dear my eternal states

 いくら家まで近いとはいえ、あのどしゃ降りの中に飛び出していけばそりゃあ頭から足元まで見事なびしょ濡れになるものだ。
 二人で暮らすマンションのエントランスに辿り着いた頃にはもう着ていた服がずっしりと重く感じるほど二人とも濡れ鼠で、エレベーターから廊下から歩いた後に足跡みたいに二人分の水滴が滴る。部屋に入って玄関のドアを閉める些細な動きにも、ぼとぼとと互いの髪やら服やらから大きな水滴が落ちてあっという間に玄関にも大きな水たまりをつくってしまった。
 二人きりの場所に辿り着いた途端、くく、と堪えきれなかったみたいにほとんど同時に笑い合う。
「びしょ濡れ」
 雨に濡れてすっかり落ちてきた前髪を雑にかき上げながら迅が言う。その拍子にも、迅の茶色の髪の毛から何粒もの水滴が足元に零れた。
「だなー」
「だなー、じゃないよ、もう。アラサーになってまでさあ」
 眉根を寄せて文句を言いながらも、迅の口角はおかしそうににやにやと緩んだままだ。仕事の時は本音を隠して掴ませないように振る舞うのが上手いくせに、二人きりの時にはこうしてふと油断した顔を見せる。そんな迅をかわいいやつめ、と太刀川は顔に垂れてきた雫を手の甲で拭いながら思う。
「濡れるのに歳は関係ないだろ?」
 そう言ってみれば迅はいよいよ堪えきれないといったように、ぶは、と声を出して笑う。
「この歳になって後先考えずに大雨の中飛び出していくのがおかしいって言ってんの」
「いくつになろうがおまえとだから楽しいんだよ、こーいう遊びは。それに付き合ってくれるとこ好きだぞ~、迅」
 そんなやりとりをしながら笑っている迅の顔がいやに可愛くて、だから唇を近付ければ察した迅がこちらが触れるよりも早く頬に手を添えてキスをしてきた。負けず嫌いの発露なのかなんなのか。走っているうちに競争のようになった家までの道のり、マンションに辿り着いたのは太刀川の方が半歩早かったからそれを気にしているのかもしれない。相変わらずだな、と唇を合わせたまま笑いそうになった。迅のそういうところが好きだと思う。高校生の頃から、ずっと。
 互いに舌を伸ばし合えばキスはすぐに深いものに変わった。どちらのものか分からない唾液が溢れそうになって音を立てる。角度を変えてまた口付けられて、迅の舌がこちらの舌の横のあたりをつう、と舐めてくる。その動きのいやらしさにぞくりとしてわずかに力が抜けそうになると、その隙に迅が後頭部に手を回してまた口付けを深くした。靴を仕舞ってある棚の扉に押しつけられるような形になって、追い詰められるようなその格好にこちらも負けず嫌いが煽られて迅の上顎を舌でなぞってやる。ここが弱いことなんてもうとっくに知っている。案の定迅は小さく息を詰めた後、こちらの舌をとらえてまた絡ませてくる。ざらついて濡れた、熱い舌の感触に次から次へと快楽の種のようなものが芽吹いてくる。
 髪にまだ残っていた雨粒が流れて、顎を伝っていく感触がした。それはすぐに落ちていったので、また足元の水たまりを広げたことだろう。互いにびしょ濡れで、濡れた体をまともに拭いもしないまま玄関で何度も唇を合わせている自分たちを頭の隅で客観視してまた愉快な気持ちになる。
 迅の手が腰に回って、濡れたシャツ越しにその手で撫でられた。水を吸ったシャツは冷え始めていて、その重くて冷たい感触の向こうに熱い迅の手を感じた。雨に濡れた服が張り付いて体も冷え始めているだろうから、余計にその温度を鮮明に感じたのかもしれない。迅の温度を、気持ちいいなと思った。
 もっと。もっと触れられたくて、触れたかった。期待と興奮がじわりと迅の手が触れた場所から立ち上る。
 呼吸が苦しくなってきてようやく唇が離れて、視線が絡む。迅の目は先ほどまでの涼しげな色はすっかりなりを潜めて、欲を灯した高い温度で揺れていた。
