6
懐かしい夢を見た。チャンピオンになったばかりの頃の夢だ。
真新しいチャンピオンユニフォーム、まだ十歳の子どもが身につけるにはあまりに仰々しくて重い、スポンサーロゴが所狭しと貼り付けられた深紅のマント。しかしそれはダンデの誇りの証になった。
周りには沢山の大人たち。ガラル中の目線が降り注ぐ。毎日バトルに取材にスポンサーとの会食に大忙し、本屋に行けばダンデが表紙の雑誌が並びテレビではダンデが出演するCMが流れる。穏やかでゆっくりと時が流れるハロンタウンに居た頃とは全く違う環境、あの勝利の日からガラル中のスポットライトがダンデに向けられたような感覚だった。
まだキバナに出会う前だ。ホップの憧れを背負って。みんなの期待を背負って。憧憬も嫉妬も色んな目線を受けながら。めまぐるしく変わっていく、ものすごいスピードで進んでいく日々。無敗のチャンプ。期待され頼られるのは純粋に嬉しかったし、それに応える力もあったと自負している。
沢山の人たちと戦った。また挑むと闘志を燃やす者もいれば、諦めて目の奥に影を纏わせて去って行く者もいた。戦って戦って、それらからまたどんどん吸収していくたび、ダンデはもっと強くなった。走る速度を上げていく度、気付いたらどんどん遠くへ、誰も追いつけないほど遠くへと辿り着いて、しかしダンデはその速度を緩めるという発想すらもなく、ただひたすらに高みへと。それが楽しかった。進んでも進んでも果てが見えないポケモンバトルの世界にワクワクしてたまらなかった。強くなれることが嬉しかった。前よりももっと強くなる度に客席の歓声がより熱を帯びていくのを肌で感じ、それも嬉しかった。
――みんなの声援の中を、ひとりきりの暗闇の中を。どんどん沢山のものを拾って背負って、走って、走って、もっともっともっと!
はっと目が覚める。
(――……)
ダンデは緩慢な動作で体を起こす。まだ起きるには少し早い時間。一人きりの広いベッド。パートナーのポケモンたちもまだみんな眠っているようで家の中はしんと静かだ。自分の呼吸の音と衣擦れの音が静かな室内に響く。窓の方を見れば、昇ったばかりの朝日がカーテンの隙間から漏れ出していた。もう一眠りするか、それとももう軽くトレーニングでも始めてしまうか。ダンデは上半身を起こして、ベッドの上で胡座をかいて思案する。
(……この夢を見るの、久しぶりだな)
あのチャンピオンカップから一年。今日は新しいチャンピオンを迎えて初めてのチャンピオンカップ決勝戦の開催日だ。
先日キバナが言っていた通り、ジムチャレンジ終盤、キバナのもとにジムチャレンジャーが辿り着く頃になるとキバナはとても忙しくなった。今はお互いの責務に集中しようということでキバナもダンデも意見が合致し、ここしばらくはメールや電話で連絡こそとってはいたがプライベートで会うことはほぼ全くなかった。
最終的に今年のジムチャレンジを全て突破した人数は昨年よりも多かった。その中には、あの日バウジムをクリアしていったチャレンジャーの姿もあった。しかしセミファイナルを勝ち上がったチャレンジャーもチャンピオンカップファイナルトーナメント初戦のビートを相手に惜しくも敗退してしまった。だが自由で楽しみながら戦う幼い彼らの戦い、そして何より敗退してもなお目の中の炎を絶やさない彼らの表情を見た時ダンデは心から嬉しさがこみ上げて、これからのガラルが楽しみで仕方がなくなったのだった。
今年の決勝戦はシードとなっているチャンピオン・ユウリと、ガラルトップジムリーダーの貫禄を見せつけトーナメントを勝ち上がったキバナというカードとなった。昨年まではずっとそのバトルコートで、キバナの目の前に相対していたのは自分だったというのに、スタジアムの全体を見渡せる上階に用意された委員長席からそれを見守るのはひどく不思議な感覚だった。
まだ荒削りな部分も残っていた昨年よりもより攻撃の精度を高め守りも強固に固めて、この一年でバランスの良い育成をして彼女自身も沢山の勉強をしてきたことが一目で分かる戦い方をするユウリに、キバナも黙って押されているはずがない。豪快にド派手に見えて緻密に計算された彼らしい戦いで何度でも食らいつき、一進一退の試合運びに客席のボルテージは上がり続けた。
熱戦、という言葉が相応しい戦いの末、結果はユウリの勝利となった。ユウリは先日かつてダンデも修行したヨロイ島に修行に行ったと言っていたが、きっとそこでマスター道場秘伝のダイスープをエースバーンに飲ませたのだろう。昨年のチャンピオンカップではダイマックスを披露したエースバーンが今年はキョダイマックスをし、観客をどよめかせた。キバナも昨年とは技構成を大胆に変えてきて、エースバーンに対してタイプ相性不利のジュラルドンでひんし直前にまで追い込んだ。――そもそも、ほのおタイプ相手の試合運びは彼自身よく心得ているはずだ。勿論エースバーンとリザードンでは、覚える技も戦術も異なりはするけれど。最初から最後まで一秒たりとも目が離せない試合に観客はもちろんダンデもわくわくして、血が躍って仕方が無かった。腰につけたボールの中で、リザードンも気持ちが昂ぶったようでボールをカタリと揺らす。――そうだな、早くまた、バトルしたいな。ダンデがボールを撫でて微笑むと、リザードンがボールの中で小さく鳴いた。
「――ユウリ、チャンピオン防衛おめでとう! 素晴らしい戦いだったぜ」
紙吹雪が舞う中、優勝トロフィーをユウリに手渡す。ユウリが受け取ると、客席からは大きな歓声と拍手が沸き起こる。太陽が沈んだばかりの空に色鮮やかな花火が打ち上がって、チャンピオン・ユウリの初めての防衛戦の勝利を祝った。ユウリが笑って観客席の方を向き、優勝トロフィーを高く掲げる。その瞬間、報道席から沢山のフラッシュとシャッター音が降り注いだ。推薦状を渡した時はまだ本当にあどけない少女だったというのに、若い世代の成長速度というのは本当に目を見張るものがある。
ダンデも観客席に目を向けると、正面から少し右側のあたりになんだか見知った顔がいた気がしてダンデはそちらを目を凝らして注視する。
そこにいたのは、間違いない。遠いけれどこの二人のことをダンデが見間違えるはずがない。観客席に座ったホップとソニアが、ユウリに向けて拍手をしながら嬉しそうに笑っていた。……自分でチケットを取ってきたのか。こちらにチケットを取ってくれという連絡が来た覚えはない。チャンピオンカップファイナルトーナメント、しかも決勝戦のチケットを当てるなんて相当な強運だ。流石だなと小さく笑って、ダンデはさりげなくユウリの肩を叩く。そして目線でホップとソニアがいる場所を教えてやると、ユウリはぱっと嬉しそうに笑ってそちらに向けて大きく手を振った。
チャンピオン・ユウリではなく、一人の年相応な表情に変わったユウリの横顔を見てダンデは微笑ましい気持ちになる。ユウリの目線と振られた手が自分に向けられていると少し遅れて気付いたホップは驚いたような表情をして、そして少し照れくさそうに頬を染めながらにかっと太陽みたいに笑う。それを見たソニアも、楽しそうにホップとユウリを見比べては笑顔を浮かべていた。
(最初は多少ホップに巻き込むような形でライバルになってやってくれと言ったが)
紙吹雪と色とりどりのスポットライト、数え切れないほどの視線が降り注ぐ真ん中で。共に冒険して共に戦ってきた、そしてフィールドが変わっても今でもきっとそんな存在でいる、ただ一人の“最高のライバル”に向けて少女らしいあどけない表情で笑うユウリ。そしてそれに応えるホップを見てダンデは目を細める。
(このライバル関係が二人にとってかけがえのないものになっていたらいい)
――オレとキバナがライバルとして走り続けた日々のように。
無事に閉会式まで終えて、今年のジムチャレンジは全行程が終了した。大きなトラブル等もなく、つつがなく、そして大歓声の中終了できたことに安堵し、達成感に包まれる。この後は細々とした対応をした後、ジムリーダーたちも交えた打ち上げとなる。スタジアムのフィールドから控室を通って廊下へと出る。掃除の行き届いた綺麗な廊下に、チャンピオン時代のスニーカーとは違う革のブーツの音がカツカツと鳴った。
