◇ ◇ ◇



 最後の一戦。迅とのランク戦の中で、今までで一番時間のかかった戦いだったかもしれない。一歩も譲らぬ攻防の中でも、一瞬でも隙ができようもならばそれを見逃すような互いではない。攻撃の際にどうしても緩くなる防御を正確に見極めて刃を振るう。互いに片手片足をもぎ取られ、僅かに残している痛覚がトリオン体の破損を鈍く訴えていた。トリオンがそこから激しく漏れ落ちていく感覚がある。
 双方ともに落ちるのも時間の問題のような状況下。正面から相対し、片足で駆ける。孤月よりもほんの僅かに早く、スコーピオンが太刀川のトリオン供給機関を的確に割く。
 ぴしり、と自分の換装体の亀裂が深くなるのが分かる。
『――トリオン供給機関破損、緊急脱出ベイルアウト
 無機質なそのアナウンスが太刀川の耳に届く。
換装体が破壊され意識が生身に引き戻されていく中、太刀川のトリオン供給機関を割く瞬間の迅の瞳の青がいやに綺麗なものに見えて、鮮明に太刀川の網膜に焼き付いていた。

 どさり、と硬いベッドの上に落とされて目が覚める。しんと静かな室内、狭い天井、煌々と灯るモニター。ランク戦ブースの個室の中だ。
(……終わったのか)
 十本勝負。最後に迅が獲ったから、四対六。迅の勝利だった。
 太刀川は硬いベッドの上で大の字になったまま、しばらくの間ぼんやりと天井を見つめていた。先程までの鮮烈なまでの戦いから一転、いくら見つめても何の変化も無い、耳を澄ませば僅かな機械の稼働音が聞こえるだけの小さな部屋だ。この生身の肉体は疲れちゃいないが何だか抜け殻にでもなったみたいで、指一本でも動かすのが億劫な気分だった。少し前に学校の体育館裏で見た、蝉の抜け殻をなんとなく思い出していた。
「太刀川さん」
 どのくらいそうしていたのだろうか。迅が太刀川の名前を呼ぶ声がした。太刀川は体は動かさないまま、目線だけ動かして迅の姿を認める。迅はいつの間にか太刀川のブースに入ってきていた。これも別に、迅とのランク戦の後では珍しくもないことだ。迅は先程の青い隊服ではなく、太刀川と同じ高校の制服姿で太刀川を見下ろしていた。ベッドに寝転がったままの太刀川を気にした風もなく、迅はゆったりと口角を上げて言う。
「六対四。今日はおれの勝ちだね」
 得意げに言う迅に、太刀川は大の字になったまま言う。
「トータルではオレの方が勝ってるけどな」
 太刀川の言葉に、迅はからりとした顔で笑った。
「うん。超せなくて悔しーわ」
 ――上体を起こして、手を伸ばして迅の顔を引き寄せる。迅が何か反応を示すよりも早く、唇を重ねた。あたたかくて柔らかな感触に、じわりと先程とは似通っているけれど違う熱が上がっていく感覚がする。触れ合うだけで離れるのを名残惜しく思ってしまって、舌を伸ばして迅の唇のあわいをなぞった。すると、迅の体が驚いたようにびくりと大袈裟なほどに震えたのが分かる。それがおかしくて、気分が良くて、もっと欲しいという欲が膨らんでいくのを感じた。
 いつもは、したとしても唇を触れ合わせるだけだった。この先はしたことがない。けれど今日は不思議なほどに、これまで考えたことの無かったその先へと、ラインを踏み越えてしまいたい気分だった。
 薄く開いた唇の隙間に舌を割り入れる。迅の舌に煽るように触れると、恐る恐るといった様子で迅からも太刀川の舌に触れる。どちらからともなく舌が絡み合ってしまえば、迅が順応するのは早かった。迅の手がゆっくりとこちらの首元に回されて、髪の生え際になぞるように触れられる。その手を支えにするようにして、迅の舌が押しつけられるように太刀川のそれに触れた。舌同士が触れ合うざらりとした感触に、肌が粟立つような感じがした。触れるだけの唇の表面よりもずっと熱い迅の口の中を知ってしまえば、どうして今まで外側に触れるだけで満足していられたのだろうとすら思えてしまった。
 舌が絡むたび、迅は先程までの戦闘のようにこちらを食らいつくそうとするような獰猛さを孕み始めていて、そんな迅に笑ってしまいそうになった。隙のできた口元から、飲み込みきれないどちらのものともつかない唾液が伝い落ちる。ぞくりと、確かな興奮が背筋から這い上がっていった。
 呼吸が苦しくなって、ようやく唇が離れる。こんなにも貪り合ったというのに、しかしそれでもまだ足りない気がしてしまった。言葉なく至近距離で見つめ合い、まっすぐに交わった目線、迅の瞳の奥に確かに揺れる熱を見つけてしまったら、それが欲しいと思ってしまったのだ。衝動と言った方が近いような、強い欲求だった。