 今触れたままの手も熱いが、この目の方がよっぽど熱い。灼かれてしまいそうだ、と思って、気持ちが充足する。その充足した気持ちはすぐに期待に変わった。
「迅」
 呼べば、返事の代わりのように迅の手は腰から背中にゆっくりと滑る。シャツとズボンの隙間に煽るように指を這わせられて、これからの行為を暗に示してくるようなその手つきのいやらしさにぴくりと小さく体を震わせた。そうしたら目の前の迅の目の青色が興奮にまた濃くなったのを見て取って、それにこちらもつられるように興奮させられる。
「ここで?」
 別に玄関でするのは構わないが、と思いながら聞けば、迅はあっさりとかぶりを振る。
「びしょ濡れのままじゃ風邪引いちゃうでしょ。とりあえずお風呂」
「ま、そーだな」
 確かにそれはそうだと思って太刀川は頷く。場所は別になんだっていいし太刀川だって早くしたくて焦れる気持ちはあったが、風邪を引くのは本意ではない。太刀川の答えに迅は「うん」と言って太刀川の体から手を離した。迅の温度が離れていくと、肌寒くなってきたのを鮮明に感じられる。このまましたらまあ、明日には風邪っぴきコース一直線だろう。
 ようやく靴を脱いで玄関に上がった迅がこちらを振り返る。
「……行こ?」
 その声色に迅も焦れているのだと伝わってきて、ふ、と口角が緩みそうになる。その楽しい気持ちと共に、「りょーかい」と言って太刀川も靴を脱いでようやく玄関に上がった。


 濡れて重くなった服を洗濯機に放り込んで、二人揃って浴室に入る。熱いシャワーを揃って浴びると、じわりと体に体温が戻ってくる感覚がした。どうやら思ったよりも体は冷えていたらしい。浴室の中にはすぐに薄く湯気が立ち上って、ざあざあとシャワーの音が響く。お湯で再び張り付いた前髪をかき上げると、先ほどとは違う温かい雫が腕を伝って落ちていった。
 ちらりと横の迅を見て、ふと思いつく。シャワーの角度的に太刀川の方に多くお湯が降り注いでいるから迅もちゃんと浴びているのかと思ったのが半分、もう半分はただの悪戯心だ。
「迅」
 そう呼んで、浴室の上の方に掛けていたシャワーヘッドを手で持つ。そして迅が返事をする前にそのお湯の吹き出し口を迅の方に向ければ、お湯は見事に迅の顔に直撃して迅は「うわ、……っぷ!」と間抜けな声を上げた。それがおかしくてけらけらと笑っていると、顔からぼたぼたと湯を垂らす迅からじっとりとした目線が送られる。
「油断も隙もない……」
「いやあ、ちゃんとシャワー浴びてるかと思って」
「ってのは半分で、あとはただの悪戯でしょ」
「お、さすがだな」
「普通に感心しないでよ」
 太刀川の反応に迅はおかしくなったのか、しかめていた表情を緩めて喉を鳴らして笑う。そんな迅の顔を眺めていたら、あっさりと手からシャワーヘッドを奪われてシャワーのお湯を止められてしまった。油断も隙もないのはどっちだよ、と愉快な気持ちになっていると、そのまま迅は蛇口を反対に捻って浴槽の方にお湯を溜め始めた。
 湯船にも入るつもりなのか? と、そこでようやく気が付く。まあ湯船に入った方が温まるだろうけれど。しかし迅だって待ちきれないという顔をしていたから、ざっとシャワーを浴びてすぐにベッドに行くつもりなのかと思っていた。
 そんなことを考えていると、手の中のシャワーヘッドをフックにかけ直した迅がこちらに向き直る。太刀川を再び見つめた迅は、先ほど玄関で見た熱を再びその青い目の中で揺らしていた。
 フリーになった迅の手が耳の後ろに触れて唇を奪われる。すぐ迅の舌が誘いをかけるように太刀川の唇のあわいをなぞってきたので、こちらだって拒むつもりは毛頭ないから、迅の舌を受け入れてすぐこちらからも舌を絡ませた。