と、廊下の向こう側からキバナが歩いてくる。キバナはこちらを見るとふっと笑って、すれ違いざまにぽんとダンデの肩を叩く。
「おつかれ」
シンプルだけれど、彼なりの労りと優しさがぎゅっと詰まったような声色。ダンデはそのまま去ろうとするキバナの方を振り返って、声をかける。
「キミも! 本当に、素晴らしい戦いだった」
そう声をかけると、キバナはダンデの方を振り返る。一見穏やかで飄々とした表情、だけれどその瞳は静かな炎を湛えてぎらりと光る。これは、ライバルとしての顔だ。ダンデの中にいつからかもはや本能のようにあるスイッチが押されて、ずっと戦ってきたライバルとしての、ぞわりと静かな興奮が駆けていく。ダンデは自分の目の奥にも炎が灯るのが分かった。
「また鍛え直して、ユウリにも――そして勿論、オマエにも勝つ」
「楽しみに待ってるぜ」
そう言葉を交わして、にっと不敵に笑い合う。立場が変わろうと、関係性につける名前が増えようと。オレたちは親友であり、恋人であり、そして今日もまた変わらずにライバルだ。そう在れることがこの上なく嬉しかった。そしてどのキバナも、オレは大好きなのだと思った。
◇
鐘の音が聞こえて顔を上げる。音はどうやらすぐそばの丘の上かららしくて、そちらを見れば小さな教会から白い燕尾服とドレスに身を包んだ男女が幸せそうな表情で出てくるところだった。その周りを何人かの男女が囲んで笑顔で迎えている。どうやら結婚式のようだ。あまり大規模なものではないらしく、ごく近しい間柄の人たちだけ集めて行うこぢんまりとした式のようだった。
抜けるような青い空の下、色とりどりのフラワーシャワーが二人を祝福するように降り注ぐ。綺麗だな、と思わず見入ってしまう。幸福そうな表情で笑う主役二人も、その親族や友人たちらしい人たちの優しさに満ちた目線も、青空に降り注ぐフラワーシャワーも、まるで幸福を絵に描いたようなこの光景のすべてが。
「あら」
見知った声が後ろからかけられて、ダンデは振り返る。そこには農作業の帰りらしく、鍬を持ってタオルを肩にかけたヤローが立っていた。
「ダンデ委員長。先日はおつかれさまでした」
にっこりと穏やかに笑うヤローに、ダンデも笑いかける。
「ああ、ヤローもありがとう! 今年も無事にジムチャレンジが終わって良かったぜ」
「ですねぇ」
ジムチャレンジが終わって一週間と少し。ガラル中の熱はまだまだ冷めやらないが、リーグ委員会や一仕事は年に一度の大仕事を終えてゆったりとした日常がようやく戻ってきたところだった。
「今日はターフタウンに何か用事で?」
少し不思議そうに聞くヤローに、ダンデは肩をすくめる。
「いやぁ、一日休みを貰えたからワイルドエリアで新しい戦術や対戦ルールでも考えようと思って出てきたんだが、道に迷ってしまって」
「それはまた流石ですねぇ」
ヤローは驚いた風も気にした風もなくニコニコと笑う。これがキバナやルリナだったらどうしてそうなるんだと眉根を寄せて苦笑するだろうし、ネズだったら呆れさせてしまうだろう。まだ着任して比較的日が浅く、あまりプライベートでの交流も多くないオニオンあたりだったら新鮮に驚かせてしまうかもしれない。
ヤローが丘の上をふいと見て、あぁ、と呟く。先程ダンデが見つめていたものがヤローも気になったのかもしれない。
「お綺麗ですよねぇ、うちの近所の花屋の娘さんなんです」
「そうなのか! 幸せそうだな」
「ええ」
そう頷いて丘の上を眺めるヤローの横顔も幸せそうだ。
二人で眺めていると、新婦の方がこちらに気付いたようで驚いたような表情をする。
「――ヤローさん! え、ダンデさんも!」
その一言で、結婚式の参加者の目線が一気にこちらに向けられる。弾けるみたいにわっとその場が盛り上がる。
「ああ、ダンデだぜ! 結婚おめでとう」
「おめでとうございます! またお花買いに行きますね」
ダンデとヤローがそう声をかけると、新郎新婦も参列者も皆仄かに頬を染めて嬉しそうに笑う。友達同士らしい女性たちは「嘘、ほんとに?」「すごい!」と声をかけ合っていた。ヤローとオレの登場でこれだけ喜んで貰えるのは嬉しいことだな、とダンデも嬉しい気持ちになる。
「お幸せにな!」
そうにかっと笑って手を振ると、皆笑顔で手を振り返してくれる。きらきらとした幸福が輝くこの美しい景色が、ダンデの瞼の裏に焼き付いた。
◇
あの夜に約束した通り、ジムチャレンジが終わってお互いの仕事が落ち着いたタイミングで二人で日程を合わせて連休を取った。どこかで連休を取れるタイミングは無いか、できればこの日かこの日のあたりで、と秘書のような役割を務めてくれているリーグスタッフに相談すると喜んでスケジュールの調整をしてくれ、その話をキバナにしたところ向こうも似たような展開だったらしい。お互いに優秀で上司思いのいい部下に恵まれたな、と二人で苦笑した。
今回はナックルシティでの待ち合わせだ。迷わないように確実な方法でということでリザードンに乗っていこうかと思ったが、完全プライベートでそれは目立ちすぎるのではないかという話になり、ナックルシティまでダンデは電車を使って向かうことにした。
お昼よりも少し前、待ち合わせ時間丁度くらいに駅に到着したダンデは電車を降りて今到着したとキバナに連絡をする。オレも着いた、というキバナからの返信はすぐに届く。そのメッセージを確認してから改札を出ると、ちょうど改札の目の前にキバナが立っていた。トレードマークのオレンジ色のヘアバンドも紺色のドラゴンを模したパーカーも無い、黒を基調にした今時の若者らしい私服だ。薄い色のサングラスをかけて、特徴的な結び方をする黒髪も今日は下の方で申し訳程度に一つに結わえられている。背が高くスタイルが良い為目立ちはするが、遠目からでもキバナだとすぐに分かる人はそう多くはないだろう。流石キバナだなと思う。ダンデも一応目立たないような服装はしてきたが、キバナほどファッションの知識は無い。シンプルなパーカーにTシャツ、お気に入りの黒のキャップを被り、長い紫の髪はキバナと同じように一つに括っている。
普段ならばダンデもキバナもプライベートでファンに見つかって話しかけられることに何の抵抗も無い、寧ろ嬉しくもあるのだが、今日は久しぶりの待ちに待ったデートである。できるならあまり目立たず、ファン対応よりも今日だけは二人の時間を優先させてほしいとお互い薄々思っていたようだった。
「まずはご飯食べよう。最近ナックルで評判のカフェがあるんだよ」
いつものようにキバナセレクトの店でランチ。自由に座っていいタイプのカフェだったので、柱と観葉植物の影に隠れて他の席からは見えづらい奥まった席をキバナはさりげなく選ぶ。この店のランチメニューはサンドイッチもパスタも種類が豊富で、ダンデはメニューとにらめっこした後ミックスサンドを、キバナは日替わりのパスタを頼むことに決めた。直接顔を合わせては話せていなかったお互いの近況を話しながら二人で美味しいと言って笑い合う。食後の紅茶までたっぷりと楽しんでから、次の目的地へ向かった。
今回のデートはどこへ行こうと事前に電話で相談している中で、折角久しぶりに落ち着いて会える休日だからそれぞれの行きたい場所を一つずつは行こう、という話になった。最終的にまずはキバナが観たがっていた映画へ、その後にダンデの色々新しいポケモンの研究書が欲しいからという希望でナックルシティの中でも随一の品揃えを誇る書店へと行くことに決まった。
映画館に辿り着くとキバナはネットでとってくれていたチケットを発券して、その間にダンデはドリンクを二人分購入する。スムーズに座席に着いて、映画の開始を待つ。今週末に公開が終了する作品ということで、映画館の中でも小さいスクリーンが割り当てられており、客席もぽつぽつとしか埋まっていなかった。公開直後は話題となり大きなスクリーンで何度も上映していたそうなのだが。ジムチャレンジの時期だとどうしてもなー、間に合って良かった、と映画を待つ間キバナは周囲の客に配慮した小さな声で言って笑みを浮かべる。
(……なんか、王道のデートって感じだな)
そう思いながら、ダンデは売店で買ったアイスティーをストローで一口飲む。冷たいアイスティーが、冷房が効いて乾燥してしまいそうな喉を潤してくれる。
