トゥ・ビー・イン・ラブ sample




 その生身の肌に触れたのは初めてだったということに、その時になって気が付いた。
 いや、触れたこと自体はもしかしたらあったかもしれない。本部や街中で会うときは大抵トリオン体でいる男だが、さすがに高校時代、学校にいる時は生身だった。ふと手や腕が触れたとか、本部に行く時にランク戦をするのが待ちきれなくて手を引っ張って歩いたとか、そういうことくらいはあった可能性は十分にある。だけど、すぐには思い出せないくらいにそれはきっとまったくの無意識での行動だった。
 だからこの男の生身の肌の温度とかその柔らかさだとかを、触れられてこんな風に気付かされる思いになったのは、この男と出会ってから初めてのことだったのだ。

 いつもの寒い冬の日だった。
 迅がランク戦に復帰して以来珍しいと思うくらいに時間を気にせず存分に戦り合えて、すっかり夜遅くになって本部に人もまばらになった頃。そろそろ帰ろうかと言う迅に、太刀川が隊室にコートとカバンを置いたままだったから隊室に寄っていいかと聞いて帰りがけに二人で太刀川隊室に立ち寄った。高校生である他の隊員たちは防衛任務もない日のこの時間は当然もう家に帰っており、隊室に入ると普段の賑やかさとは一転がらんと静かなものだった。
 あちこちにゲームのコントローラーやら漫画やらお菓子の袋やらが放置されている室内を見回して、何とは言わず「相変わらずだね……」と苦笑した迅を放っておいて太刀川は換装を解き、ソファの上に投げたままだったコートを羽織る。
 ボタンも閉めて、カバンを手に取って「じゃー帰るか」と言って迅の方を振り返ろうとした時、一瞬早く手首をくんと柔い力で引かれた。
 地肌に触れるそのあたたかい感触に少し驚いてそちらの方を向くと、入口近くにいたはずの迅がすぐそばに立っていた。勿論今太刀川の手首を掴んでいるのは迅の手だ。いつの間にか換装を解いて、生身である。
 なんだ? と、軽い調子で聞こうとした。
 しかしそれは、絡んだ視線のどこか思い詰めたようにすら見えるほどの真剣さ、あるいは真摯さに、喉の途中で止まってしまう。いつも飄々とふざけた調子でいることの多いこの男がこういう表情をみせるのは、太刀川ですら数えるほどしか目にしたことが無かったからだ。
 出方を見るように、太刀川も迅を見つめ返す。それはほんの数瞬でしかなかったように思うのに、ずっと長くその時間があったようにも思えた。
 こちらの手首を掴んだまま迅の顔が近づいてきて、あ、と思った次の瞬間には唇が触れていた。
 柔らかくて、そして心地の良い熱さ。キスってこんな感触なんだな、というのと、迅の生身の唇がこんな風に柔らかいことにもこんな温度をしていることにも、新鮮な驚きを感じた。
 それと同時に気が付いたのだ。迅の生身の肌に触れたのは、今が初めてだったのではないかと。あの頃、あんなにも時間を共にしていたのに。あんなに迅のことを知ったつもりでいたのに。こんな簡単なことすら知らなかったのだと、今更に。
 触れて数秒、ゆっくりと唇が離れていって迅と再び視線が絡む。
 今までで一番至近距離で見た涼やかな青い目に確かに灯った熱に、その温度の高さに、その奥にちらりと垣間見えた何かに――自分の心の奥底で何かが小さく疼くような感覚がしだ。
 しかしその正体が何なのかは、太刀川はその時にはうまく掴むことができなかったのだった。


 ◇


「うーん、おれはラーメンにしようかな。太刀川さんは?」
 そう言って棚から出来合いのラーメンを手に取りカゴに入れた迅に、「俺はやっぱうどんだな」とその隣にあったうどんを手に取って同じくカゴに入れる。そうしたら迅は「ブレないよね~」と面白がっているのか呆れているのかよくわからない表情でくつくつと笑った。
「あとなんか買うもんある?」
