ステイゴールド sample
「視えた時から気になってたんだけどさ、それって貰いものとか?」
部屋に入るなり、迅はローテーブルの真ん中に置いてあったそれに視線を向けて言った。
「お。視えてたのか」
「うん。あー太刀川さんち涼しい、やっぱ午前中でもこの季節はもう無理だね。暑すぎる」
ぱたぱたとうちわ代わりにした自分の手を汗ばんだ首元に向けて扇ぎながら、勝手知ったる様子でクーラーが一番当たるベストポジションであるローテーブルの前に迅が座る。生身で歩いてきたらしい迅の顔や首にはなるほど薄く汗が滲んでいた。ただでさえ迅は暑がりな上、まだ朝の十時も回っていないというのに窓の外はまさに夏本番といった快晴である。
太刀川も迅の隣に座って、先程迅が気にしたそれを手に取った。手の中にあると見た目よりずしりと重量を感じるそれ――今時は珍しくなってしまったフィルムカメラ、それもこんな小ぶりではあるが本格的でレトロなものとなると確かに俺の持ち物としてはなかなかイメージに無いだろうとは自分でも思う。
今までカメラといったら、携帯についているカメラ以外だと修学旅行なんかで持っていったインスタントカメラくらいしか扱ったことはない。それだって大して写真は撮らなくてフィルムの枚数を余らせるのが常だったし、今持っているスマートフォンのアルバムには大学の課題の締切とかのメモの為に撮った写真とかが数枚入っているくらいで、写真らしい写真はほとんど入っていないのだ。
だからまあ、そんな太刀川の性格を分かっているだろう迅が気になるのも当然といえば当然だ。
「かっこいいだろ?」
手に持ったカメラを、迅の目の前にずいと出して見せてやる。存在感のあるその重みが、最近のなんでも小型化軽量化されていく世の中の流れとは相反するように思えてそれだけで歴史を感じさせる。
にやりと自慢するみたいに笑ってみせれば、そんな太刀川を視た迅は呆れたような苦笑で返してきた。
「あーうん、そうだね、かっこいいねカメラ」
「気持ちが込もってないな」
「別に込めてないもん」
言いながら、迅はぱたぱたと自分に向けて扇ぐ手を止めない。そういえばちょうど先日商店街でチラシも兼ねた紙製の小さなうちわを貰ったことを思い出して、棚の上に置きっぱなしだったそれを取って「使うか?」と差し出すと「お、ありがと。さすが太刀川さん」なんてこんな時ばかり調子よく迅が目を細めて笑った。
迅が手ではなくうちわを扇ぎだしたところで、太刀川は話を続けることにする。
「これ元々は、出水のひいじーちゃんのやつらしいんだけどな――」
事の始まりは、昨日の隊室でのことだ。
「ちょっと前に亡くなったうちのひいじーちゃんがカメラが趣味だったんですけど、遺品整理してたらカメラが大量に出てきたらしくって」
普段より大きめのカバンを持って隊室に来た出水が、ソファに座るなりカバンからいくつかのカメラを取り出しながら言った。なるほど学校帰りならともかく、夏休み中の今にしては大きめのカバンはそういうことか、と思いながら太刀川はテーブルの上に置かれていくカメラを眺める。なんだいなんだい、なんて言いながら先程まで没頭していたゲームの手を止めて国近も近付いてきた。唯我は三雲の練習に付き合ってから来ると言っていたから、まだ隊室には来ていない。
「収集癖っつーか、カメラ買うの自体好きだったみたいで」
と出水が続ける。ごとん、とがっしりしたカメラがテーブルに置かれて重そうな音を立てた。
「これ、まだどれも使えるみたいなんですけど、でもうちの親類でカメラ好きな人他にいないから。このまま全部捨てるのも忍びないし、ボーダーのお友達でカメラ好きな人とかいたらっておれに託されちゃったんすよね~。ってことでちょっと見つかるまで隊室に置かせて貰えたらと」