昔、女性誌の取材で理想のデートについて聞かれたことを思い出す。まだ少年と青年の間くらいの年齢で恋愛なんて見向きもしないまま育ってしまったものだから、色気のある言葉なんてお世辞にも思いつかず、ポケモンバトルをしたい、ポケフードやポケモンのトレーニング道具を買いに行きたい、なんて答えてしまってその女性誌を愛読していたソニアには失笑された。「じゃあなんて答えるのが正解だったんだ」と聞くと、「二人で映画観に行くとか……それもラブストーリーの。後は遊園地とか、ショッピングとか、カフェで紅茶でも楽しみながらのんびりお喋りするとかさ? 私たちの年齢だとまだちょっと早いけど、夜景の見えるレストランで食事とかも憧れるよね」なんて返された。
その時はなにひとつピンとこなかったのだが、気付けば当時ソニアが言った「デート」を今自然とキバナとしている自分がいた。とはいえ今日観る映画はラブストーリーではなく、ポケモンたちの友情を描いた作品なのだが。
この作品はなんとなくCMなどでタイトルを耳にしたことがある程度の事前知識しかなかったが、キバナが好きなのだという監督の作品なだけあって一つ一つのシーンが丁寧に作り込まれていて、映画なんてとんと観ていなかったダンデもすぐに作品の世界に引き込まれていった。美しい画面作りとポケモンたちの繊細な心情描写に、ラストシーンでは自分でも気付かないうちにぽろぽろと涙を零してしまっていた。上映が終わって館内が明るくなった後ダンデを見たキバナは少し驚いたような表情をした後、ポケットからハンカチを出してダンデに差し出す。
「……すまない」
「いや? 良い映画だったよな」
ハンカチを返して改めてキバナの方を見ると、キバナの目も僅かに潤んでいるように見えた。
「公開直後に見たかったのは本当だけど、でも今日の相談してる時に、もしかしたらダンデも好きかなと思ってさ。一緒に観られてよかった」
スクリーンの出口へ向かいながら、キバナがそう言って笑う。自分が観たいから、なんて言いながらそうやってやっぱりダンデのことも慮ってしまうキバナに、ダンデの心はじわりと温かくなった。
その次はダンデの希望の場所、映画館から歩いてすぐのところにある大きな書店へ。歴史あるナックルの建物を丸ごと書店として使っている店で、コミック、雑誌、文芸書、学術書まで幅広く揃っているキバナお墨付きの店だった。学術書の新刊コーナーで他地方のものも含め気になるタイトルを手に取っていく。と、その中に先日発売したばかりのソニアの本が目に入る。先日電話をした時には今度会った時に渡すと言われていたが、折角だから応援の意味も込めて一冊買っておこうとそれも一緒に手に取った。キバナもドラゴンタイプや天候を活用したバトルに関する研究の本を中心に気になる本をいくつか見つけたようで、数冊の本が手に収められていた。
今日のメインの目的である学術書コーナーを後にして他の棚をぶらぶらと眺めながらレジへと向かっていた途中、文芸書コーナーのところでキバナが立ち止まる。
「何か見つけたのか?」
そうダンデが聞くと、キバナが一冊の文庫本を手に取る。ポケモンたちが柔らかいタッチのイラストで描かれたその帯には、先程見た映画のタイトルが書いてあった。
「これ、さっきの映画の原作本」
「原作があるのか!」
とてもいい映画だったから、原作もきっと素敵なのだろう。少し悩んだ後、ダンデはそれも購入することを決めた。小説を読むのも、思えば久しぶりだ。キバナと居るとダンデが触れずに通り過ぎてしまった世界をひとつひとつ拾い集めていくような瞬間があって、それがとても新鮮で、ワクワクしている自分がいた。
レジで会計の列に並んでいると、レジの奥に最新の男性ファッション誌のポスターが貼ってあってその表紙がキバナであることに気付く。ポケモンバトルに関する雑誌だといつものオレンジのヘアバンドに紺のドラゴンパーカーの姿だが、ファッション誌なのでキバナは髪を下ろして流行りのストリート系の服装に身を包んでいた。目線はカメラに向かって流して、思わず見惚れてしまうほど美しい画になっている。
「かっこいいな」
素直な感想をキバナにだけ聞こえるようにこっそり伝えると、キバナの耳が僅かに赤くなる。その反応が可愛らしく思えて、ダンデはつい口角が上がってしまう。
「あの雑誌も買おうかな」
そう冗談半分本気半分、で言ってやると、キバナは照れた顔でぼそぼそと言う。
「……うれしーけど、家に来ればあるから」
そこで会計の順番が来たので会話は一旦中断して、ダンデは学術書数冊と小説一冊の会計を済ませる。キバナは照れていたけれど、あれ、本当に今度こっそり買ってしまおうか。普段雑誌なんてそれこそポケモンやバトルに関するもの以外は買うことのないダンデがそんなことを考えてしまうくらいには、キバナと過ごす今日のこの時間が楽しくて浮かれてしまっていた。
書店を出た頃にはすっかり日は傾いていた。夕焼けの色に染まる美しいナックルシティを眺めながら、映画の感想や今日買った本などの話をしながら並んで歩く。この後はキバナの家の近くのスーパーマーケットに寄ってから、二人でキバナの家へ帰宅する。少し時間はかかるがここから歩いても行ける距離ということで、二人で歩いて帰ろうと提案したのはキバナだった。
歩いている途中不意に、指先同士がちらりと触れ合う。お互いに一瞬目を合わせて、しかし何事もなかったかのように話を続けた。
今近くに居る人たちの中で、誰もキバナとダンデだと気付いていないかもしれない。でも気付かないふりをしてくれているだけで、気付いている人もいるかもしれない。同性同士の恋愛、結婚には今のガラルは寛容だ。ダンデが小さい頃はまだ偏見も多少なり残っていたが、いつからか同性同士が外で恋人やパートナーらしく振る舞っていても、全ての人とは言わないがそれでも多数の人はおかしな目は向けない時代となった。だから別に男同士でそうやって振る舞っていようが良いのだろうが。今のタイミング、二人きりの家の中だったらキバナは手を繋ぎにきていただろうなと思う。だけど、何にもないような顔をして、二人は家路につく。――オレたちの関係は、公表していないから。
華やかなナックルシティの中心街を抜けて、閑静な住宅街に入る。どこかの家から美味しそうなカレーの匂いがふわりと漂ってきた。この沢山の家の中のどこかの、今日の夕飯はカレーなのだろう。ガラルでカレーはとても愛されている料理だ。ダンデがまだ小さい頃、キッチンからカレーの匂いがすると胸が躍ったこと。幼い時のあたたかな記憶を、なんだか不意に思い出した。
スーパーに到着してキバナに今日の夕飯の希望を聞かれる。いくつか候補を頭の中に浮かべるけれど、先程のカレーの匂いのおかげでダンデはすっかりカレーの気分になってしまっていた。キバナにそう伝えると、キバナも「オレも。さっきのカレーの匂い、美味しそうだったよな~」と笑っていた。慣れた手つきでキバナはカレーの材料をカゴに入れていく。きのみやトッピングの類はキバナの家にある程度ストックがあるそうなので、そのあたりの味付けは今日もキバナのセンスにお任せすることにした。カレーの材料の他に、キバナのポケモンたちが好きなのだというポケフードや後日キバナが使うのであろう食材たちもキバナはカゴに入れる。
「他に何か欲しいものあるか?」
キバナの問いに、ダンデは考える。あとは何かあっただろうか――そう考えながらきょろきょろと売り場を見渡していると、アイスクリームのコーナーが目に入った。アイス、なんてたまにスポンサーからの差し入れで貰って食べるくらいで、あまり自分からは買ったことが無かったな。そう思っているとその視線の先に気付いたキバナが「アイスいいね。オレさまも食べたい」と楽しそうに言って、お互いに一つずつカップのアイスを購入することになった。
スーパーを後にし、閑静な住宅街の中にあるキバナの自宅へと二人で帰宅する。帰宅してまずポケモンたちをダンデの家に負けず劣らず広いリビングに放して、スーパーの袋の中からアイスを取り出して溶けてしまわないようすぐに冷凍庫に。カレーの材料はこの後使うのでキッチンの調理台の上に出して、その他のものは冷蔵庫や棚の中にキバナが手際よく仕舞っていった。