 しゃがんでいた体を起こして、迅がコンビニの店内をぐるりと視線だけで見回す。太刀川も同じように視線を店内に向けた。あとは何だろうな、おつまみとか、と思ってから――今日は必要ないかと思い直して「いや、大丈夫だな」と迅に返す。そうしたら迅は「そう? ……じゃあ、お会計してくるね」と言って、カゴを持ってレジの列に並んだ。
 ちょうど会社帰りの人の多いタイミングだったのだろう、スーツのサラリーマンらしき人がすでに何人か列に並んでいる。太刀川は邪魔にならないように、コンビニの出入口の近くで迅が会計を済ませるのを待つことにした。
 ランク戦で負けた方が夕飯おごり、というのは高校生の時から続く迅との間のちょっとした遊びだった。別に大した金額でもなし、自分も迅もどっちが払おうが正直どちらでもいいというのが本音だろうが、まあランク戦の勝敗にプラスするスパイス程度のものである。迅がランク戦に復帰してから、この遊びもまるで自然な流れのように復活することとなった。覚えていたのか、ということに一抹の嬉しさを感じたのは、自分だって同じように覚えていたからに他ならない。
 本日の勝敗は六対四で太刀川の勝利、そのため今日の夕飯おごりは迅の方だ。いつもであれば本部の食堂か適当な飯屋に行くことが多いのだが、今日は太刀川の家で食べることになったのでコンビニ飯である。
 今日のこのランク戦の後に家に行っていいか、と数日前メールでランク戦の約束を取り付けた後そう聞いてきたのは迅の方からだった。断る理由も無く了承し、その間迅とは会うこともなく、迎えた今日の迅はだいたいいつも通りの調子だった。だからいつも通りにランク戦をして、軽口を交わしながら本部を出て、今に至る。
 だけど。
 レジの列の進みが意外と遅い。手持ち無沙汰になった太刀川は、入口近くの棚に目を向けた。なんとなく近づいて眺めていると、他の商品に混じってひっそりと棚に置かれた小さな箱に目が留まる。
(――まぁ、今夜、そういうことだよなあ)
 さして恋愛経験らしきもののない自分にだってこのタイミング、この流れは流石に分かる。極薄、六個入り、と書かれた『そういう』ことのためのそれをほんの少しの時間眺めた後、そろそろ会計終わるかなと思って太刀川は元の場所に戻ることにする。そうしたらちょうど、迅がレジ袋を持ってこちらに向かってくるところだった。
「お待たせ。もしかしてまだなんか買うもんあった?」
「いや? 暇だったから眺めてただけだ」
 言えば、ふうん、と言った迅がちらりと太刀川が先ほど見ていた棚の方に視線だけを向ける。そうしてわずかにその目を伏せた後に、「……じゃ行こっか」と言って歩き出す。自動ドアが開けば、まだ肌寒い風が二人の肌を撫でていった。
 ああ、まただな、と思う。
 一見いつも通りを装っているが、太刀川には何故だかよく分かった。今夜のこの男の心中にあるであろう動揺、緊張、あるいは覚悟、なにかそういう類の雰囲気が、ふとした瞬間にほんのわずか垣間見える。同時にこれは、他のやつには分からないだろうとも太刀川は思うのだ。
 迅の一挙手一投足。わずかな表情や動きの変化を読み、誰よりずっと本気でこの男と仮想の命のやりとりをしてきたからこそ分かることだという自負があった。そのことが、同時に太刀川の心を妙に満たす。それはこの感情に気付いてから――迅とこの関係性になってから、太刀川にとって初めて知る感覚であった。

 迅との関係性に新たな名前が増えたのは、一ヶ月ほど前のことである。
 ようやくランク戦にそこそこ顔を出すようになった迅と昔のように楽しく戦り合うようになって何度目か、その日は始めた時間が遅かったのもあり、本部を出たのはすっかり夜になってしまった。雲もほとんどないよく晴れた夜だったことを覚えているのは、月に照らされた迅の青い目が妙にひかって、それをきれいだなと思ったことを覚えているからだ。
