all year round収録「flare」sample



(ほんの一瞬でいい、どこかで隙を……)
 ぐ、と目をわずかに凝らすようにして〝可能性〟を探す。攻める手は止めず、視界に次々現れる未来視から決定的な一手を探る。三手先に一瞬手薄になった脇腹を突いて大きなダメージを与えるか、次に距離をとった時に回り込んで首、いやそれは可能性が低いから片腕を先に落としておくか――。
 くるくると巡る未来視、高速で回転する頭の中。自分の感覚がぐんと研ぎ澄まされていくように思えた。太刀川の刃を受けて、打ち返す。
(この、次――)
 未来視が教えてくれた反撃の好機に向けて、弧月の狙いを定めて振るおうとする。弧月を握る手が流れるように動いた、そのはずだった。
「もらった」
 そう言った声は、自分の声ではなく太刀川の声だった。その声を認識するのとほとんど同時に、鋭い衝撃がトリオン体を貫く。
 ぴしり、とトリオン体にヒビが入る音が体の中に響いた。目の前の太刀川の髪の毛が揺れて、その隙間から彼の瞳が迅をまっすぐにとらえる。
 その、迅を見据えるまなざしが、目に焼き付いた。その目にどうして動揺したのか、戦線を離脱する寸前のわずか数秒の間には知ることはできなかった。
『トリオン供給機関破損、緊急脱出ベイルアウト
 機械的なアナウンスが響いて、迅の意識は一瞬白くなる。

 ――ぼすん、と肉体が黒いベッドの上に落とされ、意識が生身に戻ってくる。決して粗悪なわけではないけれど普通の寝具としてのそれよりもずっと固いこのベッドに落とされる感覚は、負けた時にはあまり気分の良いものではない。しかし起き上がることを億劫に思って、そのままベッドの上に寝転がったままぼんやりと天井を見つめていた。できてまだまだ日の浅いこの本部基地の天井は玉狛と違ってシミ一つ無く真っ白だ。
 先程まで意識はトリオン体にあったはずなのに、生身に戻ってもずくずくと熱が引かないような心地だった。太刀川と戦うと、いつもそうだ。生身に戻っても体が熱を持っているように錯覚させられて、余韻の中に落とされたままなかなか引いてくれない。それが心地よくて楽しくてもっともっとと求めてしまいたくなるのに、同時にそれに座り悪いような気持ちにさせられるようになったのはいつの頃からだっただろうか。
(今日は三‐七……)
 声に出さずそう呟くとまたじわりと焦燥が疼いて、迅の心の中を急かすみたいに揺らしてくる。はぁー、と迅は長く息を吐く。熱は、まだ引かない。
 ここ最近、太刀川に段々と勝てなくなってきていることを自覚していた。
 勿論、己を無敵などと驕っているわけではない。師匠である最上にも忍田にも到底及ばないし、小南や木崎に模擬戦で負けたことだって何度もある。そのあたりは迅は冷静に自分の実力を捉えているつもりでいる。
 だけど。だけど、ほんの数ヶ月前にトリガーを使い始めたばかりの太刀川に。
 この負け方は偶然や、ただ太刀川が今調子が良いからだとか、そういうことでないということにも気付いていた。――太刀川が入隊して、ランク戦制度が始まってから、誰より刃を合わせてきた自分だからこそより分かる。
 太刀川は冷静に、こちらの動きを読んだ上で対処してきている。
 未来視を使っているのに、捉えきれない。捉えられたとして、こちらの動きが追いつかない。
(……太刀川さんは、強い)
 入隊してからの太刀川の戦闘における成長ぶりは目を見張るほどだった。流石忍田が直々に鍛えているというだけはある。その上、元々の素養として弧月での戦い方は太刀川によく合っていたのだろう。最初こそトリオン体での戦いに慣れていた迅の方が勝ち越していたが、あっという間に互角にまで追いつかれ、そして今に至る。
 ぼんやりとした心地で寝転がったまま、右の手のひらを天井に向けるみたいに掲げてみる。先程まで、トリオン体で弧月を握っていた手のひら。太刀川の大きな手とは違う、すらりと細い自分の手。
 太刀川の戦い方を見ていて、最近では薄々気付かされていた。自分を卑下するわけじゃない。ただそこにある事実として、眼前に突きつけられる時がきていた。迅と同じ、弧月。同じ武器を使っているからこそ、より鮮明に、痛烈に、分かってしまうのだ。
(弧月じゃ、もう、おれは――)
 机の上に置いてあるモニターの画面がぱっと切り替わって、通信が入ったことを知らせる。表示された部屋番号はこの隣、太刀川が入ったブースから。ポイントは先程よりも少しだけ増えている。迅から勝ち取ったポイントだ。
『今日も俺の勝ちだな』
 そう迅に伝えてくる声色はわくわくと嬉しそうだ。あー太刀川さん今すごい楽しそうな顔してるんだろうなー、なんて想像する。しかし迅は先程までのぐるぐると腹の中で巡る感情をどうしたらいいのか決めかねてぐっと小さく唇を噛んでしまった。今日「も」、と言われてしまえばそうとしか言えない。最近の対戦では、ずっと太刀川に負け越している。
「……そうだね」
 返した言葉は冷静を装おうとしたはずなのに、自分でも思っていた以上に拗ねた子どものような声色になってしまった。しかし太刀川のことだからそんな迅のことをなっはっはといつものように得意気に笑い飛ばすのかと思ったのに、何も言葉が返ってこない。おや、と少し動揺させられてしまった。どうしたのだろうか。この画面にカメラ機能はついていないので、今太刀川がどんな表情をしているかは分からない。
『……おまえさあ、』
 言いかけて、太刀川の声が途中で止まる。こんなふうに何かを言い淀む太刀川は珍しい。



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