今夜もキバナが中心となって二人でカレーを作る。ダンデが切った野菜を鍋の中に投入し、キバナが味の調整をしていく。カレーが出来る頃にご飯も丁度炊けて、ダンデが皿によそったご飯の横にキバナがルーを流し込んでいく。いつものようにまずはお互いのポケモンたちの分、次に自分たちの分をよそって食卓に運ぶ。いつもの少し渋みもあるピリ辛のカレー。二人が好きな味だ。
他愛の無い話をしながらカレーを平らげて、洗い物をした後、ポケモンたちにはボールの中で休んでもらうことにする。二人だけになって静かな部屋の中、デザートとして二人で先程スーパーで買ったアイスを食べる。舌に広がる冷たい感触と甘いバニラの味。美味しいな、と言って笑い合う。久しぶりの連休、キバナと一日二人で過ごして、美味しいものを食べて、二人でこうして穏やかな時間を楽しんで。苛烈で刺激的なバトルに明け暮れる日々も最高に幸せだけれど、こういう類の幸せもあるのだと、じわりと染みてくる心地だった。忙しない日々の中で、長いこと忘れてしまっていた感覚だった。
アイスのカップが空になる。軽く洗って捨てるため立ち上がろうとしたところ、キバナに名前を呼ばれる。
「ダンデ」
キバナの方を向くと、唇が重ねられた。普段のあたたかなキバナの唇とは少し違う、アイスのせいで少し冷たくて、甘いバニラの味のキス。ぬるりと冷たい舌で唇を舐められて、薄く開いた隙間にキバナの舌が入ってくる。舌と舌が絡み合ううちにお互いに冷たかった舌が段々と熱を帯びていった。舌同士がざらりと触れ合う。口の中に残っていた甘いバニラの味が、お互いの熱で溶けてゆく。ダンデの口の中をひとつひとつ味わうように触れるキバナの舌の動きに、たまらない気持ちになる。
たっぷりとお互いの口の中を味わって、呼吸が苦しくなってようやく唇を離す。唇はお互いの唾液で濡れててらてらと赤く濡れそぼっていた。
一日楽しくデートして、美味しいご飯も食べて、時間はもう夜、この後することといったら。ダンデとて、それを察していないほどもう鈍くはない。先日のキバナの言葉が脳内で響く。――“その時は、最後までしたい”。
ダンデも、今日がその時だと、この日程を決める時からよくよく分かっていた。
キバナの髪がダンデの髪を柔らかく撫でる。その指先は丁寧で、しかしいつもより少しだけぎこちない気がした。キバナも緊張しているのだろう。キバナの瞳が柔らかなまま、しかし確かな真剣みを帯びてダンデを見つめる。
「……シャワー浴びて、ベッド行こっか」
キバナが先にシャワーを浴びて、その次にダンデが浴びることになった。シャワーで一日の汗を洗い流しながら、鏡に映った自分の体をダンデは見つめる。半分はバトルのため半分は趣味となったトレーニングのおかげでしっかりと引き締まった肉体。お世辞にも可愛らしさや愛嬌があるとはとても言えないけれど、キバナはダンデがいいと言ってくれた。ダンデが普段使っているものよりも少し甘い匂いのするボディソープを泡立てて体に伸ばしていく。手が下半身に触れて、指先がまだ固く閉じたその穴を掠める。――ここに、キバナが。本当に入るんだろうか、という不安はある。あんな細い指だけでも痛かったのに、入ってしまったらどうなるんだろうか。しかしその不安以上に、期待もしている自分がいた。先日、キバナが丁寧に丁寧にダンデが気持ちよさを拾い上げられるように慣らしてくれた夜を思い出すと、しばらく触れられずまた固く閉ざされてしまったはずのそこが疼く思いがした。
あの時。ダンデがこの先に進みたいと伝えた時、キバナは身体を知ったなら戻れなくなると言った。
もう挿入以外のことは恐らく一通りやった。あとは最後の扉だけだ。
何かが変わるんだろうか。わからない。キバナとの何かが変わるのは――本音を言えば少しだけ、ほんの少しだけ臆する思いもあった。だけどそれ以上に、もっと触れたいと思った。心も体も深いところまでキバナの中に触れてみたいという欲求が日に日に膨らんでいった。
戻れなくなる、のはキバナも一緒だ。その言葉をお互いに踏まえた上で、先に進むことを選んだ。一緒に戻れなくなるのなら構わないと思ったのだ。
体につけたボディソープをシャワーのお湯で洗い流す。体からは仄かにキバナと同じ匂いがした。タオルで体についた水滴を軽く拭き取ってから、浴室を出る。すぐに脱ぐことになるというのに下着と簡単な部屋着を身につける。
(寝室へ行けば、キバナが待っている)
その意味を今一度噛みしめて、ダンデは早くなった鼓動を治めるために小さく深呼吸をしてから、脱衣所を後にした。
寝室へ行くと、キバナはベッドの上で座って本を読みながら待っていた。キバナは黒髪を解いていて、本には今日行った書店のブックカバーがかかっている。今日一緒に書店に行った時に買った本だろうか。キバナはダンデの姿に気付いて本を閉じて「おかえり」と微笑む。それにダンデは「ただいま」と返す。いつものように気安い風にかけあった声だけれど、その実、ほんの少しだけぎこちないこと、多分お互いだからこそ気が付いている。お互いに、緊張しているのだと思う。
キバナは本をベッドの近くの本棚に戻して、ダンデはベッドに上がってキバナの隣に座る。ベッドサイドの棚の上にはローションとゴムが既に準備されていて、この後の行為を思わせた。
「ダンデ」
名前を呼ばれる。視界に影がさして、キバナに覆い被さられたことがわかる。キバナの顔が近付いてきて、唇が触れる直前、「好きだ」とよくよく耳をそばだてて聞かないと聞き取れないくらいの声がダンデの鼓膜を、唇を揺らす。それに「……オレも」と答えた声が言い終わらないくらいのところで唇が触れた。それがはじまりの合図のようなものだった。
本当にいいのか、なんていう言葉は無い。もうお互いに、ここに至るまでの数ヶ月間で何度も何度も確かめ合っていたから。今更改めて確認するまでもなく、ダンデが今日ここに来たということは、そういうことなのだとお互いによくよく理解していた。
重ねられた唇は、角度を変えてまた口付けられる。キバナの舌がダンデの唇に触れて、もうすっかり察するようになったダンデが迎え入れるように唇を開くとキバナの舌はダンデの口内に侵入してきた。舌と舌が触れて、絡み合う。ざらついて熱いキバナの感触に、興奮がぞわりと全身を駆け巡る。ダンデの舌を、歯列を、内壁を、ダンデの口内の全てを愛し尽くすみたいに触れるキバナの舌を感じてダンデの心臓の鼓動は早くなる。熱くて強引なのに絶対的に優しいその触れ方はまさにキバナらしくて、胸がきゅうとなった。
途中でキバナがキスの合間に器用に部屋の電気をリモコンで消す。二人を照らすのはベッドサイドの間接照明の淡いオレンジの光だけになった。そしてキバナに軽い力で肩を押されて、白いシーツの上に押し倒される。――抵抗しようと思えばいとも簡単にできるような力だ。体躯はキバナの方が大きいが、腕力で言えばキバナよりもダンデの方が上だろう。しかしダンデはそうしない。バトルの時の苛烈に劇的にお互いを倒さんとする様相とは今夜ばかりは全く違う。キバナが甘やかに引き寄せた主導権を、ダンデはキバナに渡したままにした。
キバナの黒髪がダンデの顔の横にかかって、カーテンのようにキバナの髪が横の視界を遮って視界が全部キバナになる。なんて思っているところにまた唇が降ってきた。呼吸が苦しくなったら離れて、でも息を少し吐けたかと思えばまた口付けられる。それを繰り返して、まるでそれしか知らないみたいに口付け合って、口の端から堪えきれなかった唾液が零れ落ちるのも構わなかった。
キスが終わる頃には呼吸もお互いにすっかり荒くなっていた。呼吸を整えている間に見やったキバナの目はオレンジの光に照らされて今日も美しい色を宿していて、そしてその奥に確かな欲情の色を見て取ってドキリと心臓が鳴る。ダンデが見ていることに気付いたキバナが、目を細めて嬉しそうに笑う。その無防備な表情が何だかあどけなく思えて、可愛くて、好きだなと思った。