 ふたりきりの帰り道で観念したような表情で唐突に、あまりにありふれた言葉で告白をしてきた迅に、ああそうかとすとんと腑に落ちる心地になった。だからその気持ちのまま、太刀川も「俺もだ」と返事をした。
 そうして始まった付き合いだった。
 初めてキスをしたのは、みんなが帰った後の太刀川隊室で。その後も何度か、誰も居ない廊下の隅でとか、帰り道の静かな警戒区域の中でとか、戯れのような触れるだけのキス――時には少し深めのやつ、は交わしてきた。
 付き合って、キスをして。その先に何があるか分からないほど、それを意識しないほど自分たちは子どもでもなかったし、初心うぶでもなかった。まあ経験自体は無いのだが。
 迅はどうだかは知らないけれど、少なくとも太刀川は誰かと付き合うのも、こうして触れ合いを交わすのも迅とが初めてのことである。これまで全くチャンスが無かったわけではないのだが、そういうことをしたいという欲求がたいして無かった、ということが大きい。それ以上に楽しいこと、気持ちのいいことを高校生の時にもう知ってしまっていた――今より少しだけ背の低かった、迅悠一という男によくよく教え込まれてしまったからだ。
 付き合い始めてから、迅を自宅に呼ぶのは初めてのことだ。というか迅を今の一人暮らしの部屋に上げること自体初めてかもしれない。
 迅から何か直接的なことを言われたわけではないが、あの毎日ふらふら気まぐれに動き回っている迅がわざわざ事前に約束をしてまで家に来るということは、何も言わずとも流石に察しろというところだろう。そういうことでなければおつまみでも買ってだらだら喋って、ということを思ったが、今夜はいらないだろうと判断したのもそんな理由だった。
(……問題は、どっちがどっちかという話なんだが)
 半歩先を歩く迅の姿を、ちらりと横目で見ながら太刀川は考える。警戒区域にほど近く、街灯の少ない道で迅の表情はよく見えない。
 なにぶん体格のほとんど変わらない男同士だ。どちらかが受け身に回らなければならないということは分かるのだが、迅はどっちのつもりで考えているのだろうか。一応年上だしこっちがリードするべきかなんて少しだけ考えてから、そんな理由でリードされたがる奴じゃないなとすぐに思い直す。
(まあ、それは迅に聞かなきゃわかんねーか)
 そうひとりごちた頃、ちょうど太刀川の住むアパートが十字路の向こうに見えてくる。築何十年だったか、古き良きごく普通の単身用のアパートだ。
「太刀川さんち、このへんだよね?」
 周囲をきょろきょろと見回しながら言う迅に、「ああ、あれだぞ」と指をさして示してやる。アパートを見やった迅が「あ~、なんか太刀川さんっぽい」と笑ったのがどういう意味なのかは、まあ聞かないでおいてやることにしたのだった。


 夕飯の後片付けをした後に、今夜泊まるだろ、とさりげない風に、でも当然のように聞けば迅は「ああ、うん」と少しだけ歯切れの悪い様子で頷く。それには気付かなかったふりをして迅にシャワーを勧めると「それは家主が先に入ってきなよ」と言うので素直に先にシャワーを浴びることにした。
 濡れた髪を適当に乾かし終えて、ああそうだと明日出すゴミを適当にまとめておいて、それでもまだ迅が出てこないのでそのままぼうっと待つ。
 今のうちに一応事前に調べて準備していたあれこれを出しておくべきか、いやそれも露骨か? なんて考えているうちに浴室から聞こえていたシャワーの音が止まって、少ししてから居室のドアが開いて迅が顔を出した。
「おかえり」
「ただいま」
 太刀川の予備の部屋着のスウェットに身を包んだ迅が、ベッドを背もたれに座っている太刀川の隣に腰を下ろした。
 タオルでしっかり拭ったのか水滴が垂れるほどでもない、きっちりセットされた普段よりはへたっている迅の髪の毛を見やる。しかしまだ乾ききっていない様子ではあったので、太刀川は「ドライヤー使うか?」とローテーブルの上に置いたドライヤーを差し出そうとした。しかしその直前、こちらを向いた迅の視線に捕らえられて、そのまなざしがあまりに真剣で真摯だったものだから、それは言葉になる直前で止まってしまう。
