【ふせったー再掲】ワールドトリガーという作品のおもに倫理観やジェンダー観について

2021年11月28日と12月4日にふせったーに投稿した文章の再掲です。Twitter連携系のテキストを一応別の場所にも載せておこうかなと思いまして。
当時と文言そのままですが、今も考え方は変わっていないので意思表示の意味も込めてここに載せておきます。

【その1:2021.11.28】

元のふせったー
ワールドトリガーという作品のおもに倫理観やジェンダー観について
なんかいろいろ見かけて考えたこと
※作品を構成する要素について否定的・疑問を投げかける部分が多く含まれる文章なので見たくない方は回れ右してね!CP語り萌え語りはないので読まなくてまったく問題ない文章です!

▼「子どもが戦闘員として戦う物語」であるということ
この状況になっているワートリ世界を「正しい」とは思いません。
子どもが戦わなくていい状況であればそれが一番いいのは当たり前のことで、「致し方ない状況」という受け止め方をした上で、この世界観で紡がれる物語を楽しんでいる、というのが一番近い。トリオン器官の云々の関係があるので…。
しかしその状況をベースにしたうえで、上層部が子どもをただ戦場の駒としての少年兵として扱っているわけではなく、大人としてできる限りのことをしようとしていると感じるのがワートリの好きなところです。(城戸さんの「若者たちの未来に~」の台詞、ベイルアウト機能を搭載していることなど)大人には大人としての責任があると思うし、それを自覚的に果たそうとしていてほしいと思うので…。
というのが、今、「大人として」の私のワートリ世界の見方です。
同時に、「かつて子どもだった私」としての思いもあります。
「子どもだからって何もできないと思わないでほしい」という思いです。私は子どものころとにかく大人ぶりたい、子どもだからってナメられたくないという思いが強い子どもでした。割と早い段階からインターネットの世界で、主に年上の人たちと交流をしてきたということもあります。
今にして思えば視野が狭くて、全然あの頃の私はできることの少ない子どもでしかなく、大人たちに気づかないうちに沢山助けて見守ってもらっていたと思うんですけど、でもあの頃の私は「子どもだから」で、年齢というどうしようもないもので一律に見て切り捨ててなんてほしくなかった。無力だと思われるのにムカついた。
ワールドトリガーにおける戦闘員=子どもたちは、「ただ守られる」だけの存在から「自分も戦いたい、戦える」と立ち上がった人たちの物語であると思っています。主人公…特に修、千佳の物語はまさにそうなんですよね。
大人には子どもを守る責任がある。だけど子どもだってプライドはある。
その思いを一律に無下にはしたくないと、まだ私の内側にわずかだけ残っているかつて子どもだった私が言うんですよ。

話は少しずれますが、私の前ジャンルのポケモン剣盾もきっと同じ理由で大好きなんですよ。
ダンデさんはじめ大人(といってもダンデさんやソニアちゃんたちもおそらくハタチ前後ですが)は「ゴタゴタしたことは大人に任せてキミたちは冒険を続けてくれ」という態度をとる。それは大人の責任であり矜持でもあった。
私がかつて子どもだったころにプレイしたポケモンシリーズは、冒険の結果として「子どもである主人公が悪の組織を倒す」物語でした。子どもが冒険をしてヒーローになる物語。
それが、まず大人が子どもを守ろうという態度を当然のようにとってくれる。そのことに、私はとても衝撃を受けたし感動したんですね。
その後ダンデさんが戦ってもそれでもどうしても力が及ばない――というときに主人公たちが加勢して物語を大きく動かすという、従前のポケモンシリーズと同じ「子どもたちの冒険」「子どもたちの力」もしっかり描いてくれた。子どもたちの力も信じたうえで大人のプライドも描いてくれた。それは大人としての私も、かつて子どもだった私も、両方の気持ちを掬ってくれるものでした。

さてワートリの話に戻りますが、ボーダーの大人たちはできる限りでちゃんと考えてくれていると思います。隊員である子どもたちを使いながらも一定の尊重をし、大人たちとしてできることを探している。その姿勢が私は好きです。
ただ、「ボーダーが守ってくれる」と安心して戦う子どもたちのことをそのまま受け入れて生活している三門市民の大人たち(という人だけではないと思うが一定の割合はいると思う)についてはどうなんだってのはまあそうなんですけど…ね…でも、人間って愚かなものだしすぐ忘れるし慣れる生きものなので、そんなもんだよなって気持ちもあります(あらゆる荒波や世間様の声を見てきたドルオタの顔)
でもまあそれも、「少年兵」という批判が起きることをどうにか避けようとした根付さんのメディア戦略でもあるんだよな~…というところでもある…。