「なるほど」
小ぶりなものからプロが使いそうな重厚なものまで並べられたカメラは様々だ。しかしどれもしっかりしていて、恐らくいいものなのだろうと思う。太刀川が手にしたことがあるインスタントカメラとは全然違う。「そうだね~、ボーダーなら誰かいるかも。ほら今レトロブームとかあるっぽいし?」と国近もカメラを眺めながら頷いていた。
触っていいか、と出水に一応確認してから並べられた中で一番小ぶりなものに手を伸ばしてみる。全面シックな黒に金色でメーカーのロゴが印字されているそれを持ってみると、予想以上にしっかりと手に伝わる重さに太刀川は思わずおお、と声を上げた。そうした後に、くるくると色んな角度からカメラを眺めてみる。なるほど多少細かい傷はあって古さは感じるが、まだ全然使えそうだ。
「確かに見た目もかっこいいしな。ほら、カメラが似合う男ってなんかかっこよくないか?」
そう言いながら試しにストラップを肩にかけてカメラを構えてみる。そのままきょろきょろと顔を動かしてみれば、国近が「そーいうカメラマンいそう~」とけらけらおかしそうに笑っていた。
「お、結構様になってるんじゃないか俺」
「まーいそうはいそうっすね、そういうカメラマン」
出水にはそうあしらわれてしまったものの、そんなやりとりをしていたら何だか段々その気になってきてしまった。本格的なカメラなんてまともに扱ったことはないのだが、なんとなくむくむくと好奇心が芽生えてくる。
楽しそうだな、と直感が思ったら、その直感を信じて進んでみるのが二十年ほど生きてきての自分の信条だ。勿論それで長く続くことも少しやってみて最終的に飽きてしまうこともあったけれど、しかしその直感は何度も自分を楽しい方に連れて行ってくれてくれたから。
――それに明日はちょうど、朝から迅と会う約束をしているのだ。
「なあ出水。……譲り受けるかは別として、貰い手見つかるまでちょっと借りてみてもいいか?」
「……と、いうわけだ」
「太刀川さん、単純すぎでしょ」
かいつまんでの説明を終えると、呆れた顔をした迅が肩をすくめて苦笑した。
「いやー、でもカメラやってる男ってモテるって聞いたことある気がするぞ」
太刀川がそう言ってみれば、迅がすぐに分かりやすく唇を尖らせる。
「なに、今更モテたいわけ? 女の子に?」
拗ねてますというのを絵に描いたような表情と声色に、太刀川は思わずくっと笑ってしまった。かわいいやつだな、という言葉が喉まで出かかって、それを言うと余計拗ねられそうだと思ってぎりぎりのところで引っ込める。だいたいおまえだって大概かっこつけだろ、と言いたいのも、ここはこらえてやることにした。
「誰からだってかっこいいって思われるのは悪い気しないだろ。心配すんな、浮気する気は全然ないぞ?」
「ほんと調子いい……」
言いながらも、その口の端がわずかに緩んでいるのは見逃さなかった。本当こういうとこ可愛げあるんだよな、と一つ年下の恋人を見て思う。一つ年下、といっても厳密に言えば迅の方が誕生日が早いので、太刀川が今年の誕生日を迎える前の今は年齢という点だけで言えば同い年ということにはなるのだが。
「ってか正直、この先の未来視もちらほら視えてんだけどさ。……このバリバリの真夏日に、元気に出かける気?」
迅の言葉に、お、と思って太刀川はにまりと笑う。このカメラを借り受けた時からこっそり思っていたこと、まあ未来視のサイドエフェクトを持っている迅にバレるのも仕方ないだろう。元よりどうしても隠そうなんてつもりもない。迅と付き合う上で、こちらの用意した手札はバレる前提だ。その上で迅の思惑をひっくり返してやるのが楽しかったりなんてするのである。
