。誰に聞かれているでもないのに、それを誤魔化すように迅はがしがしと軽く頭の後ろを掻いた。
 だって。普段は顔を合わせるたびにランク戦しようとかたまにはブースに来いとかしつこく言うくせに、こっちが時間ができたら向こうがいないなんてこれ如何に。どうせいるだろうと高をくくって、あるいは格好付けて余裕ぶり連絡もしなかったくせにこんなことを思うこちらが理不尽なのかもしれないが。
(……おれだって、いつも好きで断ってるわけじゃないんだよ)
 そう思って迅は小さく息を吐く。まったく、居ても居なくてもこっちを振り回してくれる人だ、なんて本人には言わない言葉を思い浮かべながら。
 ……まさか、体調不良とかじゃないだろうな。そんなことにようやく思い至り少し心配になる。知り合って数年、あの人が体調を崩した姿なんて見たことがないが――。そう思ったところでふと出水が目の前を通りかかるのを見てはっとする。そして迅は一瞬考えた後、片手を上げ出水に声をかけた。
「よう、出水」
 出水はこちらに気付いていなかったらしい。顔を上げた出水はその目をくるりと丸くして、「わ、迅さん。お久しぶりです」と返事をする。
「珍しい――ってか、最近ランク戦ブースによく居るって米屋が言ってたのマジだったんすね」
 迅に向き直った出水は、そう言って一人で納得した様子だった。どうやら米屋経由で出水のところにも噂は届いていたらしい。「ここ最近は時間あるからね」と迅は笑って返す。そしてまた少し考えてから、やっぱり聞いてみるかと迅はゆっくりと口を開く。
「ところで、太刀川さんは逆にブースにいないみたいだけど……」
 あの人について何か知っているとすれば当然、隊員である出水が筆頭だろう。そう思って呼び止めたのだが、それは当たりだったようだ。「あ~……」と言った出水の瞳に急に哀れみの色が籠もる。その哀れみは、自分のところの隊長に向けたもののようだった。
 不意に視界の隅で未来視が瞬く。出水の未来視は太刀川隊室のもののようだった。いつも通り物の多い生活感のある隊室、そこにあの人の姿を見つける。
「ええと、太刀川さんはですね――」


 ◇


 太刀川隊室のドアが開けば、目の前のソファにはノートパソコンを前にどよんとした空気を纏ったA級一位隊の隊長がいた。ドアを開けてくれた国近が「太刀川さん、お客さんだよ~」とこの空気に似合わぬいつも通りののんびりとした声で言うのとほとんど同時に、こちらに気付いた太刀川が「迅!」と言ってがばりと体を起こす。
「出水に、太刀川さんは提出期限遅れのレポートで缶詰になってるって聞いて」
 先程一瞬視界をよぎった未来視とほぼ重なる光景を見ながら、迅は苦笑して肩をすくめた。
 本来であればもう大学生組は続々と春休みに入っていく季節のはずだった。しかし元々の提出期限をぶっちぎったレポートや、試験の結果が悪すぎて本来であれば単位を落とすところを教授の温情で課された再試験代わりのレポート等々、それらが一気に降りかかってきて春休みに入れなかった太刀川は、全て提出を完了するまでランク戦禁止令を出されてしまったのだという。誰が出したかといえば、当然彼の師匠であり彼の学業の状況にいつも頭を悩ませている本部長である。
 迅の登場に一度はぱっと顔を明るくした太刀川も、迅の言葉に現実を突きつけられまたパソコンの前でしおしおと萎んでいく。
「だめだよ~、ランク戦ブースに行っちゃ。また忍田さんに怒られちゃう」
 国近が容赦なく釘を刺しながら、太刀川のパソコンの横に置いてあったお菓子の大袋からクッキーをひとつ摘まんだ。ソファに座って美味しそうにクッキーを食べる国近とは対照的に、太刀川は恨みがましそうな声で「迅がいるのにランク戦できないなんて……」と机に突っ伏した。
 視界の端に、久しぶりに太刀川自身の未来視が現れる。楽しそうに――ため込んだストレスの反動か、それはもう楽しそうにランク戦をしている彼の姿が視えて、迅は妙に安心した。太刀川はやはりこうでなくては。
 そして何より、ようやく太刀川の姿を見られてほっとしている自分がいることに迅は気がついた。しかし同時に、安心した反動もあってか太刀川の言葉をそっくりそのまま返してやりたいという身勝手な感情も再び蘇ってくる。互いに本部に居るってのにランク戦ができないなんて、と文句を言いたいのは迅だって同じだ。はあ、と迅は息を吐き、壁に凭れながら太刀川に言う。
「太刀川さんがここ数日いつ行ってもランク戦ブースに居ないから、まさか体調でも崩してんのかと思った。まあ元気そうで安心したけど……いや、元気って言うのかなこれは」
 その安堵と蘇った我が儘な思いで、緩んだ気持ちのまま迅はべらべらと喋る。しかしそれがまずかったと気付くより早く、太刀川は迅の言葉に目を瞬かせた。
「なに、おまえ。ランク戦ブースで毎日俺のこと探してたの?」
 あ、と思ったときには遅かった。迅が一瞬言葉に詰まったのを見て、それを正解だと分かってしまったらしい太刀川の表情は「ふーん」と一気に楽しげに緩む。
「迅。おまえも、結構俺のこと好きだよな」
「……」
 今のは失言だった。紛う事なく。そう思うのに、そんな嬉しそうな顔を、そんな言葉とともに見せられてはかなわないじゃないかと迅は思う。生身を真似したトリオン体が、律儀に耳をじわりと熱くさせる。
(……ブースに行って、一番の好敵手ライバルの姿を探して何が悪い)
 やけくそでそう言ってやりたくなったが、余計にこの人を調子づかせるだけだと思ったからやめる。
 その代わりに、「おれと戦いたかったらさっさとレポート終わらせなよ」と再び現実を突きつけてやると太刀川は「それ言うなよ……」と項垂れる。国近も文字通り他人事の様子で「がんばれ~、太刀川さん」と言い残しゲーム機の前へと戻っていった。
 まあ、ちゃんと少し先の未来で楽しそうにランク戦をしているようだから大丈夫だろう。本人には言わず勝手に満足した迅は、「じゃあ頑張ってね~」と言い残して太刀川隊室を去る。裏切り者だのおまえ何しに来たんだなどという声が背後から聞こえたがスルーした。
 先程の未来視の太刀川の姿を瞬きの合間に瞼の裏に思い描く。楽しそうな彼と相対する正面――あの未来視の先にいるのが誰かは分からなかったけれど、それが自分であればいい、だなんて埒もないことを我が儘ついでに迅は伸びをして、彼が戻ってくるのを待つべく、ランク戦ブースへと再び足を向けるのだった。



(2025年3月21日初出)





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