 玄関でしたものよりももっとしつこく、じっくりと、明確に性感を煽ろうとする動きで口の中にくまなく触れられる。焦れったい速度で迅の舌が太刀川の口内をなぞると、快感の予兆みたいな、ぞくぞくとした疼きが背中を駆けた。
 迅のもう片方の手が再び腰に回され、ぐっと体を引き寄せられる。布越しじゃない直接の迅の手の感触が肌に触れる。先ほどよりもずっと熱くなった手が腰を撫でてきて、その熱さと手つきのいやらしさに興奮した。もっと欲しくて、迅の首に腕を回して体をこちらからも自然と擦り寄せるような形になる。その拍子に互いの中心が不意に擦れて、もう互いに同じくらい興奮して昂ぶり始めているのがその感触で分かって笑いそうになってしまった。
 キスの合間の熱い息が、浴室の中にむせかえって溶ける。飲み込みきれなくなった唾液が口の端を伝った。浴槽にお湯が溜まっていく音に混じって聞こえる、互いが立てる淫猥な水音が浴室にじわりと反響する。
 迅の手が腰から下って、尻の割れ目をつつ、となぞった。まだ固く閉ざされているそこを焦れったいくらいの速度で指先が掠めて、そうして遊ぶようにその周りにくるくると触れられる。それだけなのに迅の手をすっかり覚えている体は期待を拾ってぞくりと小さく震えた。それに迅が気付かないはずもなく、迅の唇が機嫌良さそうに笑むのを重ねたままの唇から感じ取る。
 貪り合うような深いキスにたっぷりと体温を上げられてから、唇が離れた。そうしたら唾液に光った迅の赤い唇の淫靡さがまず目に入って、しかしそれに負けないくらい迅の顔も火照って赤くなっている。少しの間荒い呼吸のまま見つめ合った後、太刀川はくるりと体をねじって、湯気で曇った鏡の横にある棚からボトルを手に取った。シャンプーやら何やらの奥にひっそりと隠れていたボトルは、太刀川が持つとたぷんと中身が重く揺れる。
「ほら」
 それを手渡すと、迅は口の端を緩めたまま苦笑する。
「太刀川さんって、ほんと話が早すぎるよねぇ……」
 太刀川から渡されたボトルを迅は軽く掲げるように眺めて、中身を小さく揺らす。手の中におさまるサイズの容器の半分くらいまで減っているそれはローションである。勿論、そういうことのための。
 事前に太刀川が自分で準備するときにたまに使うため風呂場に持ち込み始めたのだが――迅はいつも、しなくていいと言うのだが、あんまり意固地に言われると逆に覆して驚いた顔や拗ねた顔を見たくなってしまうのだから困りものだ――たまに風呂場でこんなふうに盛り上がったときにも役に立つので、結局ここに常設のような形になっている。
「褒めてんのか?」
「いやー、褒めてるって。積極的なのは嬉しいよ」
「ならよし」
 迅はボトルの蓋を開けて、中身をとろりと手に垂らしながら言葉を続ける。
「おれが欲しいってことでしょ?」
 にまり、とわざとらしく欲を隠しもしないぎらついた目を細めて迅が言う。煽ってますと言わんばかりに振る舞う迅に、こちらの気持ちも高揚する。
 未だに変なところで照れたりすることも多いくせに、気分が乗ってきた時の迅はこうやってわざとらしく煽ったり意地悪ぶったりと調子づく。性質が悪いやつとも思うが、そういうところも間違いなく迅の気に入っているところのひとつなので、こちらだって楽しくなるばかりだ。
「ああ」
 こんなこと、誤魔化す必要もない。今更恥ずかしがることもない。肯定して、迅の首に腕を絡めた。太刀川の言葉に迅の方が少しだけ照れたようにはにかんだ後、ローションで濡れた指を太刀川の尻に滑らせた。柔らかいとは言いがたい膨らみの間、先ほど掠めた場所を迅の指はすぐに見つけ出す。「いれるね」という言葉と共に、指先がつぷりと埋められた。
 覚え知った迅の指が、自分の内側に入ってくるのが感覚として分かる。何度したって最初だけは感じてしまう圧迫感を、長く息を吐いて逃がした。立ったままだから加減が難しいが、できるだけ体の力を抜くように意識する。圧迫感とか違和感とかに気を取られて体を硬くしてしまうと入るものも入らない。幸い、体を思い通りに使うのは得意な方だった。