 まるで初めてキスをした時と同じようだった。
 ぞくり、と心の奥底が疼く。それが何かを深追いする前に迅の顔が近づいてきて、逃がさないようにと言うにはあまりに優しい手つきで頬に触れられて、そうした後に唇が唇に触れた。
 迅の唇は柔らかくて、そしてその見た目から想像するよりも熱い。普段は飄々と、まるでその輪郭を掴ませないように振る舞う男の生々しい部分に触れたような心地になって、余計にこちらの熱も上げられる。それは迅とランク戦で戦り合う時に感じるもの――太刀川が昔から大好きだったものによく似ていて、しかし。
 唇はすぐに離れて、吐き出された迅の熱い息がわずかに唇の表面に触れた。そのことに妙に興奮して、こちらから押しつけようとしたが、その前に迅が角度を変えて再び口付けてくる。ぬるりと熱い舌が太刀川の唇のあわいをなぞってきて、迅にねだられるまま唇を薄く開いた。
 入り込んできた舌にこちらも舌を絡ませると、そのざらりとした感触が独特の感覚を呼んでぞくぞくとした何かが肌の表面を駆けていく。それをもっと味わいたくて、迅の舌をこちらから追いかける。そうしたら負けず嫌いの発露なのか、それとも迅も同じことを考えていたのか、口付けはもっと深いものになった。唾液が絡む水音がお喋りのなくなった部屋に静かに落ちて、それがとてもいやらしいように思えて、そんなことに笑えるほど興奮させられてしまう。
(っは、気持ちい……)
 キスをするのも、誰かの肌に触れるのも、太刀川はこれまで特段興味はなかった。それがトリオン体で戦うよりも気持ちのいいものだとは、どうにも想像できなかったからだ。
 だけど今は、違う。
 迅とのキスがこんなに気持ちよくて楽しいものだということを知ってしまった。キス自体が気持ちのいいものだからなのか、それとも迅だからこういう風に思うのかは太刀川には判断がつかなかったが、しかし少なくともこんなことをしたいと思うのは迅以外にいないのだからそこを区別する必要もないかと太刀川は思う。
 そんなことよりも、今目の前の迅の熱を味わう方が太刀川にとって大事なことだった。
 いつもだったらもうとっくに唇を離している頃合いなのに、今日はキスが止む気配はなかった。いつもは人目が無いとはいえ一応本部とか、外とかだったから遠慮していたということもあったのかもしれない。
 だけど離されない唇を、嫌だなんて思うわけもない。
 夢中になって貪り合って、上顎のあたりを迅の舌に舐められると一際大きな気持ちよさがぞくりと沸き起こって太刀川の体を震わせた。力がわずかに抜けた瞬間を違わず迅がぐっと体重をかけてきて、それに抗おうという思いも生まれず、そのまま床に押し倒されるような格好になる。そうなってようやく唇が離れていって、流石に多少乱れた息を整えながら上にのしかかっている迅を見上げた。
 迅の顔は照明が真上にあるせいで逆光になって、しかし流石に明るい部屋の中なので表情までちゃんと見て取ることができる。
 風呂上がりのせいだけじゃなくほんのり赤くなった頬、唾液に濡れた唇、そしてこちらを見下ろす迅の瞳――。
 青い目の中に、今までに見た中で一番強いと思うほどの素直な欲の色を見て、自分でも驚くくらいに興奮した。
 ああこれだ、と直感的に思う。
 初めてキスをした時にみた、迅の瞳の奥に灯った何か。その正体はこれだったのだと気付かされる。そして同時に、言葉にされずとももう一つのこと――先ほど考えていたことの答えにも気付いてしまったのだった。
 その瞬間、考えるよりも先に期待が心臓を疼かせた。それがきっと自分の答えなんだろうとすとんと腑に落ちて、だから口にした言葉は自分で想像していたよりもずっと穏やかな声音になったように思う。