キバナの手がダンデの腰の辺りに回って、服の隙間から差しこまれた指先が素肌に触れる。腰に触れるキバナの温度が心地良い。お互いに着たばかりの部屋着を脱ぎ去って、身に纏うものはパンツだけになる。お互いに少しの間見つめ合った後、キバナの細身ながらしっかりと筋肉のついた体がまたダンデの上に覆い被さって今度は首筋をねっとりと舐め上げた。快感未満の、しかし確かに興奮を煽る感触にダンデは身じろぎをする。
キバナの指先がダンデの胸の飾りに触れて、くにくにと弄られる。そこはもう興奮でつんと尖っていて、キバナもそれに気付いたようで口角を上げる。と、キバナが指で触れているのとは反対側の乳首をねっとりと舐め上げると、その生温くてわざとらしく快楽を煽るような触れ方に、ダンデの体は小さく震えた。
「……っ!」
ほんの僅かだけれど、そこに確かにぴりりと流れた感覚は、気持ちよさだった。少し前は確かにくすぐったいばかりだったはずだというのに。それはキバナにも当然気付かれたようでキバナは驚いたような、しかし嬉しそうに頬を緩ませた。
「……キミ、の、せいだぜ」
恥ずかしさと動揺で、ダンデはそうキバナに言う。可愛らしい言葉なんて出てこないけれど、キバナはそれを聞いてさらに嬉しそうににっと笑う。
「それは光栄だね」
オレが、ダンデをつくりかえたってことだろ。そんなことを言ってみせるキバナは悪戯が成功した子どものような表情をする。ダンデが何かを返す前にキバナは再びダンデの胸の飾りを舐めて、口に含む。キバナのあたたかい口の中に閉じ込められたそこに、またキバナの舌が這い回って、くすぐったくて、気持ちが良くて――やっぱり、気持ちが良い。ぞくぞくと這い上がってくる快感にダンデの息は熱くなる。その間もキバナは反対側の乳首を指で弄ることを止めない。暫くそうした後、今度はもう片方の乳首をキバナが口に含んで同じように舌で這い回っていく。キバナの舌での愛撫によって熱くなっていくのは息だけじゃなくて、下もだった。確かに温度を上げていく自分の下半身を感じて、たまらない気持ちになる。もぞ、と足を僅かに動かすとキバナもそれに気付いたのか、ダンデの下半身に目をやった。そして既に固さを持ち始めているそこの輪郭をゆるりとなぞるように指先で触れる。焦らすようなその指の動きにダンデは息を詰めた。
「……さわってほしい?」
キバナの言葉に控えめに頷くと、キバナは「わかった」と言ってダンデのパンツの淵に手をかける。ダンデのパンツを取り去って、ダンデの体を覆うものは何もなくなった。キバナの手が直接ダンデの熱に触れて、軽く扱くとそこはまた固さを増す。もうダンデの弱いところをよく知っているキバナは確実にダンデの性感を高めていく。とろりと先走りが零れて、それをキバナの指が掬い上げて塗りつけるみたいに絡ませる。ぴちゃ、と水音が二人きりの静かな寝室に響く。その水音ひとつでダンデは快感と羞恥と期待感で心臓を高鳴らせた。
キバナの指がダンデの先端の弱いところを掠めて、小さく体が震える。裏筋を煽るみたいになぞられて、ぞわぞわと快感が駆け上がっていく。キバナの大きな手がダンデの熱を包んで、器用に緩急をつけながら扱いていった。どんどん熱を上げていく下半身、じわじわとせり上がってくる射精感。限界が近くなってきていることがわかって、名前を呼ぼうと口を開きかけたところでキバナの舌が再びダンデの乳首をべろりと舐め上げる。油断していたところに突然再び襲ってきた快感に驚いて、思わずダンデは高い声を上げてしまう。
「ひぁ、っ!」
自分の口からそんな声が出たことに驚いて咄嗟に口を覆うと、キバナは嬉しそうににまにまと笑みを浮かべる。顔が熱い。
「っ、ちが……っ」
「違わないだろ」
中身を考えないまま言い訳のような言葉が口をついて出るが、キバナにばっさりと遮られてしまう。
「嬉しい。……かわいい」
続いてそんな言葉を言ってくるものだから、ダンデは何も言えなくなってしまう。かわいい。かわいいのか、この声が。自分では分からないけれど、キバナにそう思ってもらえているとしたら……嬉しい、と思う。同じくらい恥ずかしくもあるけれど。キバナの唇が今度は頬に触れる。
「……そろそろ、イきそ?」
耳元で囁かれる。頷くとキバナは目を細めて、そして再びダンデの先端を弄り始める。溢れ出した先走りがキバナの指をとろりと濡らす。着実に階段を駆け上がるように迫ってくる絶頂の気配に、ダンデは息を詰めた。
「っ、でる……っ!」
そう言った瞬間、キバナの指が一層強くダンデの先端を弄ぶ。キバナの手の温度に包まれながら、ダンデは白濁を吐き出した。
ダンデが荒い息を吐きながら絶頂の余韻に浸っているところ、キバナはベッドサイドに手を伸ばしてローションに手を伸ばした。それを見て、あの夜の――初めて指を入れた時のことを思い出す。緊張と期待が入り交じって、反射的にダンデはごくりと唾を飲み込む。ダンデの先走りや精液で既に汚れたキバナの手の上にローションが出されて、ダンデが冷たく感じないようにそれを少し手のひらの温度に馴染ませた後、キバナはダンデの様子を伺うように見る。
「まずは、指、挿れるな」
「……ああ」
キバナの指がダンデの後ろに這わされて、まだ固く閉じているそこに触れる。なぞるように触れた後、キバナが小さく息を吐いて人差し指をそこに侵入させた。
瞬間、痛みと圧迫感と違和感がダンデを襲う。初めてではないにしても前回からかなり日が経ってしまったこともあってか、そこは初めての時と同じように急に入ってきた異物を拒むようにきゅうきゅうと締め付ける。一番最初よりは多少はマシ、かもしれないけれど、それでも痛くて苦しくてキツい。少しでも後ろの力を抜けないかとダンデは意識的に深く呼吸をする。キバナは辛抱強く、ゆっくり、ゆっくりとダンデが少しでも痛くないように指を押し進めていく。
指だけでこんなにキツくて、本当にキバナのものが入るのだろうかとまた僅かばかりの不安が過ぎる。自分はキバナを受け容れたいというのに、思い通りにならない身体がやっぱりどうにももどかしい。いつか、もっとスムーズに受け容れられるようになるんだろうか。身体は苦しくて、胸の中にぐるぐるとそんな感情が渦巻き始めて、気付かないうちにダンデの眉間には皺が寄ってしまう。
「ダンデ」
不意に、キバナがダンデの名を呼ぶ。はっとしてキバナの顔を見ると、キバナはダンデを安心させるように柔らかく笑う。
「だいじょうぶ」
その一言で、ぐらつきかけた感情が霧散していく。そうだ、正体の無い不安なんかじゃなくて、ダンデを安心させようと優しい感情で包んでくれる目の前のこの男を見つめればいい。ダンデは息を吐いて、キバナを受け容れることに集中する。ゆっくりと奥へと進んでいった指があの場所に触れて、ダンデの身体にびり、と快感が走った。
「……っ!」
息を詰めて身体を震わせたダンデの反応を見て、キバナは再びその場所に触れる。ぐに、と軽く押し潰すようにキバナの指が触れると、ダンデの口から熱い吐息と共に声が零れた。
「ふ、……っあ!」
痛い、苦しい、はまだあるけれど、気持ちいい、も一緒に流れ込んでくる。先程熱を吐き出したダンデの下半身も、少しずつ再び頭をもたげ始めた。ダンデの表情や声に色が混じり始めて、キバナはダンデの中に入れる指を増やす。二本目の指も後ろはきゅうと締め付けて、しかしキバナはまたじっくりと時間をかけて指をダンデの中に慣らしていく。二本目の指もダンデの奥に到達して、内壁をつつ、となぞられるとダンデの体はびくりと震えた。そしてあの場所――前立腺のしこりの部分を二本の指で挟むように触れられると、痺れるような快楽がダンデを襲う。
「ぁ、あっ……!」
優しく、でも確実に気持ちよさを与えてくれるキバナの指の動きにダンデは腰を震わせる。もう一本挿れるな、とキバナが声をかけて、三本目の指が挿入された。痛くて、苦しくて、きつくて、……でも確かに、気持ちがいい。
キバナをずっと見てきた。キバナがダンデを追い越さんとずっと見つめ続けてきた時間、同じようにダンデもキバナを見てきたのだ。
バトルの時のこちらを焼き切ってしまうかのような熱くて意志の強い獰猛な目線も、プライベートな時間の穏やかで優しい表情も、彼の愛するドラゴンポケモンを世話する時の柔らかな手つきも、ポケモンの研究書のページを真剣な表情で静かに繰る彼の美しい指先も。彼の全てを、なんて到底言わないが、世間一般の人たちよりはずっと近くで、沢山の彼を見てきたつもりだ。