 ローションの滑りを借りた迅の指は、丁寧な動きを保ったまま奥へと進んでくる。入口を柔らかく拡げながらも、中の太刀川の弱いところを的確に指で擦られて短く声が零れた。その度迅は機嫌を良くして、迅の指がさらに太刀川の性感を煽るように動く。つう、と内壁を優しくなぞられると、背中がぶるりと大袈裟に震えてしまう。太刀川の体が受け入れる体勢になってきたのを敏感に感じ取った迅は、少しずつ指の動きを強くしてくる。
 自分の中を自分以外のものに好きに犯されるこの感覚を、無抵抗に受け入れてしまう自分を客観視するといつもなんだかおかしく思った。こんなこと、迅以外には絶対に許せないだろうなと思う。いくら他人に対してこだわらず寛容だと言われる自分と言えど、流石にこんなことを許せるのは、自分の身体をこうして全部委ねてしまえるのは、この男以外ありえない。
 時々調子に乗って意地悪なこともあるが、根底は優しく、太刀川の『気持ちいい』とそれ以外のラインを見極めるのが誰より上手い。きっと今となっては太刀川自身よりも。これが体の相性がいいということなのかもしれないし、長年ランク戦でバチバチに戦り合ってきた経験値がそうさせるのかもしれない。あるいは、迅が元々ありあまるほど持っている洞察力と優しさのおかげか。まあ、その全部なのかもしれない。
 圧迫感や違和感は気付けば消え去っていて、迅の指はもう太刀川に『気持ちいい』だけを与えてきた。いつの間にか増やされた指で内側を愛撫されると、吐き出す息の温度も上がっていく。前立腺のしこりにくにくにと遊ぶように触れられて、「ぁあ、……ッ!」と上擦った声が抑えようもなく口から零れて浴室に反響した。
 迅の指が快楽を与えてくる度、体が小さくびくびくと跳ねる。思わず首に回したままの腕にぎゅっと力を込めると体がさらに近付いて、再び互いの間で屹立が擦れた。触れた感触はさっきより育っているばかりか触ってもいないのにぬるついてさえいて、笑えてしまう。体はずっと素直なんだよなあと、こういうところが何年経っても目の前の男をかわいく思ってしまうのだった。
「もう、ガチガチだな?」
 荒くなった呼吸のまま、煽るように言えば迅は素直に煽られた表情をする。ほらやっぱり、かわいいやつ。
「太刀川さんだって」
 言いながら迅が空いていた方の手で太刀川の同じくらい勃起したそれに触れてくる。迅の指が先端に軽く触れただけで、敏感になったそこは刺激として捉えた。びくりと肩を震わせれば、迅はふっと口角を上げる。
「ガチガチだし、濡れてるじゃん」
「濡れてるのはおんなじだろ。言い方やらしいよなおまえ、……ッ、んん、……!」
 わざとらしくいやらしい言い方をしてみせる迅に呆れと愉快な気持ちが混ざりながら言えば、そのまま迅の指が先端から根本に向けてゆっくりと滑っていく。そのせいで思わず途中で言葉は喘ぎに変わってしまった。そんな太刀川の姿を余さず見つめた迅は、にやにやと緩んだ顔で笑う。
「ねえ、今、中もちょっと締まったよ。かわいい」
「気持ちよかったらそりゃ、っ、締まるだろ……、なあ」
 言っている最中にもぬるぬると太刀川の勃起したそれに迅の指が遊ぶように触れるので息が乱れる。強すぎない、じくじくとした熱が浮かんでは体に溶けていくのが焦れったい。このままもっと強く擦られれば、張り詰めているそれは呆気なく弾けるだろうと分かっていた。前を触ってイかせられるのも構わない。が、今はそれ以上に欲しいものがあった。
 もっと熱いものが、もっと迅の核心めいたものが奥に欲しい。この男にすっかり慣らされた体はさっきからそう疼き始めていた。