「視えてんなら話が早い。折角カメラがあるんだ、外に遊びに行かないと損だろ。夏休みだしな。夏休みは元気に遊ぶものって決まってるんだよ」
なんて言うと迅は「それは小学生とかの話じゃない?」と口を挟んだが、それは無視してぐっと距離を詰める。正面から迅の涼しそうな青い目を見つめれば、うちわを扇いでいた迅の手が気圧されたように一瞬止まる。そんな隙を見逃さず次のカードを切るのは、この男と戦うようになってからすっかり癖のようになったものだった。
太刀川は口を開いて、言葉を続ける。
「遊びに行こうぜ? 迅」
ホームの端まで行くと屋根が無かった。直射日光が見るからに暑いと言った迅に倣って、その手前の日陰に入り乗り換えの電車を待つ。とはいえ日陰でも暑いものは暑くて、立っているだけで額にじわりと汗が滲みだす。迅は先ほど部屋で太刀川が貸した小さなうちわをまたぱたぱたと扇いで暑さを紛らわせていた。
幸いにして、十分も待たずに乗り換えの電車はやってきた。電車に乗り込むと車内はクーラーがきんと効いていて涼しく、生き返るような心地だ。座席の多くは向かい合わせに配置されたボックス席になっていて、普段三門ではなかなか見ないタイプの車両に太刀川は思わず「おお」と小さく声を上げる。隣で迅も楽しげに表情を和らげた。
「旅行っぽいな」
「だね」
学生は夏休み真っ盛りの時期とはいえ、平日の昼間だからか思ったよりも電車の中は空いている。ちらほらと親子連れや学生らしき人たちが乗ってはいるものの、座席は簡単に確保することができた。四人がけのボックス席に二人で向かい合うように座ったところで電車が発車する。
窓の外の景色がゆっくりと、そして次第に速度を増して流れていく。窓のところが少し張り出して小物が置けるようなスペースがあったので、太刀川は首からかけていたカメラをそこに置くことにした。この電車に乗ればあとは乗り換え無しで、一時間ほどで目的地に着く予定だ。
夏と言えば海だろ、と言えば迅には「安直」と苦笑されたが、しかしなんだかんだ言いつつ迅も結局着いてきたのだった。三門から乗り換え一回、一時間半くらいかけて行った先にある海のある街まで今は向かう途中だ。
今日明日はお互い非番だということは確認済みなので、急いで帰ってくる必要もない。だからこそ普段はなかなかしない――というか、する必要性も互いにあまり感じていなかったであろう、ちょっとした遠出をたまには楽しんでみることにした。迅も最終的に反対しなかったということは、自分たちが三門を少しくらい離れても未来視的にも問題はないということだろう。
斜め前のボックス席では、家族連れの中の小さな男の子がわくわくとはしゃいだ様子で窓の外を眺めたり両親に話しかけたりしていた。あの子たちもこれから海に行くのだろうか。夏休みだもんなあ、と思う。
自分もその子くらい小さいときに、家族で海に行ったような記憶が朧気ながらある。詳しいことまでは覚えていなかったが、それが楽しい思い出であったことも。
ボーダーに入ってからはなかなか、夏休みだろうが非番の日だろうがめっきり遠くに遊びに行くなんてことはなくなってしまった。それは単純に忙しいということもあったが、別に縛られていたつもりもない。不満などなかった。だってボーダーに入ってからは、それが俺にとって一番楽しいことになったから。
だけどまあ、こうしていざ久しぶりに日帰り旅行じみたことをすると、それはそれで楽しくわくわくとした気持ちもやっぱり生まれてくるのだ。なんといっても、一緒に行くのがこの男とだから、というところも多分にあるだろう。俺にとっては。
そんなことを思いながら迅の方を見やると、迅はくぁ、と大きく口を開けて欠伸をしているところだった。
「眠いか?」
声をかけると、迅はぱちぱちと目を瞬かせながら太刀川に視線を向ける。