子どもたちが戦いに駆り出されることで、そのほかのことに使えたはずの時間が削られていく問題、それはそう…なんだよな…と思いながら(勿論この状況をなくせるならなくしたほうがいい)、でもだからこの状況が全て悪と断罪する気にはなれないし、多分「この状況の中で」できる限りのことをしようとしている。そこの思考放棄をボーダーがしているわけではないと思うので…。
これ、私が長いことドルオタやってるから、10代からアイドルやってる子たちにその部分は少し重ねてしまう部分もあるんですよねきっと…。年齢としては子どもでありつつ、大人たちの世界に飛び込んで両方の活動をしていく。アイドルの世界の構造についてもマジ、考えるべき問題は多々あると思うんですが…話が複雑になってきた…。
話をボーダーに戻そう。それでもボーダーの子たちが楽しそうにしている時間があること、そこに「居場所」が生まれたこと、遊真とかがわかりやすいんだけどそこに青春だとか遊びだとかそういう時間がつくれることを嬉しくも思うんですよ。歪んだ世界かもしれないけど、「蹂躙される地域の子どもたち」でしかないかもしれなかったところが、ボーダーがあったおかげで生まれた「楽しい時間」が確かにそこにある。私、3期OP大好きなんですよね。スナイパー合同訓練の風景とかランク戦ブースとかでみんないい顔してるの…大好きなカットなんですよ…。
とはいえこのあたりはなんか、私の考えがまだ浅い部分でもある気がしています。むむ。

私、迅悠一の「ただ 後輩たちの戦いを大人(あんた)たちに邪魔されたくないだけだ」という台詞が好きなんですよ。
迅悠一だってまだ子どもだと思いますよ。19歳、未成年です。でも、修たちよりお兄さんで、大人に近い場所にもいる。
子どもと大人の間にいる、そして子どもだった頃から戦ってきた迅悠一という男が、子どもたちの味方に回って「大人」に抵抗する。
別に迅悠一だって大人になんでもかんでも反抗したいわけじゃない。上層部に対してもなんだかんだうまく立ち回っているし、組織として必要なことをちゃんと冷静に判断できる男だと思っているので、上層部の考えにも一定の理解を持っていると思う。迅悠一が「ガチガチの玉狛派」というわけではない(BBF参照)というところにもそれを感じています。
だけどたぶん迅悠一は「子どもたちのプライド」もおそらく自分の経験から、実感として理解している人間だと思うんですよね。だからこそ遊真や修や千佳ちゃんたちを支援する。「大人の事情」が分かっていても、そこはたぶん迅悠一という一人の人間のプライドなんですよ。と私は解釈しています。
迅悠一は未来視があるから、「最大公約数の幸福」のために基本的に暗躍している。一見「利他的」と思われるキャラクターかもしれません。しかし、迅悠一個人としての感情やプライド、性質の部分が見えるシーンって実はいくつかあって、この言葉を額面通り受け取るとするならばこのシーンもそうだと思うんですよね。
冷静な判断のできるキャラクターが多く、沢山の人間の思いや考えが錯綜するこのワールドトリガーという作品において、この迅悠一の「感情」の言葉は振り返ると、は~~~ってなります。
自分でも不思議なんですけどなんで気づいたら私は推しの話してるんだ??????こわい