 迅とのこの「先」を考えたのは初めてのことだ。しかし不思議とそれは、知らない欲ではないように思えた。これまでずっと気付いていなかっただけで。その感情の名前を探そうとしていなかっただけで。
 ――俺は、迅のことが好きなのだと思う。

 玉狛に行くわけにもいかず、しかし太刀川の家も本部からは微妙に遠い。言葉少なに本部を出た後、結局警戒区域にほど近いところに建っている適当なラブホテルに転がり込んだ。こんなところにこんな建物があったのか、と思う。全然知らなかった。これまでそういったことに、とんと縁も興味もなかったものだから。
 狭い部屋には不釣り合いなほどに大きなベッドがおかしくて、ここはそういう場所だもんな、と妙に納得をする。太刀川がベッドに乗り上げるが、しかし迅は一向にこちらに来ようとしない。おや、と思って見れば、迅は先程の獰猛さはどこへやらといった様子で唇を引き結んで目を僅かに泳がせていた。どうやら迅は、ここに移動するまでの間で妙に冷静になってしまったらしい。そんな迅が気にくわなくて、学ランの襟を引いて唇に噛みついてやる。そうして迅の引き結ばれた唇を舌で開かせ、先程のお返しとばかりに舌で蹂躙するように触れてやると、迅の気色がにわかに変わる。元来の負けず嫌いと強欲さがようやく戻ってきたのだろう。
 唇を離して、ぷは、と息をする。襟元を掴んだ手を、迅の後頭部に回してその茶色の髪に指先を絡ませた。好きな相手へのじゃれあうような触れ合いというよりも、逃がさないように掴んでやったという方が近い。それを迅も分かったのだろう。欲を滲ませた青が、太刀川を見つめて僅かに揺れる。
「迅」
 名前を呼ぶ。迅の肩がぴくりと揺れるのが視界の端に見えた。指先に絡んだ茶色の髪は少しぱさついていて、触れてみないと分からないことというのは沢山あるものだと思う。
 太刀川は迅から目を逸らさずに言う。
「来いよ」
 ――ここまできてこの熱を燻らせたまま帰れるほど、俺もお前も、聞き分けの良いいい子などではないだろう。そう思いながら、太刀川は迅を見る。
 太刀川の言葉に、迅はくしゃりと一瞬泣きそうな表情になった。しかし太刀川が次にその表情を捉えようとした時には、迅の表情は獰猛さを孕んだそれに変わっていた。迅の青い瞳が、太刀川を射抜く。それに一瞬見惚れそうになった間に、唇を奪われた。
 触れて、すぐに舌先が太刀川の唇を割り開く。性急なその動きに太刀川も応えるように舌先を絡ませてやると、触れ合った迅の温度がにわかに上がった気がした。唇の隙間から、舌が絡み合う淫猥な水音がする。目を閉じるのが勿体ない気がして目を開けていると、同じく目を閉じない迅の瞳に不服そうに見つめられた。舌が太刀川の口内の内壁をなぞって、ぞくりと興奮が駆け上がる。
 キスをしている間にじわりと体重をかけられ、そのまま押し倒すようにベッドに沈められる。ぼすん、と音がしそうなくらい勢いよく沈んだベッドは、見た目よりもずっとふかふかだった。その間も止まないキスがお互いの口内を弄ぶ。迅の長い前髪が重力に従って落ちて、カーテンのようにして太刀川の視界を狭くする。シャンプーのにおいだろうか、飾り気の無い石鹸のような香りがふわりと太刀川の鼻孔を擽った。
 視覚も聴覚も触覚も嗅覚も、――触れ合った舌の感覚を味覚と言っていいのならば味覚も――太刀川の五感すべてが迅で埋め尽くされる。そんなわけがないというのに、目の前にいる迅が今このときだけは世界のすべてのように思えて、笑えてしまうと同時にそれも結構悪くはないななんて戯れ言のように思う。
こっちが全部迅ならば、迅にだって今この時だけは太刀川が世界だ。そう思えば、なんだか楽しいような、優越感のような、そんなことを思う。そう思う自分に自分で驚かされた。
 ああ、そういえばどっちがどっちのつもりか聞かなかったな。今更にそんなことを思う。しかし、こうやって勢いよく太刀川を押し倒してきたということは、迅がそっち側のつもりなのだろうと考える。迅がそっち側をやりたいと言うのならば、太刀川はそれに異論はなかった。迅のやりたい風に任せようと、目の前の感覚を追うことに集中する。
 それは赦しというよりも、迅が好きなようにして、その飄々とした仮面の下に隠した子供じみた負けず嫌いも強欲さも獰猛さもその全部を生のままぶつけられるのが、太刀川にとってひどく楽しくて気分が良いことであるからだった。太刀川は迅とすることであればどちらがどちらだっていいと思った。だから、迅が自分の欲求のまま好きなようにしようとするのならば、太刀川にとってもそれが良いと思えたのだ。