 強請るように迅を見つめれば、それだけで迅には伝わったようだった。少しだけ照れたように嬉しそうに唇を噛みしめた迅は、「……うん」と言って指をずるりと中から引き抜く。それだけの刺激にすら、敏感になった体は性感の欠片を拾って「っあ、」と短く喘ぎを零した。
 耳元に顔を擦り寄せてきた迅が、内緒話みたいに囁く。
「このまま、いい?」
 ここまでしといて今更何を、と思ったが、ああゴム無いからかと一瞬遅れて思いつく。妙なところで律儀なやつだ、と思う。ローションの用意はあっても、流石に風呂場にまでゴムのストックは無い。どうしてもしたいならずぶ濡れのままベッドサイドの引き出しを漁りに行くしかない、が、互いにもうそんな余裕などないことは明白だった。
 早く欲しい。もっと深くまで。互いにそう気が急いているのは目を見ればすぐ分かる。
 だから太刀川は迅の頬にひとつキスをしてから、「いいぞ」とにやりと笑って言ってやった。
 その返事を受け取った迅がいやに煽られたような顔で頷いて、それから手首を捕まえられる。迅の熱い手の温度が手首にじわりと広がっていく。そのまま壁に手をつくように体を反転させられるのかと思ったが、迅は浴槽の方に顔を向けた。お湯はいつの間にか止められていて、普段より浅めに張られた湯船の中に迅は足をつける。
「こっち」
 くん、と掴まれたままの手首を軽く引かれて、あーそういうことかと太刀川はようやく合点がいく。
「中ですんの?」
「後ろからするのも魅力的なんだけど、それじゃ顔見えないからさ」
 そう言った迅は、太刀川に甘えるようにへらりと笑う。
「今日は顔見ながらしたい気分なんだよね。……だめ?」
 小さく首を傾げるようにして迅が太刀川を見つめた。水を吸った迅の前髪の小さな束がぱさりと揺れる。わがままを強請るその目の奥には、熱い欲の炎が揺れる。甘い表情とそのぎらついた目のギャップに、それだけでぞくりと興奮が体を痺れさせるような心地になった。
 普段、人に甘えるということをなかなか自分に許さない男がこうして太刀川にはわがままに甘えてみせる。そのことに、自分の中にあるということにすら驚く、独占欲や優越感といった類の感情が強く充足するのが分かる。あんたにだけは特別だ、と迅が見せるその表情を見れば、何だって許してやりたくなってしまう。それは時には困りものでもあるのだけれど。
「だめじゃねーよ? けどおまえ、俺がその顔に弱いって分かってやってんのがタチ悪いとこだよなあと思って」
 言いながら、くく、と喉を鳴らして笑ってしまう。こんな遊びだって、結局は楽しくて仕方がないのだ。笑う太刀川を見て、迅も目を細める。わざとらしく意地悪っぽく細められた目は、しかし素直に嬉しそうでもあった。
「そりゃあね? 愛されてて嬉しいよ」
「こうするつもりでお湯溜めてたのか、やらしーな」
「スマートな準備はエリートの嗜みだからね」
 あんなぎらぎらした顔しておいて、どこがスマートだよ、なんてつっこみたくなったがやめてやることにする。一瞬降りた会話の空白、迅のまなざしがゆっくりと真剣なものに変わる。
「……おいで、太刀川さん」
 再び静かに手首を引かれる。太刀川を誘うための動きだから、その手に込められた力は強くない。こうやって誘われて、もしこれが戦いの場であれば覆してやりたくなるところだったが、今は迅のいやらしい思惑に素直に乗ってやりたくなった。
 こちらも浴槽に足をつけて、向かい合って二人で湯に沈む。あたたかいお湯が体に染みて、ほう、と息を吐きたくなるが、あいにく今はそうやってのんびりリラックスするようなシチュエーションではなかった。
 迅の目が、焼け付くような熱さで太刀川を見ている。何も言わない。けれど目だけで迅に求められていると分かった。早く欲しい、とぎらついたその目が何より雄弁に言っているくせに、今はこちらから動くのをただ待つつもりらしかった。
