in the morning sample
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋の中を穏やかに照らし出す。ゆっくりと浮上した意識と共に目を開けると、眼前にはすやすやと寝息を立てる恋人の姿があった。太刀川の家のベッドは男の一人暮らしにはごく標準的なシングルベッドなので、二人で寝ようとするとどうしたって狭い。夜を共にした後、こうして目を覚ました時に至近距離に太刀川の顔があることに最初の頃は分かっていたって動揺させられたものだ。今は流石に動揺こそしなくなったものの、起き抜けにどアップで好きな人の顔を見るというのはやはり心臓がドキリと鳴ってしまうものだった。
いつだって余裕を持った冷静で軽やかな男でいたいつもりなのに自分は太刀川のことになるとどうも自制が効きにくいことは自覚していて、しかし太刀川だって拒むどころかもっとこいよ我慢とかするなよだなんて煽って誘ってくるものだから、体を重ねた後は無理をさせてしまったのではないかといつも少しだけ心配になる。他でもないこの人をそんなにヤワな男だなんて思っているわけじゃないけれど、だけどこの人だって生身の人間なのだから。心配をしすぎると太刀川には笑われてしまいそうだが、だからこうして穏やかに寝ている姿を見ると内心でどこかほっとするような気持ちになるのだ。
そっと手を伸ばしてその少し癖のついた髪に触れる。遠くから見ると黒っぽい色をしているけれど、本当は深緑のような色だ。朝の光が迅とは違う深緑色の髪の毛をちらちらと照らして、それをきれいだななんてぼんやりと思いながら指先を遊ばせる。自分の指に髪の毛が絡んだ後するりと解けて落ちていくのを眺めていると、目の前の太刀川の睫毛がぴくりと揺れた。あ、と迅が声に出さず言うのとほとんど同時に、太刀川の睫毛がゆっくりと持ち上がる。独特な格子状の目がその下から現れて、迅の姿をとらえる。
「ん、……じん」
唇がゆっくりと動いて、まだ少しだけ寝惚けているような、普段よりもどこか舌っ足らずで掠れた音で太刀川が迅を呼ぶ。
太刀川という男は基本的にとても寝起きがいい。朝が弱い迅とは正反対だ。しかしそんな太刀川でも流石に起きた直後から完全に覚醒しているというわけではなく、そしてそれは体を重ねた翌朝となると普段よりさらに起き抜けはぼうっとした様子になる。それが申し訳ないような、でもどうしようもなく嬉しいような、とにかく言葉に出来ないような感情が迅の心臓をいつも揺らしてくるのだ。
そんな動揺を悟られないように隠すのはただただ自分の見栄だ。努めて冷静な、余裕をもった声色を意識して迅は返す。
「ごめん、起こした?」
迅の言葉を聞きながら、太刀川はぱちぱちと何度か瞬きをする。そうして、ふあ、と小さく欠伸をした後には太刀川の表情はすっかりと覚醒したものになる。やっぱりこの人寝起きいいよなあ、と思ってそんな自分との違いをどこか眩しいように思った。
「いや? 別にいい。おはよ」
「うん、……おはよう」
こうして裸で、ベッドの上で、朝の挨拶を交わすのは何度繰り返したってどこか気恥ずかしさが抜けない。しかし太刀川の方はといえば機嫌のいい様子を見せこそすれ、こういう朝に恥ずかしがる様子など見せてくれない。それも太刀川らしいと思いながらも少しだけ悔しくもあった。
迅の言葉の後会話は止まって、そのままなんとなく至近距離で見つめ合う。二人きりの部屋の中、窓の外から微かに車が走る音などの街が動き出している音が聞こえてくる以外は静かなものだった。
まだ手を添えたままだった太刀川の髪をさらりともう一度軽く梳いて、そのままゆっくりと手のひらを頬に滑らせる。それに誘われるみたいにして太刀川が小さく身じろぎをした後、ただでさえ近かった顔がさらに近付いてキスが降ってきた。あたたかくて柔らかい感触が唇に触れる。
太刀川から迅に触れてくる時、そんな色など纏っていないように見せて急にこうして触れてきたりするものだから迅はどぎまぎとさせられてしまう。普段性にまつわる欲なんてまるで関心もなさそうな顔をしているくせに太刀川の中にもそれが確かにあって、自分が普段見ている日常の太刀川と地続きに彼のその欲はあるということ。そしてそれが他でもない自分に向けられているということに、だ。自分は少なくとも太刀川よりはムードとか前置きとかを気にしたいタイプなので、違う人間なんだなということも改めて思わされる。しかし、だからこそ、太刀川への興味とその内側を知りたい、暴いてみたいという欲がずっと呆れるほどに迅の中で尽きることはなかった。
触れただけで離されるのを名残惜しく思って今度は迅の方から唇を寄せる。少しだけ太刀川の方ににじり寄ってから、頬に手を触れさせたままキスをした。太刀川の方はそれを予想していたのかは知らないけれど、動揺もせず触れた唇が小さく弧を描いたのが触れ合った唇から伝わってくる。それになんだか煽られてしまって、もっと深く味わおうと舌先でその唇の縁をなぞった。受け入れようと薄く開かれた唇の隙間から舌を侵入させる。太刀川の口の中で彼の舌に出迎えられ、舌同士が触れ合って、そのざらりとした感触にぞくぞくと確かに背中を興奮が駆けるのを感じた。
その興奮と、もっと深くという欲からか、無意識にまた少しだけ体をすり寄せるように太刀川の方に近付く。狭いベッドの上だからすぐに太腿同士が触れ合って、そして――。
「……、っ」
直接的な感触に、思わず唇を離してしまった。かっと耳に熱が集まるのが分かる。と、目の前の太刀川がそんな迅を見ながらにやにやと楽しそうに悪戯っぽく笑っているものだから、余計に居たたまれないような気持ちになってしまった。
「朝から元気だなー、ゆーいちくんは」
元気、という言葉に込められた暗喩を汲み取れないはずがない。そこが触れた時に、他でもない太刀川に気付かれなかったはずがないのだ。迅は慌てて、「ちっが……!」と否定の言葉を返す。
「これは生理現象! 太刀川さんも、男なんだから分かるでしょ」
そう、自分の下半身が既に兆し始めているのだ。とはいっても、起き抜けの時から薄々気が付いていた――太刀川と触れ合っているうちにすっかり頭から抜け落ちていただけで。朝起きた時に勃起しているというのは、男にしたらそう珍しいことでもおかしいことでもない、ただの生理現象だ。だから朝から元気だなんてまるで人がやらしいみたいに揶揄される筋合いはない。……先程のキスの興奮が全くそこに寄与していないかといえばきっと嘘になるけれど、それは今わざわざ言わなくたっていいだろう。
迅の反論に、太刀川がくく、と忍び笑いをする。
「なんだよ、別に責めてるわけじゃないぞ。むしろ楽しんでる」
それを本当に面白そうな表情で言うのだから、この人は余計に性質が悪いのだと思う。
「楽しまなくていい。太刀川さんがよくても、おれが居たたまれないの」
迅の言葉を受けた太刀川が、ふうん、と言いながら自分の顎に手をやって顎髭をゆっくりと触る。これは髭を生やし始めてからの、太刀川の何かを考える時の癖だ。そして迅はもうひとつ知っている。こんな、楽しそうに小さく瞳を揺らしながら何事かを太刀川が考えている時は、大抵くだらないことかろくでもないことを考えている時だって。