駅前の通りを渡って、すぐのところにあるバーガーショップへ流川を連れていく。赤と黄色のロゴが目立つ、どこにでもあるチェーンのバーガー屋。安くておいしくて沢山食べられるから、花道は気に入って部活の仲間ともよく来ている店だ。
 確かアメリカ発祥だったはずだから向こうでも食べているかもしれないが、流川は特に食に対してこだわりがない男だ。もし相手が女の子だったら自分だってもっと別の場所を、おしゃれなカフェとかそういう場所を選ぶだろうが、相手は流川である。
 久しぶりの日本だからもっとそれらしいものを、という思いもよぎらなくはなかったが、そういうのはまあ、きっと家族と食べているだろう。「ここでいいか」と聞けば頷いた流川の表情にも不満げな色はなかったから、本当に気にしていないのだろうことが窺えた。
アメリカ向こうにもある?」
「ん」
「だろうな」
 自動ドアをくぐって店内に足を踏み入れると、賑やかな音と共に強めに効いている冷房に迎えられた。おかげで一気に体が冷やされて、外とは打って変わったその涼しさに花道は思わずほうと息を吐く。昼時ということもあって、広い店内もそれなりに賑わっているようだ。流川と並んで注文の列に並ぶ。
「本当はすぐそこにオレのお気に入りのラーメン屋があってそっちも考えたんだけど、今日ちょうど休みでよ」
「へー」
 来る途中に通りがかったところで店の前に張り紙が貼ってあることに気づき、今日から盆休みに入ったことを知った。タイミングの悪いことだが、仕方がない。だからまあ、駅からすぐだしこっちのバーガー屋でいいか、と予定を変更することにしたのだ。
「安くてうめーんだ、特にチャーシューがだな」
 話していたらあの味を思い出して段々と食べたくなってしまった。いかんいかん。バーガーの口に戻さないと。だけどラーメン屋の盆休みが明けたらまたすぐ食いに行こう。そんなことを考えながらラーメン屋の話をする花道に対し、バスケ以外に対する情緒が極端に乏しい流川は興味なさげにしている――かと思いきや、意外にも多少興味を持ったようだった。ふうん、と花道の話に頷いた流川が、花道の話が一段落したところで口を開く。
「じゃ、次のときはそっち行くか」
 あんまり普通のトーンでそんなことを言うものだから、流川の言葉に花道は少し驚いてしまった。
 まるで同じ学校で毎日顔を合わせているとか、週末になれば簡単に会えるくらいの距離みたいな、そんな温度で。
 少しの間の後に「……そーだな」と頷いた花道を、流川は少し不思議そうな目で見ていた。キツネには天才の繊細なジョーチョなんてわかるまい。

 混んではいるが案外回転は速く、すぐに注文の順番が来た。お互いにセットにバーガーを追加して、バーガーを二つずつにポテトにドリンクを注文する。そういえば高校生の時も数度だけ部員と連れ立ってここのチェーンで飯を食ったことがあるが、その時も互いにバーガーは二つだった。
 まだまだ食べ盛り、しかもバスケをやっていれば腹はいくらでも減るのでセットのバーガー一つでは少し足りないのだ。花道も、今朝ここに来る前に日課のランニングと近くのコートでのシュート練習をこなしてきたのでもうだいぶ腹が減っている。
 ファストフードと言われるだけあって注文はすぐに揃って、窓際のテーブルがちょうど空いていたのでそこにトレーを置いて向かい合って座る。
 流川と二人きりで、向かい合って飯を食うなんて何だか不思議な感じだった。高校一年、入部したての頃だったら絶対にありえなかったし、学年が上がり関係が良好になってきた頃には他の部員を交えて一緒に行動することはあれど、部活も関係なく二人きりで、こんな風に飯を食うなんてことはなかったから。
 乾いた喉をコーラで潤してから、二人してバーガーにかぶりつく。口の中に広がる肉やチーズ、ソースの味に花道は口元を綻ばせた。いつも通りに美味い。だからあっという間に花道は一つ目のバーガーを食べ終えてしまったのだが、ふと流川を見ればこちらも腹が減っていたのか花道に負けず劣らずのスピードでバーガーの一つ目を食べ終えるところだった。
「やっぱうめーな」「ん」という短いラリーをしたくらいで、あとは食べることを優先してしまえば自然と会話らしい会話は少なくなる。しかし流川とのその沈黙は不思議と嫌なものではなかった。