 お互いに制服もシャツも脱ぎ捨てて、上半身を晒す。トリオン体では何度もその体を射抜かんと斬り合ってきて、斬り落とした互いのトリオン体の断面もよくよく知っているというのに、迅の生身の裸を見るのは初めてということに気付いて太刀川はなんだかおかしかった。
 普段ののらりくらりとした印象からは想像したことのなかった、細身だがうっすらと筋肉のついた肢体を感慨深く見つめると迅が眉根を寄せて「……そんなに見られると恥ずかしいんだけど」と口をまごつかせた。これからもっと恥ずかしいことをしようというのに、迅の照れのスイッチがどこにあるのか太刀川にはいまいちよくわからない。それもまた太刀川は面白く思うのだけれど。
「いや、案外鍛えてるんだなと思って」
「レイジさんに言われて、多少はね。おれたちが戦うのは基本的にトリオン体だけどさ、生身で動ける感覚を掴めばトリオン体ではその何倍も動けるようになるからって」
「そうか」
「今はそんな話いいでしょ、それより」
 迅は緩みかけた雰囲気を引き戻すみたいに、再び覆い被さって太刀川に口づけた。迅はキスが好きらしい、というのも新たな発見だった。迅の手のひらが太刀川の腹筋をなぞるように撫でて、脇腹の方へ手を滑らせる。その動作がくすぐったくて、しかし阻むものがなにもなく、血の通った体温のある生身同士で迅と触れ合うのは心地が良くて興奮もじわりと煽られていった。
 迅の手がそのまま下へと移動して、まだズボンを履いたままの下半身に触れた。先程までの触れ合いで段々と兆し始めていそこに迅の指先が触れると、太刀川の体が僅かに揺れる。
「ちょっと勃ってる」
 そう煽るように言ったつもりであろう迅の声色には、しかし抑えきれない喜色が確かに滲んでいた。そんな迅がなんだかかわいらしく思えて、むくりと悪戯心が湧き起こる。一瞬油断した迅の隙を突いて、こちらもまだズボンの布に覆われたままの迅のそこに手を伸ばす。
「おまえこそ」
 掴むように触れてやると、迅が「ぎゃっ」と驚いたように声を上げる。迅の下半身も、まだまだ柔らかさは残っているものの確かに熱を持ち始めていた。それにこちらもなんとも言えない満足感を覚える。
「っ……、太刀川さんほんとムードないよね!」
「俺にムードとやらを求める方が間違ってると思うぞ」
 先程隙を突かれたこと、変な声を上げてしまったことが不本意なのだろう。顔を赤くしながらそう言う迅が普段よりずっと年相応の子どもっぽく見えて、こういう迅も存外面白くていいなと思う。本人に言えば拗ねられてしまいそうだから言わないけれど。
 迅の手が太刀川の下半身に包むように触れて、今度は確かに性感を高める意思を持って輪郭をゆっくりとなぞられる。少し強めに握られると、無意識に息を詰めそうになった。
 男の急所でもあるそこを、こんな風に人に触れられるのは初めてのことだった。だからどうにも無意識に体がこわばってしまいそうになるのだが、相手が迅だと思えばふっと緊張が解けた。迅ならば大丈夫だろう、なんて信頼と呼ぶにはあまりにあっけらかんとして当然のような顔をしてそんな感情が顔を出す。
 強弱をつけながら触れられていくうち、自分のそこに熱が集まるのがわかる。布越しの刺激がもどかしいと感じ始めた頃、迅がズボンのベルトに手をかけたかと思えば器用にするりとそれを抜いていった。
ズボンを脱がされて、直接触れられるかと思えば迅の手はボクサーパンツを脱がしはせず、またその上から太刀川の熱に触れてくる。先程よりも幾分生々しい感触にはなったがしかし、まだ足りない、とじわりと上がっていく熱に浮かされて思う。迅の手に高められていく興奮と、迅がもっと欲しいという欲求と。
「……、ッ」
 布越しに亀頭を押すようにぐり、と強く触れられて太刀川は体を震わせる。その反応を迅が見逃すはずもなく、口角を小さく上げた迅は手で太刀川を確実に追い詰めていく。ぎらりと光の宿ったその瞳に興奮させられてしまった自分に少し呆れる。固くなっていくそこからじわりと先走りが滲んで、太刀川のグレーのパンツに小さな染みを作った。
「ぁ、迅、もういいだろ。パンツ越しだともどかしくて嫌だ」
 太刀川がそう言うと、迅は太刀川の方を見つめてゆっくりと瞬きをする。目が合って、ああ、この目だ、と思う。確かな興奮を宿したその目は、太刀川が一等好きな色をしていた。ごくりと迅の喉仏が上下するのを視界の端に見た。



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