▼ジェンダー観とかについて
これはね~~~うん~~~~擁護しきれないっていうか、正直に言って、私がワートリという作品に心を開く(?)までおそらく多くの人よりも若干巻数がかかったのはここでした。
・迅悠一のセクハラ
・女子キャラのプロフィールにカップ数まで設定・公表されている
・オペは「女子の方が並列処理が得意だから」女子がやることが多いという設定
主にこのあたりです。
私迅悠一推しで迅悠一にだいぶ狂わされてるオタクなんですけどセクハラに関してはマジで、許容したわけではないので…。最推しが唯一明確に推せない一点があるというこの…ウケる…でも、迅悠一推しなんだよ~~~~私は~~~~!!!!!!!!
私個人としては迅悠一のセクハラは許容してないし、セクハラに理由を求めるのも(迅悠一の内面を考察したうえでこういう理由で~みたいな論)も許容していません。(でもだからといって第三者が迅悠一をセクハラしてるからって点でさくっとキツい言葉で言われるのは普通にちょっと傷つくという難儀なオタク、迅悠一が推しなので…本当迅悠一に関してはいろいろ私の中の感情が複雑すぎる)
でも沢村さんが「セクハラは犯罪よ!」ってすぐ言ってくれるとこが、描き方として「ちゃんとそこは理解している!」となりました。まあまずセクハラするなって話なんですけど…。
とはいえ私は2020年にこの作品を読んだわけで、連載開始当時の世相だと世間はまだ今よりもっと鈍感だったんだろうと思います。私も当時はそうでしたし…。(だからといってセクハラやジェンダー観における問題自体が許容されるわけではないですが)
最近は世間の潮流からセクハラキャラもやめたのかな…という気持ちで見ています。(このまま流れていくといいなって思っています…)
で、下の二つについてもどうなんだ~と思うし、どうしてもジェンダー観の偏りとか、女性のまなざし方の話とか、そういうのを感じています。
でも、こういうのってマジで悪気があるわけじゃなくて、意外と「気づけない」ことが多いものだと思うんですよね。環境とかによって。めちゃめちゃいい人でも、どんなに頭がいい人でも、ジェンダー観とかに古っっ!!!!!ってなること、間々あるし。私も昔は鈍感だったし、私も今ようやく意識してアップデートしようとしている最中だし。それにこれが2021年じゃなくて2010年代前半に始まった作品なので、当時はまだ鈍感だった略…という部分もあるのかなって思っています。
だけど女子戦闘員がいたりとか、女子隊長の隊があるのとかはいいなって思っています。数としては不均衡ではあるんですけど…(ゼロだったらたぶんもっとんん~~~ってなってしまってた)
今やこれからの先生がアップデートされていくといいなと願いつつ、先生の周囲もそういう環境になっていくといいななんてことを願いつつ…。
でも私と先生は異なる人間なので、結局どんな価値観で生きていくのかって人それぞれでしかないので、期待しすぎるのも健康的ではないなと思います。願いつつ、今後決定的にこれはダメだ~~!っていうのをぶっぱなされないことを願うくらいの感じでいます。
でも、やっぱ私みたいにそこで引っ掛かりを感じて回れ右してしまいそうになる人がいたらもったいないな~~と思います。作品として。

▼考えまとめ:「好きなもの」を「どの範囲まで好きでいるか」
私は数年前まで「好きなもののことは全部好きじゃないと」という気持ちになってしまうオタクでした。好きなものについて、好きじゃない部分が見えてしまうと悩んでしまったし、「これで『好き』と言っていいのか」と急に不安になってしまった。
ここ数年は本当に「切り分けて考える」ということを意識的にやろうとしていて、うまくいったりいかなかったりしているんですけど、でも昔よりはできるようになってきたなあと思っています。
たぶんそれには自己の確立がある程度必要な作業だったと思います。自分の「好き」を簡単にコンテンツにまるっと任せきることができないから。私ももうすっかり年齢としては大人なんだけどようやく自己を多少形成することができてきたナ…遅…

私はワールドトリガーという作品が好きだし迅悠一が間違いなく推しです。
ワールドトリガーは緻密で優しい物語だと思っているしめちゃくちゃ面白いすごい漫画だと思っているし、迅悠一という男のことも強くて優しくてかっこいい男だと思っている。
だけどそれを構成する要素の全部を手放しで大好き最高超オススメ!!!!って言えるわけじゃ必ずしもない。
それでも、私はワールドトリガーが好きだし迅悠一が好きです。
そういうスタンスです。
私は私だしワールドトリガーはワールドトリガーだし迅悠一は迅悠一だし、全部うまく重なれば嬉しいけど、だけど全部好きになれなくたって「好き」と言っていいし、いちファンである自分の「好き」にそこまで責任を持たなくていいと思うんですよね。
推しコンテンツを全部推せたらそれは最高に幸せなことなんですよ!でも、すべてを盲信できなくてもいい。そういうときは自分なりの距離感を探って健康的に楽しめる方法でやっていくしかない。(逆に、無批判でそのまま受け止めすぎることも時に危険である可能性もあるし、こうやって考えることそのものも意味のある作業ではないかという気持ちでもあります)っていうのが十数年いろんなとこでオタクやってきて思ったことです。というかこれは、自分に言い聞かせているというほうが近い。
総合的に、好きだと思うから好き!!!それでいいと思う。そんな感じでやっていきたいですね。いまだに揺れること多々あるけどね。ここまで書いて「揺れるな」じゃん…ってなってる。