 それならそれで上等だと、気持ちがわくわくと挑むように疼き始める。熱い目をした迅から欲をそのままぶつけるみたいに求められるのもたまらなく好きだが、こちらから主導権を握って迅に乗っかって咥え込んでやるのだって同じくらい好きだった。
 湯の中で迅の固くそそり立ったそれに手で触れる。手の中でどくどくと脈打つ感触に、迅の興奮に直接触れているようで知らず口角が上がった。相手も同じくらい興奮しているのだということへの興奮。楽しさ。俺でこいつがこうなっているんだという優越感や独占欲。太刀川の表情を見た迅がぐっと煽られた表情になって、その顔にまた気持ちが充足するのを感じながら、それに手を添えたまま迷わず腰を下ろした。
 入口に先端が触れて、そのまま埋め込んでいくと湯よりずっと熱いものが内側を犯していく。待ちわびた感覚に思わずぶるりと体が小さく震えて、熱い息が口から零れた。そんなさまを迅に余さず見られていると、見つめ返さなくても分かる。迅の視線の熱さを、肌で、全身で感じ取っていた。
「ん、……ぁ、あ」
 内側が擦れる度、ぞくぞくとした性感が痺れるように体を駆けていく。もっと欲しい、もっと奥に、と思うのに、湯の中では普段のような自重が働かない。早く全部埋めてやりたいのに、いちいち性感に体が反応してうまく進まないのをもどかしく思った。思わず眉根を寄せて迅の方を見ると、迅は宥めるみたいに手を伸ばして太刀川の頬を撫でた。手つきはやわらかいくせに熱いその手が心地良かった。
 迅が「がんばれ」と言ってへらりと口元で笑う。笑っているくせにその表情には余裕なんてなさそうだった。迅の頬を、つ、とお湯なのか汗なのか分からない雫が伝うのを見る。もうさっさと突き上げてくれという気持ちもあった。が、迅に期待されていると思えば、その期待に応えてやりたくなった。
 息を吐いた後、多少強引に腰を下ろすとその性感の強さに「ぁあ……っ!」と口から声が溢れた。びくんと体が震えて、自分の先端からどろりとまた透明な液体が零れるのが分かる。その拍子に抑えようもなく後ろも強く締め付けてしまったせいで、目を見開いた迅も小さく呻いて息を詰めた。自分の内側で、射精寸前まで迅の熱が膨らむのをリアルに感じ取る。
「っ、イ、くかと思った……」
 焦ったような声音で言う迅に、してやったりという気持ちになる。しかしそれをけらけらと笑い飛ばす余裕はこちらにもなくて、太刀川は荒い息のまま迅に返す。
「イ……っても、よかったんだぞ?」
「やだよ。あんたを先にイかせたい」
 太刀川の言葉に迅はむっと唇を尖らせる。迅はいつもそうで、強情なやつ、と思う。しかし迅のそんなところも、今となってはもうかわいいと思うばかりだった。
 は、と荒い息を吐いた迅が落ちてきた自分の前髪をかき上げる。太刀川の頬に添えていた方の手は腰に移され、ねっとりとその手が太刀川の腰から尻にかけてをなぞるように撫でてきた。その手つきのいやらしさにすら性感の欠片のようなものを拾ってわずかに腰を震わせると、迅は満足げに小さく笑う。
「動いて? おれも動くから」
 強請られて、咥え込んだ場所を動かす。中にいる迅に自分から内壁に擦りつけるように動かすと、気持ちのよさに何度も短く声が零れた。そのさまを恍惚とした表情で見つめていた迅が、両手で腰を掴んだと思えば太刀川が動くのに少し遅れてぐんと下から突き上げてきた。自分で擦りつけるのとは違う予想できない強い刺激に、体の熱が一気に上げられる。
「うぁ、あ……あっ、迅、……ッ!」
 一度動き始めた迅は何度も容赦なく穿ってきて、こちらからも動いてやりたいのにその感覚を受け取るので精一杯で腰が止まってしまう。ばしゃり、と水面が大きく繰り返し波打った。動いた拍子に隙間から熱い湯が入ってきて、反射的に強く後ろを締め付けた。そうするとまた内側の迅を強く感じ取って追い詰められる。同時に迅も流石に眉根を寄せて苦しそうな顔をしたが、しかしすぐにその口元はいやらしい笑いに変わる。