 だから二人してあっという間にトレーの上のバーガーやポテトをあらかた食べ終え、一息ついたところで花道はようやくまた流川の方を見る。
 と――
 花道が思わずぷっと吹き出してしまったら、流川は不思議そうな顔をして花道に視線を向けた。どうやら本人は全く気付いていないようだ。
(まったく、ちっちゃい子どもじゃねーんだから)
 バーガーの最後の一欠片を口に放り込んでもぐもぐと膨らんだ流川の頬を指さして、花道は喉を鳴らして笑う。
「オイ、口元にソースついてんぞ」
 花道の言葉に目を瞬かせた流川は、バーガーを包んでいた紙をくしゃりと丸めた後、親指を口元に伸ばしてソースを拭おうとする。しかし流川の指が触れたのはソースがついているのと逆側だった。そんな仕草がまたおかしくて、花道は変なツボに入ってしまう。
 けらけらと花道が笑うと、流川は不服そうに眉根を寄せた。まったくこんな姿よぉ、高校の時にいた親衛隊の人らが見たらがっかりじゃねーの。そう思うけれど、当の花道自身はそんな流川にがっかりなんてするわけもなく、そもそも流川に幻想なんて抱いていないので、目の前の流川の間の抜けたさまがただおかしくてならなかった。
「おめーほんとバスケ以外はぼんやりだな。逆だっつの」
 花道がからかうように言うと、流川はむっと拗ねたみたいな視線を花道に向ける。普段は表情を変えない、クールだとかなんとか言われている男のそんな子どもじみた仕草のおかしさが、また花道をふわりと上機嫌にさせた。
 だからだ。
 つい気持ちが緩んで、あんなことをしてしまったのは。
「ほら、こっち――」
 言いながら、花道は流川の顔に手を伸ばす。そしてその口元に触れ、指先でソースを拭ってやった。
 指先に触れる、柔い肌の感触と自分より少し低い体温。触れて、拭って、離れて、その花道の一連の仕草に流川の目が見開かれる。
 流川が驚く顔なんて、ひどく珍しかった。
 だからその表情に気付いた瞬間、花道も驚いてしまう。なんだ、と思ってから、一瞬遅れて自分が今何をしたのかに気が付いて、ぶわりと一気に顔が熱くなった。
「っ、うわぁ!」
 思わず叫んで、ぱっと流川のほうに伸ばしていた手を引っ込める。花道のその声に驚いたらしい店員や周囲の客の視線が一気に集まった。
 それもまた恥ずかしくて、花道は慌てながら立ち上がって「あっ、スンマセン、何でもないっす!」と言いながら身振り手振りで大丈夫だということを全力で伝えれば、周囲の視線やざわめきも少しずつ引いていく。
 ゆっくりと元通りの空気になった店内を確認して、はああ、と大きく息を吐いた。花道は再び席に座る。椅子を小さく引いて位置を整えると、ぎぎ、と椅子の足が床に擦れたぎこちない小さな音が、周囲の賑やかな音の中に埋もれて消えていった。
 再び同じ視線の高さから流川の表情を見つめて、そして花道は先程よりも少しだけ潜めた声で、流川に向けて言う。
「……、なんだよその顔」
 口にした言葉は、まるで文句のような口調になってしまった。流川もむっと唇を尖らせる。その先の言葉が続かない。賑やかな店内で、このテーブルだけがいやに静かになる。流川の白い肌、その耳がわずかに赤くなっていることに気が付いてしまって、花道はいたたまれなくなって目を逸らす。
「……てめーこそ」
 流川に言われて、花道はさすがに言い返せない。顔が赤くなっている自覚はあったからだ。「知らねーよどんな顔してるかなんてよ」と返してやるのが精一杯だった。
 自分のしたことへの恥ずかしさもさることながら、花道は流川の反応にもひどく動揺していた。
 触れたのは、ほんの一瞬だ。だけど――あんなふうに触れただけで、あんな顔するのかよ、こいつは。そう思ってしまえば、また顔が熱くなってしまう。
 付き合っているのだ。
 流川もオレのことが好きなのだ、ということを、改めて思い出させられてしまう。
 ――やっぱり、いつも通り、じゃない。
 さっきは、いつも通りの自分たちのやりとりにどこかでほっとしていた。高校三年間で自分たちが築き上げてきたものは変わっちゃいないのだと。だけどそんなわけはない。あの冬に流川から言われた言葉も、卒業式の直前に交わした言葉も、全部現実で、だから、これまでと同じなんてわけはないのだ。流川も、オレも。
