ステイゴールド sample





◇ ◇ ◇



 店を出てまた少し歩くと、海を見つけるよりも先に楽しそうな子どもたちの声が風に乗って耳に届く。「ぼちぼち着くかな」と先程迅が地図アプリで確認した通りに道を右に曲がると、すぐに視界が開けて鮮やかな青が目に飛び込んできた。
「おお」
「海だ」
 思わず二人して零れるようにそう言ってから、アスファルトの道を先程までよりも少しだけ足早に進む。平日の海水浴場は程よい賑わいで、楽しそうに遊ぶ親子連れや、あるいはのんびりと海を楽しむカップルらしき姿がちらほらと見えた。
 砂浜に降りる階段の目の前まで来たところで、迅が口を開く。
「で、海着いたけどどうする? 泳ぐの?」
「そうだな。折角だから泳……いやでも待て、水着がないな」
 言っている途中で今更気付いて、しまったな、と思う。夏だから海に行こう、というくらいのノリで出てきてしまったから、迅と海に行くということにばかり気を取られていてそこまで気が回っていなかった。
 別にどうしても泳ぎたい、というほど海水浴に大して強いこだわりがあるわけではないのだが、折角ここまで来たのなら海を最大限満喫して帰りたいという気持ちが芽生える。自分は何事も後悔を残すのは向いていない性質なのだ。
 無意識に顎髭に手をやってううんと唸れば、迅はなぜかにやにやと笑いを隠し切れていない顔をする。そうして、待ってましたとばかりに悪戯っぽく青い目を細めて太刀川に言った。
「この道をもうちょっとまっすぐに行ったところにある商店に売ってると思うよ。歩いて五分もかからないかな」
 迅が得意気に口角を上げる。その生意気な表情に、好きな顔だなと思うってこちらの口角も緩んだ。
「流石。おまえの未来視もこーいうとき役立つな~」
「実力派エリートですから」
 いつもの台詞をかっこつけた調子で言ってから、「行こっか。暑いしおれも早く海入りたくなっちゃった」と言って歩き始める。そんな迅を太刀川は歩調を早めて追いかけると、さっきそば屋を見つけた時と逆の構図だな、なんてことを思った。
 迅の言う通り歩いて数分もしないところにそれらしき焦点があった。水着のほかにも浮き輪やらビーチボールやら海水浴で遊べるグッズが沢山売っていたが、とりあえずはそこで適当な水着だけ二人分調達して海の方に戻る。
 先程見つけた階段のところから砂浜に降りて、設置されていた更衣室で買ったばかりの水着に着替えた。カメラを含む貴重品はコインロッカーに預けて、迅とともに再び砂浜に出ると昼過ぎの真夏の日差しの眩しさに思わず目を細める。隣の迅は組んだ自分の両手をぐっと反らして軽く伸びをしていた。そうしてその手をゆっくりと離して、太刀川の方を見る。
 自分の隊服に似たマリンブルーの水着を履いた迅の上半身はすらりと薄い印象だが、必要な筋肉はしっかり無駄なくついているのが好ましく感じる。きれーなカラダしてるんだよな、と何度も見ているはずのその体に改めての感慨を抱いてしまったのは、それをこうやってあまりに健康的な夏の太陽の下で見るのは新鮮だったからかもしれない。とどのつまり、太刀川の好きな体だ。
 視線が絡んで、迅がにっと楽しそうに笑う。いつものかっこつけた顔をしているくせに、なんだかその表情に子どもっぽい無邪気さも感じたのが何だか可愛く思えた。
「さて。遊ぼっか、太刀川さん?」
 その迅の声を合図にして、二人で笑って駆け足と早足の間くらいの速度で青々とした海へと足を向けたのだった。