そんなキバナが、今瞳にダンデだけを映して、その優しい手がダンデの中に入ってダンデに快楽を与えてくれる。そう思うと、胸がどうしようもなく熱く、たまらない気持ちになった。
じっくりと、ゆっくりと、絡まった糸を丁寧に解いていくみたいにキバナはダンデの体を拓いていく。ダンデの体が痛みよりも気持ちよさを拾えるようになるまで時間をかけて解きほぐしていって、ダンデの下半身がしっかりと熱を取り戻して、いよいよダンデの方が焦れてきた頃にようやくキバナはダンデに聞く。
「ダンデ。……大丈夫そう?」
「……っ、ああ」
ダンデの返事を聞いて、キバナはダンデの後ろからゆっくりと指を引き抜く。その感触にもダンデの体は小さく震えた。
「っ、は、ぁ……」
荒い息を吐き出して、呼吸を整える。先程までじっくりと時間をかけて解きほぐしてくれていたキバナの指を失った後ろの穴が寂しげにひくりと疼くのを感じて、羞恥で耳が熱くなった。
キバナはパンツを脱ぎ去って、ベッドサイドに準備していたコンドームをひとつ取って封を開ける。ようやく寛げられたキバナの下半身はもう痛いだろうほどに熱くそり立っていて、今日まだキバナの方はろくに触っていないのにそんなに興奮してくれていたことに嬉しく、気恥ずかしくなる。そして改めて、これがオレの中に、と思うとまた期待と緊張と不安とが入り交じってダンデの心臓の鼓動が早くなった。
キバナは手際よくコンドームを自身に付けて、ダンデに向き直る。目が合って、キバナの顔が近付いてきて唇が触れた。これから体を繋げる者同士とは思えないくらい幼くて柔らかい、触れるだけのキスだった。唇が離れて、至近距離で目が合う。キバナの目が、ダンデの心を見透かそうとするようにダンデを見据える。
「不安?」
キバナの言葉に、ダンデは咄嗟に何て返すべきか躊躇った。これが「嫌かどうか」という問いだったら間違いなく首を振ることが出来る。けれど、不安か、と聞かれれば、そうじゃないと言い切るのは嘘になる。不安じゃない、わけじゃない。だけど、それだけでもない。それを伝えたい。ダンデが何という言葉で返そうか迷っていると、キバナは眉を下げて苦笑した。
「……オレもちょっと、いや、結構不安、だけど」
その言葉が、ダンデの心の柔らかい部分に落ちてくるようだった。不安、だなんて。キバナが。ダンデはひとつ瞬きをして、キバナを見つめる。
いつだって果敢に、何度だって折れずに立ち向かってきたこの男が。眉目秀麗、ポケモンバトルだって言うまでもなくものすごく強い。何をやらせても驚くほど器用で、絶え間ない努力に裏打ちされた自信をいつも纏っていて、本当に優しい――とりわけダンデに対して、どこまでだって優しいこの男がダンデに今夜だけは漏らしてくれた弱音が愛しくてどうしようもなくて、胸が締め付けられるような心地だった。
「……できる限り、やさしくするから。やさしくできてなかったら言ってくれ」
そう言ってキバナは、ダンデにもう一度口付けを落とした。
キバナの熱く昂ぶった先端がダンデの後孔に宛がわれる。キバナの先端がそこをノックするように掠めて、それだけでダンデの心臓はドキリと音を立てた。
「……挿れるぞ」
キバナの言葉にダンデが頷く。それを確認してから、キバナはぐっと腰を押し進めた。
「――……ッ!」
呼吸をするのを忘れてしまいそうになった。指でじっくり解きほぐしたとはいえど、指とは比べものにならない熱量と熱さが自分の中に入ってくる感覚に息が詰まる。痛い、苦しい。尻が壊れるんじゃないかとさえ思う。だけど。……だけど。
キバナも眉根を寄せて苦しそうな表情をしていた。それはそうだろうと思う。こんな狭いところに挿入するのだ。狭くてきゅうきゅうと締め付けてくる穴の中に入っていくキバナだってきついだろう。
「ダンデ、……っ、ダンデ」
キバナがダンデの名前を呼ぶ。大丈夫か、とその瞳が言っている。本当にどこまでもこの男はオレの心配ばかりをする。それが嬉しくて、愛しくて。
「だいじょうぶ、だから……っ、きてくれ、キバナ」
お互いに荒くなった呼吸の中で、ゆっくりと、ゆっくりとキバナは腰を進める。圧迫感に呼吸が浅くなるたびキバナが「ダンデ、息吸って」と言ってくれて、ダンデは慌てて深く呼吸をする。じわりと汗が滲んで、前髪が額に張り付いた。その感覚が気持ちが悪いと思っていたら、キバナが色んな液体で汚れていない方の手でそっと避けてくれる。こんな状況でも、よく気が付く男だ、と感心すらする。
他の人が見たら滑稽かもしれないくらいに時間をかけて、痛みよりも苦しさよりもお互いが気持ちよくなれるようにということを一番に考えながら事を進める。自分の中で感じるキバナの熱の面積が増える度、ダンデは苦しくて、そして嬉しくなった。
キバナの先端がダンデの内壁を掠める度、びりびりとした気持ちよさが体を駆け抜ける。「っあ……!」と声が零れてきゅうと後ろを締め付けてしまうのでキバナは苦しそうに眉根を寄せた。申し訳ないという思いがこみ上げるけれど、キバナはダンデを労るように頬を撫でて目を細める。
どのくらいの時間が経っただろうか。二人三脚のようにお互いの呼吸を合わせながら押し進めていた腰が止まって、キバナが口を開く。
「ダンデ、……入った、ぞ」
見上げたキバナも顔に薄く汗をかいていた。結合部に目を向ければ、キバナのものが根本まで入っているようだった。視覚情報も相まってぶわりと実感が沸いてきて、顔が熱くなる。
「……、入る、ものなんだな」
頬の熱さを感じながら思わずぽつりと零した言葉に、キバナは「な」と言う。痛さとか、苦しさとか、気持ちよさとか、それ以上に不思議な感動のようなものが二人の間を包んだ。そうか、オレの中に、キバナが。
キバナがダンデを見つめる。その表情は心配そうだった。ダンデの体の負担をキバナは気にしているんだろう。そりゃあ、きつい、痛い、のは否定はできない。首筋を汗が伝う。キバナにはバレているだろう。だけど。
大丈夫だって伝えたくて、ダンデはキバナの頬に手を添える。キバナはひとつ瞬きをした後、とろけそうに垂れた目を細めて、ダンデにキスをする。唇が触れて、離れて、キバナが至近距離でダンデに笑いかける。
「……ダンデ。ありがと」
幼い頃に食べた甘い甘いキャンディのような声色だった。
キバナの手が、ダンデの髪に柔らかく触れる。その美しいターコイズブルーは、今はダンデただ一人を映している。柔らかく、優しく、熱い。沢山の感情が詰まったその瞳に、ダンデは見惚れた。
(……こんな、表情をするのか)
こんなふうに、大事な大事な宝物に触れるみたいに。慈しむみたいに。彼が向けてくれる愛情がそのひとつひとつから痛いくらいに伝わってくる気がして、顔が熱くなる。
キバナに愛されているという自覚はあった。よくよく分かっているつもりだった。……けれど、きっと思っていた以上に彼は、オレのことを。
よく、隠していたものだとさえ思う。しかしこの関係が始まった時のことをダンデは思い出す。ダンデは、自分の感情を分からないと言った。きっとキバナは、ダンデの感情が追いつくまで待っていてくれていたんだろう。重くないように、ダンデに不要な気を遣わせないように。愛情を少しずつ小出しにして。
――気が付いてしまうとたまらない気持ちになって、そしてそんな彼が愛しくて仕方がなくなってしまって、顔が熱くなるのが止められない。顔から火が出そうだ。思わずキャップで顔を隠したくなったが、今は手元にキャップなどあるはずもない。顔も至近距離で、お互いに裸で、身体も繋がっていて、何も隠せやしない。全部すぐにばれてしまう。中にいるキバナが、熱い。
(――キバナ、が、好きだ)
噛みしめるみたいに、ダンデは心の中で呟いた。その言葉はすとんと、ようやく居場所を見つけたみたいに、心の一番深いところに落ちてくる。キバナが好きだって、もう気付いていたはずだったのに。
キバナとこうして繋がっているということが、うれしくて、恥ずかしくて、しあわせで。
オレはこの男が、多分自分で思っていたよりもずっと、ものすごく好きなのだと。そう気が付いてしまった。