 ソースがついた指を、花道はトレーの上の紙ナプキンで拭う。ソースは紙ナプキンへと移り指はすぐにきれいになったはずなのに、一度強く意識をしてしまえば、あのほんの一瞬の温度と感触が指先にこびりついたみたいに思えた。
 久しぶりに、流川に触れた。
 もっと、その温度を知りたいと、思ってしまう。自分の中に燻っていたそんな欲求が流川を前にして頭をもたげる。だって自分は、離れている間、何度も思っていた。四六時中なんてわけはない。だけどふとした時に、何度も、繰り返し思い出していたのだ。大事に抱きかかえるみたいにして、あの一度きりの夜のことを。
 思い出しては、流川に触れたいと思っていた。
(なあ、流川)
 てめーはどう思ってるんだよ。久々に会って、メシ食って、それだけでいーんか。
 たまらなくなって、心の中で花道は流川にそう問いかける。目の前の男が、それだけで満足するようなタマだなんて花道には思えない。だけど、分からない。そう一ミリの疑いを残して曖昧にしたがるのは、不安だからだ。傷つきたくない。自分だけの感情は虚しいって、今までの失恋経験で花道は痛いほど知っていた。
 五十回告白して、五十回振られて、だけどその数字のひとつひとつに花道はちゃんと本気だったから、振られる度にちゃんと傷ついた。体が傷つくのはいくらでも耐えられたって、心が傷つくのは痛い。そしてそのうえ、両思いでお付き合い、なんて花道にとっては初めてのことだから、何をどうすればいいのかなんて分からなかった。
 ――確かめたい。流川だって『いつも通り』じゃないことは分かる。だけど、少し怖い。
 それに、いきなりそれって、即物的すぎないかという思いもある。お付き合いっていうのは、もっと、こう、ちゃんと段階を踏んでだな。そう言い訳のように思う自分がいるのと同時に、だけど年に一・二回しか帰ってこないこいつ相手に段階を踏んでいたらどれだけ先になると思ってるんだと焦れる自分もいる。
 迷って、切り出せないまま花道は紙の容器の底に少しだけ残っていたポテトをつまんでかじる。そんな花道を見る流川も何も言わず、花道と同じように自分の残り少ないポテトを口に運んだ。しかし互いにもうほとんど食べ終わっていたから、残りのポテトもすぐになくなってしまった。
 手持ち無沙汰になった花道は、紙コップの中のコーラをストローで啜る。ずごご、ともう中身のほとんどないコーラを啜る音が会話のない二人の間に落ちていく。
「……、なあ」
 口を開いたのは流川からだった。
「なんだよ」
 花道はまず、それだけ返す。流川の出方を見たい。オフェンスはディフェンスから――なんて高校時代によく言われたものだ、と関係あるようなないようなことを頭の隅で思い出していた。
 花道はちらりと流川の方に視線を向ける。流川はまっすぐに花道を見ていて、その視線の強さに花道は気圧されそうになってしまい思わず唇を引き結んだ。
「どーする、このあと」
 きた、と思った。心臓がどきりと鳴る。
 この後の予定は何も決めていない。こちらをじっと見つめる流川の強い眼差しが花道の心をざわざわと落ち着かなくさせた。
 バスケもしたいと、思ってはいたけれど。
 だからわざわざボールまで持ってきたのだ。それも嘘じゃない。だけどこれは、期待しすぎないための自分に向けた言い訳でもあった。
 花道はテーブルに肘を突いて、手の上に凭れるように自分の顎を乗せる。頬の赤さもこれで少しごまかせたらいい、なんてことをちらりと思いながら。そしてゆっくりと息を吸って、なんてことない口調になるように気を付けながら、口を開く。
「……わかんねーよ。てめーは何か、したいことあんのか」
 自分から言う勇気がどうしても出なくて、流川の返答に委ねた。言ってから緊張が追いついてきたように、手のひらにじわりと汗が滲む。
 周囲の和やかなざわめきは先程までと何も変わらないはずなのに、それらがずっと遠くにいってしまったように感じられた。流川の一挙手一投足に、否が応にも意識がいってしまう。流川の少し考えるような沈黙が心臓に悪かった。はやく答えろ、と思う。
 オレが今の言葉を後悔してしまう前に。



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