「き、っつ……」
「締めないとお湯、入ってくんだよ、……っ」
「っはは、ごめん。……でも気持ちいいからもっと締めてもいいよ? ねえ」
 そのほうが太刀川さんも気持ちいいでしょ、と迅が囁く。張り詰めた声。欲に濡れきった表情。自分だって余裕なんてないくせにこちらを追い詰めようとしてくる迅に、また興奮させられた。
 俺をどうにかしたい、という顔。セックスの時迅はいつもそんな顔をする。まるでランク戦の延長みたいだと笑ってしまう。他のやつらにしてみたらもしかしたら理解できないと言われてしまうかもしれない。が、俺にとってはそれがなにより楽しくて、高揚して、愛しくて、それを与えてくるこの男がどうしようもないほどに好きだと思った。
 迅の言う通り、締め付けると中にいる迅がよりくっきりと感じられる。その熱さも、固さも、形も、生々しいほどに。内壁に隙間なんてなくくっついたそれがさらに性感を呼んで、また太刀川の好きなところを繰り返し突かれると一足飛びに性感が体を駆けていく。ぶるり、と射精を前に体が大きく震えた。
「ぁあ、あ、あ……っん、迅、じ、ん……っ!」
 気持ちの良さにもうあまり考えることもできなくなってきて、迅にしがみついてばかみたいに名前を呼ぶ。その度迅が顔にキスを降らせてきた。突き上げの激しさとは裏腹に柔らかいそれに、受け取るのはただただ充足した気持ちだった。
「ごめ、おれも、もー無理……太刀川さん、っ、一緒にイこ?」
 欲を隠しもしない、掠れた雄くさい声で言う迅に心の深いところが充足する。いいぞ、の返事の代わりに後ろをまた締め付けた。
 迅は息を詰めた後耳元に唇を寄せて、堪えきれないといったように「大好き」と囁いてきた。それに返事をしたかったのに、それよりも早く迅が太刀川の腰を再び強く掴んで一番奥まで穿ってきたので強い刺激に目の前がぱちぱちと白む。
「ッああ、あ、――~~……ッ?」
 上擦った声と共に、先端から勢いよく吐き出された白濁が湯の中を汚した。震わせた体で中をぎゅうと一際強く締め付けてしまえば、迅が「っ、ぅあ……!」と噛み殺しきれなかったような呻き声を上げて達する。何も遮るもののない内側で迅の熱い欲が吐き出されるのを達したばかりの敏感な体で感じて、太刀川は再び体をぶるりと大きく震わせてしまった。
 二人分の熱い息が浴室に響いては、ゆっくりと溶けるように落ちていく。体の力が抜けて迅の肩に凭れると、宥めるように迅の手が頭を撫でてくる。その温度と慣れた手の感触が心地良くて、迅に向けて開かれた体はその心地よさをあまりに素直に享受する。が、少しの間その揺蕩うような感覚に身を委ねていると、もう片方の手がいやらしい手つきで腰を撫でてくるのでまだ敏感なままの体はひくりと小さく揺れてしまった。耳元で迅が小さく笑う気配がする。
「……じーん」
 顔を上げて、悪戯を咎めるみたいな声音で言ってやる。しかしこちらだってつい笑ってしまった。だってまだ中にいる迅が、吐き出したばかりのくせにもう再び硬度を持ち始めているのに気付いたからだ。思春期の高校生か、と思わないではないが、まあすぐに元気なのはいいことだよなと思い直す。
 こっちだって、さっきの手つきで煽られたのだ。
「だめ?」
 太刀川を見つめて迅が言う。ほら、また俺の好きな顔。こっちがダメなんて言わないだろうと分かっている声色だ。その間にも迅の熱い手は核心的なところには触れぬままゆっくりと太刀川の腰を這い回る。こういう関係になってから迅という男の性質の悪さをより知って、そして思うのだ。こんな性質の悪い男、俺くらいしか相手しきれないだろう、と。そう思って充足する自分が面白くてならない。迅の性質の悪さはつまり、太刀川にとっていつも楽しさをもたらすものに他ならなかった。