 楽しい時間が過ぎるのはあっという間だと言うものだけれど、本当にあっという間に夕方になっていて驚いてしまった。遊泳可能時間の終了を告げるアナウンスが響いて海から上がる時に迅が「久々にこんな生身で遊んだ……」と肩を竦めながら呟いたのに太刀川も素直に頷いたくらいだ。
 そもそも、どちらが速く泳げるかという勝負をふっかけたのが良くなかった。いや、楽しかったから良くないことは何もないのだが、互いにひどく負けず嫌い、それも相手が互いであるなら尚更――とくれば未来視などなくたって、双方ムキになってしまうのは目に見えていた結果だった。短めの距離で迅が勝てばいや俺は長距離の方が得意なんだよと太刀川が言い、そんなこんなで結構な本気でああだこうだ言いながら遊んでいたらもうこんな時間だ。それはまあ、体力も使う。
 ボーダーに入ってから体を動かす遊びといえば、それも迅と一緒の遊びといえばランク戦ばかりだったから、迅の言うようにこんなに生身ではしゃいで心地良い疲労感を感じるまで遊んだのはとても久しぶりのように思えた。一周回って新鮮だ。新鮮で、とても楽しい。
 海の家の側に設置されていた簡易のシャワーブースでざっと体についた海水を洗い流して、水着から私服に着替え直した。迅と共に更衣室を出ると、日はゆっくりと傾き始めている。
 夏は日が長いからまだ夕焼けというほど空は赤く染まってはいないが、日中のあのじりじりと焼けるような日差しからは幾分日光の威力は和らいでいた。ふっと足元から浚うみたいな柔らかい風が吹いて、太刀川のシャツを揺らす。一日たっぷりと遊んで日に焼けた体に、その風の涼しさが心地良かった。
 遊泳可能時間が終わった海はもう人もまばらで、みんなどこか名残惜しそうにしながら帰り支度をしている。太刀川と迅も、帰路につくべくのんびりとした歩調で砂浜を歩いた。
 そういえば海で遊んでいる間はすっかり忘れてしまっていたと思って、太刀川は再び首にかけていたカメラを手に取った。フィルムカウンターを見てみるとなんだかんだで撮影可能な枚数はもう残り僅かとなっている。序盤で色々撮りすぎたかなと思ったが、もう夕方であとは帰るだけだろうから別にここで使い切ってもいいだろう。
 そう思って太刀川はぴたりと足を止める。カメラを構えてファインダーを覗いて、ファインダー越しに迅の姿を探した。
 画角の真ん中に少し先を歩く迅をとらえてシャッターボタンに手をかけると、太刀川がついてこないことを不思議に思ったのだろう、迅が振り返ってこちらを見た。そしてカメラを構えていた太刀川を見て意外そうに、そしておかしそうに笑う。
「まだカメラやるの?」
 迅にしてみれば、ちょっと触ってみてすぐ飽きるだろうと思っていたのだろう。迅の読みも分かる。触ってみた最初の理由なんてただの興味とノリだったし、これまで携帯のカメラすら碌に使ってこなかった人間だ。特に写真に残すことにこだわりもないし、正直言ってカメラ自体の面白さはいまだ百分の一も分かっていないだろうと思う。
 しかし段々とカメラを向けたときの迅の反応が面白くなって、かわいく思えて、気持ちが乗ってきてしまった。迅に言えば、なにそれと顔をしかめられてしまうだろうか。
 迅と遊ぶのは――迅と遊ぶから楽しい。いつだって、なんだって。
 自分は勉強や書類仕事以外の大抵のことはそれなりに楽しめる性質だという自負はあるが、その中でもやっぱり特別はある。迅との遊びはやっぱりいちばんに特別だ。
 シャッターを切る。迅はなんだかんだ言いつつも太刀川の好きにさせることにしたようだった。
 たわいない話をしながら、迅の姿をカメラでとらえた。涼しそうなまなざし、呆れたように肩をすくめる仕草、風に吹かれて気持ちよさそうに伸びをするすらりと長い手足、太刀川の言葉におかしそうにくつくつと笑う顔。そうしてひとしきり笑った後、細めた目をゆっくり開いて迅が太刀川を見る。
 穏やかな夕方の太陽に照らされた迅の表情の柔らかさを、淡くひかるその海よりもっと透明な青い目をファインダー越しに見つけた瞬間、シャッターを切ろうとする手が思わず止まった。
(あ)
 普段、本部とかでは見せない表情だな、と気付く。
 多分、俺といるときだけの顔。



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