「……、俺、こっち?」
 こちらを組み敷いて見下ろしたまま、何も言わず、しかし退こうとはしない迅を見上げて太刀川は聞く。そうしたら迅は緊張したように唇を小さく引き結んでから、言葉を探るようにして太刀川に返した。
「……が、いいなって思ってるんだけど」
 迅が口にした後、再び部屋に静寂が落ちる。迅の表情を、じっと見上げた。真剣で、真摯で、欲を纏った瞳は変わらぬまま、しかしその表情に幾ばくかの不安が入り交じっているのも分かる。
 未来が視えるくせに、何を不安がっているんだとすら思う。断られる未来でも視えているのか。こっちは断る気なんて、おかしく思うほど湧かないっていうのに。
(――まあ、実際どのくらいまでいけるかってのはやってみないとわかんねーけど)
 事前に男同士でのやり方というのを一応ざっくりとは調べたが、正直自分のそこにそれが入るか、というのはうまく想像がつかなかった。最初は痛いとか違和感が強いとかそういう話も見たし、最初からうまくいくかなんて分からない。
 だけどやらないで怖じ気づいて逃げようなんて自分らしくもないし、そんな気は更々ない。さっき触れて、触れられて、改めて思ったのだ。
 迅との、この先を知りたい。もっとこの男の肌に、熱に触れてみたい。この男のこんな顔をもっと見たいのだと。
 だからこちらを見下ろす迅の瞳を、まっすぐに見つめ返して太刀川は答える。
「わかった」
 そう言ってやれば、迅は驚いたようにまん丸にした目をぱちくりと何度か瞬かせる。そうした後に、ゆっくりと、確かめるような声音で言った。
「……、なんで?」
 今更そんなことを言う迅に、こっちこそ何でだよという気持ちになってつい喉を鳴らして笑ってしまった。
「迅、おまえ、キスして押し倒しといて何でもなにもないだろ」
「や、だって」
「断られる未来でも視えてたのか?」
 そんなわけないだろうと思いながら言えば、迅は控えめに首を振る。
「……逆だよ。未来視でも断られる未来がひとつも視えなかったから、なんで? って」
「なら問題ないだろ、喜べって」
 迅の言葉に余計に笑ってしまいながらそう言って、いやこれでは迅の質問の返事になっていないなと思い直す。
「俺もしたいから」
 だからそう付け足してやれば、笑われたことに複雑そうな顔をしていた迅がまた目を見開く。今日は随分と表情が素直だなと思って、そのことにどこか充足した心地になる自分がいた。
 迅の目を見つめた。自分とは違う、抜けるような色をした青い目。その目に今、自分だけが映っている。
「おまえとできるなら、まあどっちがどっちでも俺はこだわりなかったし。……まあ正直ちゃんと入るかとかこっちで気持ちよくなれるかとかはやってみないとわかんねーけど、それでもいいなら」
 言いながら太刀川は、さっきのキスを思い出していた。
 触れるほどに熱くなるようなあの感覚も、唇を離した直後の迅のあのまなざしも、思い出すほどに太刀川の奥の方からぞくりと興奮が再び疼いて、そしてそれは期待とともにじりじり焦れるような気持ちを太刀川に灯していく。
 だから今度はこっちから手を伸ばして、頬に触れる。そして遊びに誘うみたいに、いつものようににまりと笑って迅に言ってやった。
「やってみようぜ? 迅」
 太刀川の言葉を受け取った迅は、少しだけ困ったように、でも嬉しそうでもある表情で眉根を寄せた。器用な顔をするなあ、と妙におかしく思っていると、迅の目にまた先ほどの欲の色が灯っているのを見つける。
「……うん。もし太刀川さんが無理そうだったら途中まででもいい。おれも」
 はあ、と緊張したように迅が短く息を吐いた。そうして仕切り直すように、迅がゆっくりと、でも確かに太刀川に向けて言う。
「おれも、太刀川さんとしたい」



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