「いーぞ。俺もまだしたいと思ってた」
「さすが」
 言えば、迅が子どもみたいに嬉しそうに笑って太刀川にキスを降らせてくる。そうして迅がまた腰を揺らしてきて口から声が零れた。それに機嫌を良くした迅が太刀川の体を引き寄せてさらに近付く。ざばりとまた水面に小さく波が起こった。
 性感とお風呂の温かさでさすがに頬が紅潮しているのが自分でも分かる。体がぽかぽかと、あるいはじくじくと熱い。でも、もっと欲しい。
 至近距離で絡んだ視線、迅の青い目を見つめる。
 昔は世のため人のためと未来ばかり視るのに忙しくしていたその瞳は今、欲に濡れて、今この瞬間の俺だけを見ている。それに気分が高揚して、浮かれるままに太刀川も迅の首に回した腕を引き寄せた。


 ◇


「いやーちょっと、やりすぎたね……」
 ぱたぱたと迅が扇ぐうちわが寄越す涼しい風が心地良い。火照った体がゆっくりとだが凪いでいくのを感じながら、太刀川は「かもなー」と返す。ベッドの上に寝転がる太刀川に、その間もベッドサイドに座った迅が甲斐甲斐しい様子で風を送ってくれる。窓の外では遠く雨の音がしていて、雨はまだ降り続いているらしかった。
 結局あの後散々風呂場でヤって、体が熱いな、と思ってはいたものの性感がもたらすそれとうまく区別がつかず、気付いたときにはすっかりのぼせてしまっていたのだった。その結果が、これだ。している最中は調子づいていた迅もさすがに少し反省したらしい。先ほどまでの獰猛さはなりを潜めて、多少心配そうな顔をして太刀川の様子を見ていた。迅ものぼせる寸前ではあったようだが、太刀川よりはマシだったようでもう顔の火照りは引きつつある。
「ごめん、体調どう? 水いる?」
「だいぶ。もうほとんど平気だと思うぞ。水はほしい」
 太刀川の言葉に、「よかった」と迅はほっとしたように表情を少し和らげる。
「でもまだ顔赤いから、もーちょい休んでたほうがいいと思う。とりあえず、水ね。はい」
 迅がコップに入った水を渡してくれたので、体をゆっくり起こして水を飲む。喉が渇いた感覚はあったから、喉を通っていく少し温い水がいやに心地良く感じた。太刀川がごくごくとコップの中の水を飲み干していく間に、迅は短く息を吐いて苦笑する。
「夢中になってのぼせるとかほーんと、いくつだよって話」
 コップの中の最後の一滴を飲み込みながら太刀川はその言葉を聞いていた。そうしてコップを口から離して、ずい、と距離を詰めて迅の顔を覗き込む。
「じーん。言ったろ?」
 急に詰められた距離に、迅が不意を突かれたような表情になる。その顔に自分の中のこの男に対しては尽きる気配をみせない負けず嫌いがつい充足していくのを感じながら、太刀川はにやりと笑って言ってやった。
「いくつになってもおまえとバカやるから楽しいんだよ」
 太刀川を見つめ返した迅はその言葉を受け取って、わずかな間の後にくっと堪えきれないように笑い出す。
「……そうだね。そうだった」
 そう言った迅がこちらに手を伸ばしてきたので、太刀川のほうからその手を取って引き寄せる。遊ぶように自然な動きで唇が触れ合って、そうして楽しくって至近距離で互いに笑った。
 ああそうだ、と先ほどひとつ返事をしそびれてしまったことを思い出す。だから迅を見つめたまま今度こそ口にしてやった。
「あと俺もおまえのことめちゃくちゃ好きだぞ、知ってると思うけど」
 迅はぱちりとその目を瞬かせた後、ふっとその表情を崩す。
「うん。知ってる」
 あたりまえみたいな声音で返されて、そのことに太刀川は満足を覚える。細められた迅の青い目がきらりと嬉しそうに光るのを見ながら、太刀川は「だろ?」と言って笑うのだった。



(2023年2月12日初出)





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