キバナに対する自分の感情の大きさに戸惑って、今更の二度目の自覚に恥ずかしくなって。感情をうまく制御できなくなって、ダンデは思わず赤くなった顔を腕で隠してしまう。
「ダンデ?」
どうした、と言うキバナの声色は優しくも少し戸惑っているようだった。それはそうだ。行為の最中に、恋人が特に前触れも無く急に顔を赤くして顔を隠したのだから。
「……なんだか、急に恥ずかしくなってしまって」
何と返せばいいのか、言葉がまとまらなくてとりあえずそう返すと、キバナはふは、とおかしそうに笑う。
「顔、見せて」
「いや、でも」
「見たい」
そう食い下がってくるキバナの視線を感じながら、ダンデは返す。
「今、酷い顔してるから、……見せたくない」
キバナが好きだ。ライバルとしても、親友としても、そして――恋人としても好きだ。だからこそ、こんな恥ずかしくて情けない表情を見せたくなかった。
優しいキバナはこの願いを聞き入れてくれないだろうか。そう思いながらキバナの反応を待つけれど、僅かな沈黙の後キバナから返ってきたのはダンデの望んだ返事ではなかった。
「やだ」
キバナはそう言って、面食らったダンデが一瞬油断した隙にダンデの腕を掴み、優しくも強い力で顔から外していく。周到な彼らしく、そのままダンデの腕を自分の手でシーツにしっかり縫い止めるというオマケ付きだ。視界にキバナが映る。その瞳が、痛いほどまっすぐにダンデを見つめていた。ダンデの、好きな目だ。ダンデの心臓が大きく音を立てる。
「全部見せて。どんな顔でも幻滅なんてしないから、オレは」
ばちん、と目が合ってしまった。恥ずかしくて逸らしたいのに、その意志の強い瞳から逸らすことができない。
「――もしこんな関係にならなくても、ライバルとして親友として側にはいられたかもしれない。断られるのが怖くて、そのままでいいんじゃないかとも思った。だけど」
キバナはそこで一度言葉を切る。彼に似合わない「怖かった」という言葉にドキリとする。バトルの時にどんな劣勢でも、一度だって瞳の炎を絶やさなかった彼が。キバナの口が再びゆっくりと開くのが、まるでスローモーションみたいに見えた。
「ダンデの全部が欲しかったから、全部を大事にする権利が欲しかったから、告白したんだ」
“――オレにダンデの一番近くにいる権利をくれ”。そう告白をしてきた、あの夜のキバナを思い出した。緊張を隠し切れない面持ちでそう言ったキバナと、差し出されたその手を離したくないと思ったオレと。こうやって時間を重ねて、そして肌を重ねて、ひとつひとつその意思の答え合わせをしていくかのようだった。
全部だなんて、そんな、あまりにも大それたこと。しかしそれがただのリップサービスでも、子どもが描くような根拠も無い壮大な夢でもないことは彼の目を、表情を、声色をみればわかる。
だって彼はずっと、誰よりもダンデの側にいた。ダンデの全部を大事にしたい、なんてこと、その意味を彼こそよく分かっているはずだろう。それでもなお。
「……っキミは、ベッドの上ではそんな恥ずかしいことを言うんだな」
思わずそんなことを言ってしまうと、キバナは苦笑する。
「茶化すな、オマエにしか言わねーよ」
「茶化さないと恥ずかしくてどうにかなりそうだ……」
顔が熱い。しかし腕はいまだキバナに封じられているので、この顔を隠すものは何もない。弱々しい声も、赤くなった顔も、熱い体も、全部キバナに伝わっている。ダンデの反応にキバナは嬉しそうに眉を下げて笑って、「ふは、いいぜ、どうにかなっても」なんてとんでもないことを言う。
「……ダンデ」
キバナがそう言って、ダンデの腕から手を離す。そしてダンデの額に唇を落とした。
「オレの手をとってくれてありがとう」
そんなことを、幸せそうな顔で言うものだから、キバナが愛しくてたまらなくなってしまう。
(――だって、もう、選択肢なんて)
オレはキバナがよかった。考えたことがなかったから、自分にはそんなもの縁が無いと思い込んでいたから気付かなかっただけで、多分キバナに告白される前からきっとそうだった。家族のほかには、キバナ以上に、ずっと近くに居て欲しいと思う人はいなかったんだ。いつからだろう。もう分からない。
オレはキバナを「選んだ」んじゃない。選択肢はいつのまにかそこにしかなかったようにさえ思える。キバナがずっと、他の色んな可能性を横にどかしてまで、何度だって諦めずにダンデを追いかけてきてくれたから。
キバナが、ダンデを選び続けてくれたからだ。
「……ダンデ。動いていい?」
キバナがダンデに囁く。「……ああ」とダンデが頷くとキバナは笑って、そして腰を動かし始めた。最初は焦れったくなるくらいにゆっくりと。内壁にキバナの熱く昂ぶった先端がちらりと触れるたび、「……っ!」と声にならない声が零れる。痛さや苦しさが完全になくなったわけじゃない。だけど、体は少しずつ快感を拾い集めてくれた。
段々と腰の動きが早くなっていって、お互いの呼吸が荒くなる。キバナの熱がダンデの弱いところに触れて、ダンデの体がびくりと震えた。
「っあ……!」
それを見逃さず、キバナは「ここ?」ともう一度突く。今度は明確な意思をもって抉られたそこに、「ぁあっ!」と声が零れる。自分の声ではないみたいな高い声に顔が熱くなるけれど、キバナは「かわいい」と耳元で低い声で囁くものだからまた体が震えた。
「~~っ、ふ、ぅ、あっ」
キバナの熱が中で優しく暴れ回って、吐息の合間に堪えきれなかった声が零れ落ちる。
「きもちい?」
「ん、きもちい……っ」
そう返すと、キバナが幸せそうにふわりと笑う。キバナの汗がぽつりと自分の胸元に落ちた。その表情を見ていたらたまらない気持ちになって、自分の身体の中にもう感情がおさまりきらなくて。ダンデは考えるよりも早く、愛しくてたまらない人の名前を呼んでいた。
「キバナ」
そう呼ぶと、これ以上ないくらいに優しくて甘い声でキバナは「んー?」とダンデの言葉の続きを待ってくれる。ダンデは、思うままに感情を言葉にして吐き出した。
「すき、好きだ、キバナ」
一度言葉にしてしまうと、止まらない。だいすきだ、ともう一度零すのと、中にいるキバナの熱がまた固さを増すのは同時だった。それを感じて、ダンデはまたキバナを後ろで締め付けてしまう。体はお互いに正直だ。全部伝わってしまうのが恥ずかしくて、でも、こうして繋がって触れ合って言葉を交わして、どんどんキバナの心の中に触れられている気がして嬉しかった。
「……オレも」
そう言うキバナの顔も真っ赤だ。それが愛しくて、なんだか笑ってしまった。
キバナがダンデの頭を撫でるように触れる。それが心地が良くて、ダンデの口角が上がる。目が合って、その唇に触れたいという思いが過ぎった次の瞬間にはキバナの唇が触れる。その柔らかであたたかな感触にダンデは身を委ねた。
感情のままに振る舞うということがダンデは苦手だった。十歳になった頃からガラルNo.1の無敗のチャンピオン、実家でもお兄ちゃんで父親代わりで、どこに居ても「しっかりしなければ」という思いがずっとあったように思う。感情を素直にぶつけて振る舞うということを、いつからか忘れていた。それを不自由だとも思わなかったし、頼られ憧れられることは嬉しくて幸せだった。
だけど。キバナはダンデの全部を大事にしたいと言った。全部、とキバナが言ったら、全部なのだろう。ダンデの中にある色んな、良い子なだけじゃない感情も、衝動のような恋情も恥ずかしい劣情も子どものような我が儘も明るい時だけじゃないぐちゃぐちゃの感情も、全部、全部だ。
そんなの、いいのか、と思う。ダンデとて人間だ。綺麗なだけじゃない、キバナが思っているよりもきっともっとひどい、色んなものがないまぜになった、ただの人間だ。
だけどきっとあの優しくて諦めが人一倍悪くて意志が鋼のように強い彼は、本気で全部受け止めるつもりなのだろう。そんなことは、この触れ合った肌の温度で、慈しむみたいに優しい指先で、甘すぎるくらいに甘いその声色で、痛いほどに伝わってきた。そう思うと、色んな感情がわっとダンデの中に湧き起こる。
――初めてこんな風に人に無防備に感情を曝け出して、甘えられた気がした。
