光暈収録「灯下」 sample
ガサリとスーパーの袋が揺れる。大通りを抜けて、細い道に入ったら最初の十字路を右に曲がる。数度織や晶、隠神たちと歩いた道順を思い出しながら夏羽は事務所への帰路を辿った。日中は雨が降っていたらしい。むわりと湿った生温い空気が夏羽の肌を撫でる。村に居た頃はあまり感じることのなかった類の空気だと思った。東京は、鹿子村より少し湿気が多いのかもしれない。そんなことを考えながら、夏羽は濡れたアスファルトにあちこちできている水溜まりを避けて歩く。
隠神は溜まった事務処理に忙しく、織と晶も急ぎの仕事が入って出かけていて、ちょうど時間が空いていた夏羽が今日の夕飯担当を頼まれたのだった。とはいっても夏羽は料理はまだあまり得意ではないので、インスタントのものをスーパーやコンビニで買うだけになってしまうのだが。
織も晶もそんなに時間がかかる案件ではないとのことだから、二人も夕飯までには帰ってくるだろうと隠神は言っていた。だから夕飯の買い物は、インスタントの麺を四人分。
買い物自体はみんなと一緒に何度か行ったことがあるが、一人でのおつかいは初めてだった。隠神から借り受けた財布を握りしめながら、夏羽はうまくできてよかったとほっと息を吐く。鹿子村にいたときも、おつかいというものはしたことがなかったから。村に居た頃は、商店の類に行く機会もほとんどなかった。全部東京に来てから初めてのことだ。
太陽はもうすっかり沈んで、暗い夜の色が空を覆っていた。けれど街はとても明るい。路地に入れば大通りよりは多少は暗くなるが、それでも等間隔に並んだ街灯や所狭しと掲げられた店の看板などがあちこちでぴかぴかと光っていて、この時間に外を歩いても帰り道に迷う心配がない。多少慣れてきたとはいえ、少し不思議な感覚はある。鹿子村とは全然違う夜の色だった。
角を曲がれば、怪物屋が見えてくる。怪物屋の目印の狸の看板も夜になると明かりが灯る。その光の下に佇む人影を見つけて、夏羽は声には出さずに、あ、と呟いた。
見つけた瞬間、その姿がどこか光って見えたような、そんな気がした。怪物屋の看板の明かりにちょうど照らされているからだろうか。夏羽は目を瞬かせる。
そうこうしている間にその人影は――隠神は顔を上げ、夏羽を見つけて小さく目尻を下げて笑いかけた。その指先に挟まれた煙草の煙が空気をうっすらと白く濁す。
「おう、夏羽。おかえり」
いつもの落ち着いた隠神の声。それに無意識に小さく息を吐いた夏羽は、隠神の方へと歩を進めてから返事をする。がさりと手に持ったスーパーの袋がまた小さく音を立てた。
「戻りました」
「迷わなかったか?」
「はい。何度か隠神さんや、織や晶と一緒に行ったところなので」
「そうか」
「隠神さんは、お仕事は終わったんですか?」
隠神の前に立った夏羽は、隠神を見上げてそう尋ねた。見上げるとちょうど怪物屋の看板の明かりが隠神の真上にくる。淡い光なので眩しいというほどではないが、明るいな、と夏羽は思った。隠神のそばは、いつも明るい。
(後略)