なんか思うままに書いてたらすごい長くなったし自分でも着地点がよくわからなくなってきた。
でもまあワートリ好きになってからずっとぼやぼや頭の中にあったことではあったのでちょっと言語化してみました。
私自身も自分の考えが絶対正しいだなんて勿論思わないし、まだいろいろアップデートしようとしている最中だし、考えが足りていない部分、気づけていない部分も多々あると思うし、今考えていることも少し経ったらまた全然変わってるかもだけど、2021年11月現在の私の思っていることでした。
まあいろいろ書きましたが、そのうえで前述の通り今この瞬間の私のワールドトリガーが好きという気持ちは確かなわけなので、これからも好きだな~って思う気持ちのまま楽しみたいな~っていうのが一番なわけです。これからも気ままに楽しみまっす。

【その2:2021.12.4】

元のふせったー
24巻読みまして、おまけ等々とても楽しんだのですが(質問コーナー今回もすごい!!)、カバー裏だけはまだ読み込めていないんですね 1回さらっと読んでまだ再読できてない
女子キャラのバストサイズ、まだ…書くのかぁ…って…
リアルタイムで食らうと思ったよりきますね、今、2021年末だぞって気持ちで…
連載開始当時はまだ鈍感だった部分もあるんだろう(勿論それで許容されるものではないが)って前回のふせったで書いてて、私は前巻からリアルタイムで新刊発売を経験したこと、最近迅のセクハラ描写もなかったから、根本的に意識が変わったとまでは思わないけどそういう部分に関する期待も若干はしていた部分も無意識にでもあったんだろうな〜と思っていて、だからこそ「そうかまだ続けるか〜〜〜」ってションボリしてしまったんですね
草壁隊まわりでなんかすげー情報色々あった(佐伯くんの過去とか、新しいSEとか??)のは覚えているので、もうちょっと置いてからまた読み込みたいなって思ってるんですけど!最新刊でバストサイズの記述直視するのがちょっと精神的体力がいる!
わーんわーん、他のおまけとかめちゃくちゃ楽しかったし、本編もめちゃくちゃ面白いのに、この部分一点でションボリ…ってなってしまうのがファンとして悲しいし作品のあり方としてくやしい!って気持ちになりました
ワールドトリガー大好きなんだけどなあ!!!!!!!だからこそ!えーん!!!

でこの件自体、先生やその周辺、編集部に指摘する人間がいなかったこと、その変わらなさという部分にちょっとションボリしてしまうんですが、
この件について言及している、作品ファンだからこそ批判の声をあげる人がみられたのはほっとしたところでもあります
「好き」と「すべてを肯定、盲信すること」はイコールではないと思うし、「すべてを肯定することこそ本当のファン」みたいな風潮は健康的ではないし、例えば考えるべき部分があるのにそこから完全に目を逸らして礼賛する人だけが残るコンテンツは結果としていいものではないのではと思うので…
私がワールドトリガーのファン界隈を見る前「この件についてファンはどう思ってるんだろう」とほんの少しだけ不安な部分があったんですね。こういう部分もみんながみんなスルーして礼賛しているのなら少し息苦しいかな、と思っていたので(特に私は迅推しなので、迅のセクハラを迅推しみんな議論なしに全肯定しなきゃいけない空気ならしんどいかなと少し思っていた…)、逆に、こういう部分について考えつつ作品のファンを続けている人がたくさん見られることにほっとしました。そこの線引きが冷静にできる人が多いなと感じたのが、ワールドトリガーのファン界隈の好きなところです。

だけどまあ、好きなものの中で許容できないものがあってそれを切り分けて考えられるというのはとても大事なことである反面、好きなものの中でどうしても許容できないものが存在するというのは単純に精神的体力を少なからず奪うんですよね。
そもそも私たちはただの消費者であり、作品を楽しめる土壌を整えるのは公式側の仕事なので…
私もワールドトリガーが好き!!!!!の気持ちのが今デカいので楽しくファンをしていますが、たとえばこれが「しんどいな〜!!!」って気持ちのが上回るようになったら少し距離を取るという方法を取らざるを得ないこともあると思うし、それは素直にすごくかなしいしさみしいな〜と思うのです
ワールドトリガーが好きです、でも、もっともっと今以上にファンが胸張ってワールドトリガーを推していけるような公式サイドになってほしいな〜〜!!!!!!!っていちワールドトリガーファンとして思わずにはいられない今日この頃でした

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