「……っ、あ、キバナっ」
ダンデの性器ももうすっかり熱さを取り戻している。キバナも眉根を寄せて、呼吸が荒くて、限界が近いようだった。キバナの熱がダンデの奥をもう一度突いて、ダンデはびくびくと体を震わせた。先端からとろりと先走りが零れ落ちる。
「~~っ!」
きゅうと後ろを締め付けて、キバナが息を詰める。キバナが眉根を寄せて、ダンデに言う。
「ごめ、オレ、そろそろ限界……」
「オレも、っ」
そう言うと、キバナが目を細めてダンデの耳元に唇を寄せる。
「……一緒にイこ、ダンデ」
そう言って、指と指を絡ませてきゅっと握られる。その手は熱くて、汗ばんでいる。ダンデがその手を握り返すと、キバナが柔らかく笑った。そして腰の動きが一層激しくなって、ダンデはキバナが与えてくれる快感に体を震わせた。空いた手でキバナはダンデの下半身に手を伸ばして、ダンデの熱を持ったそこをきゅっと握りこむ。そしてダンデの弱いところを中心に攻めたてられると、もうだめだった。
「~~あ、あっ……!」
声とともにダンデがびゅるる、と勢いよく吐精して、後ろがきゅうと締まる。その衝撃でキバナも息を吐き出して、ダンデの中に熱い精液を注ぎ込んだ。
射精後の倦怠感と、普段使わない筋肉を酷使したことにより体が重くてしばらくうまく動けそうにない。休んでてくれというキバナの言葉に甘えてダンデはベッドに横たわりながら、精液がたっぷり注がれたコンドームの口をしっかりと縛ってベッドサイドのダストボックスに捨てるキバナの一挙一動をぼんやりと眺めていた。
「ダーンデ。大丈夫? 水とか持ってくる?」
振り返ったキバナがダンデの横に手を突いて体重をかけたことで、ダンデが寝転ぶベッドのスプリングが凹む。
「んー、大丈夫、だけど。……もうちょっと休みたい、かな」
「オッケー、了解」
そう言ってキバナはティッシュで色々な液体のついた手を軽く拭った後、ダンデの隣に寝転がる。ぐちゃぐちゃのベッドは決して寝心地は良くないだろうに、ダンデの側を離れずに一緒に寝転がってくれる彼のさりげない心遣いが嬉しいと思った。
「キバナ」
「ん?」
「……色々、嬉しかった、ありがとう」
そう言うと、キバナは色々と思い出したのか顔をぽんと赤く染める。そして、「……こちらこそ」と眉を下げて笑った。
恋ってこんな幸せなものなんだな、と、ダンデは思った。
SNSにアップするものもしないものも何かと写真を撮るキバナは「この時間を忘れたくない、残して大切にしたい」という気持ちで撮ると言っていた。それを聞いた時はあまりダンデにはピンとこなかったが、キバナの気持ちが改めて少し分かった気がした。今この瞬間を感じ取って自分の中に残せればいい、という気持ちに大きく変わりは無いが、今この瞬間のまま色あせずに残しておきたいという感情があることをキバナに恋をして知った。
――先日のターフタウン、良く晴れた青空の下で笑う幸せそうな新郎新婦に降り注ぐ美しいフラワーシャワー。あの美しい光景が脳裏によぎる。
愛には色々な形がある。家族、友人、仲間、ライバル、ポケモンたち、この地やそこに生きる人々。あるいは仕事、趣味、植物に無機物。森羅万象すべてに向けて、それぞれの形の愛がある。そんな中で、恋人やパートナーに向ける愛――つまり恋愛感情、「恋」としての愛がある。
恋をしなくたって生きていける。そう思っていたし、そういう生き方をダンデは否定するつもりは毛頭ない。それは今でも変わらない。自分自身だってそのつもりだった。他にも沢山の大切な愛情がある中で、特段「恋」が絶対必要な特別な愛だなんて思っていなかった、けれど。
キバナの瞳が、ダンデを見つめる。穏やかで凪いだ、優しい色をした瞳がダンデを見つめる。
――その上で。キバナに対してこの形の愛が、ダンデの中に生まれたことを。他にもたくさんの形の愛があるなかで、どんな愛をもった人生でも選び取れる中で。ほかでもないこの感情をほかでもないキバナに抱けたこと、そしてそのキバナからもこの感情を向けられたことが。
ダンデはたまらなく嬉しく、自分にとってこの上なく幸福な人生だと思ったのだ。
また、懐かしい夢を見た。チャンピオンになったばかりの頃の夢だ。
真新しいチャンピオンユニフォーム、まだ十歳の子どもが身につけるにはあまりに仰々しくて重い、スポンサーロゴが所狭しと貼り付けられた深紅のマント。しかしそれはダンデの誇りの証になった。
周りには沢山の大人たち。ガラル中の目線が降り注ぐ。毎日バトルに取材にスポンサーとの会食に大忙し、本屋に行けばダンデが表紙の雑誌が並びテレビではダンデが出演するCMが流れる。穏やかでゆっくりと時が流れるハロンタウンに居た頃とは全く違う環境、あの勝利の日からガラル中のスポットライトがダンデに向けられたような感覚だった。
ホップの憧れを背負って。みんなの期待を背負って。憧憬も嫉妬も色んな目線を受けながら。めまぐるしく変わっていく、ものすごいスピードで進んでいく日々。無敗のチャンプ。期待され頼られるのは純粋に嬉しかったし、それに応える力もあったと自負している。
沢山の人たちと戦った。また挑むと闘志を燃やす者もいれば、諦めて目の奥に影を纏わせて去って行く者もいた。戦って戦って、それらからまたどんどん吸収していくたび、ダンデはもっと強くなった。走る速度を上げていく度、気付いたらどんどん遠くへ、誰も追いつけないほど遠くへと辿り着いて、しかしダンデはその速度を緩めるという発想すらもなく、ただひたすらに高みへと。それが楽しかった。進んでも進んでも果てが見えないポケモンバトルの世界にワクワクしてたまらなかった。強くなれることが嬉しかった。前よりももっと強くなる度に客席の歓声がより熱を帯びていくのを肌で感じ、それも嬉しかった。
――みんなの声援の中を、ひとりきりの暗闇の中を。どんどん沢山のものを拾って背負って、走って、走って、もっともっともっと!
ダンデがひとりきりで駆けていく横に、誰かが躍り出た。ハッとして横を見ると、まだ幼い、ジムチャレンジャーのユニフォームを着たキバナがそのトレードマークのオレンジのヘアバンドの下から絶えることのない炎を燃やした目をダンデに向けて、ニッと笑う。
ぶわり、と世界の色が変わった。暗闇が晴れて、ひこうタイプのポケモンたちが自由に飛び回る青い空が眼前に広がる。その青さが目に焼き付くようだった。周りを見渡せば、沢山の人たちがいた。ホップや母さんや家族のみんな、ソニア、ジムリーダーたち、ローズさんやオリーヴさん、故郷のハロンタウンのみんな、チャンピオンのユウリ、マスタード師匠にミツバさん、リーグ委員会やバトルタワーのスタッフたち。ガラル中の人たちが、ダンデを見守ってくれていた。そして、誰よりも。
ダンデが、ぐん、とスピードを上げる。そうするとキバナはそれに負けじとスピードを上げて食らいついてきた。初々しいジムチャレンジャーのユニフォームを着た少年だったはずの彼は、いつの間にか大人になって見慣れた紺のパーカーにナックルジムのユニフォームの姿になっていた。
走って走って、もっともっと走って――でも、出会ってからは、ずっと側にいたんだ。キバナがずっと側で、ずっとダンデの一番近くに食らいついて走り続けてくれていた。
だから。
ダンデは手を伸ばす。キバナの方にぐっと手を伸ばすと、キバナはぱしりと強い力で掴んでくれた。それが嬉しくて、ダンデはにっと笑う。
今まで、キバナやネズをはじめ、色んな人に一人で背負いすぎるな、周りを頼れ、と言われていたことを思い出す。自分ではその言葉を無視したいわけではないけれど、ついつい自分がやろう、やらなきゃ、と抱え込んでしまう癖があることは自覚していた。その方が早く解決できるということもあったし、人に頼られることが嬉しかった。そしてなにより、ガラルのチャンピオンであった、今もガラルトップクラスの実力があるという自負がダンデをそうさせた。
だけど。
繋いだ手のひらにきゅっと力を込めると、同じだけの力でキバナも握り返してくれる。
――誰かを愛して、頼って、寄りかかることは弱くなることじゃない。二人でもっともっと強くなることなのだと知った。キバナに恋をして、ダンデは初めて、知ったことだった。