「忘れてないよ」という迅悠一×「いつになったら手を出す気だよ」という太刀川慶
おれ、太刀川さんのこと抱きたいって思ってるよ。
そう迅に言われたのは、いわゆる告白というやつをされた時だった。好きだと、付き合いたいと言われた時に、二つ返事でいいぞと答えたのがご不満――というか、信じてもらえなかったらしい。宣言するように、確認するようにそう言ってから「それでもいいの」と迅は念押しをした。期待を自分に禁じるように揺れるその瞳に、ばかなやつ、とおかしく思ったのをよく覚えている。
「いいって言ってるだろ? むしろそれ聞いて結構、楽しみになった」
そう言ったのは素直な気持ちだった。その生身の体に触れてみたかったのは自分だって同じだし、その手段はどっちだってよかったからである。迅が自分をどう抱きたいのか、どう抱こうとするのかを知りたいと思って、太刀川はわくわくとした気持ちすら湧いたのだ。
だというのに。
「じゃあ帰ろうか」
すっかり遅い時間になり、すでに自分たち以外誰もいなくなったランク戦ブースで迅が言う。いつもはこの時間でもランク戦好きのやつらがちらほら残っていたりすることもあるのだが、今日は自分たちが最後らしい。仮想空間の中でつい先ほどまで太刀川に向けていた貫くような熱い視線を器用に仕舞った迅は、涼しい顔で太刀川を振り返る。
今日もか、と、迅の言葉を聞いて太刀川は内心で小さく落胆する。ランク戦は本当に楽しかった。そこに不満はない。だけど問題はその後だ。
「おい、迅」
前を向いて歩きだそうとした迅を呼び止めると、再び迅が振り返る。視線が絡む。あのときに見た瞳を、――期待したいくせに、必死で我慢しているみたいなあの色を思い出しながら太刀川は言った。
「いつになったら手を出す気だよ」
太刀川の声が、しんと静かなランク戦ブースに響いて落ちる。迅の表情がぴたりと止まった。
あの日から数週間が経った。迅はどうやら今は比較的余裕のある時期らしく、本部で会うことも多かったしランク戦も何度かできている。偶然会う以外にも、予定を合わせて飯に行ったことも何度かあった。これは今まではあまり無かったことなので、付き合い始めてから明確に変わったことだろう。
交際は順調、と言えるだろう。この一点を除いては。
あの日あんなふうに宣言をしたくせに、迅は一向に手を出そうとしてこなかった。セックスどころかキスすらもない。付き合うという言葉の意味を自分が取り違えたのかとすらつい思ってしまうほどだった。
こんなふうにこの後互いに予定が無くて帰るだけ、という時でも迅はまっすぐに帰ろうとした。中学生のお付き合いか、と思う。こんな健全なお付き合いを自分たちがしているなんて笑えてしまう。
別に、体だけが目当てじゃない。一緒にいれば楽しいし満たされる。だけどあんなふうに欲を向けているのだと宣言されて、期待させるだけさせておいて放っておかれて、それで何も思わないほどこちらの欲だって枯れちゃいないのだ。
俺だって触れたい。もっと深くまでこの男を知りたい。抱きたいとおまえが思うなら俺だって抱かれてみたいと、その心の準備はとっくにできているというのに。
「まさか忘れたのか? あの日俺に言ったこと」
そうとしか思えないほどに何もないのだ。しかしそんなわけないだろう、という気持ちを込めながら言うと、迅はぐっと唇を引き結んだ。その目が小さく揺れて、あの日見たそれに重なる。
「っ、忘れてないよ」
「なら」
大股で一歩距離を詰めて、迅の手を取る。トリオン体の迅の手は、しかし生身の反応を再現したのか普段より少しだけ熱い気がした。
「ごめ、……ちょっとおれ、余裕なくて。手、一回出したら自分がどうなるか分かんなくて、だから」
そう消え入りそうな声で言った迅の耳がじわりと赤くなっていく。今までに見たことのない迅の表情に、胸がぐっと詰まるような心地になった。
そうだ。これを知りたかった。――もっと知りたい。もっと欲しい、と満たされたそばから気持ちが自分の内側で暴れだしそうになる。
「ばかだな」
太刀川はそう言って、俯きかけた迅の顔を覗き込む。好きな顔だ。どんな表情をしていてもいつだって好きだと思う。
「俺だって色々初めてだから余裕とかねーよ。別にいいだろ、余裕ない同士なんだから」
迅の手を握った手に、少し力を込めて言葉を続けた。
「あの日から俺はずっと期待してる」
そう言い切れば迅は目を見開いた後、しばらくしてからううと呻いた。
「……もう無理。優しくできる自信ないけど、おれ今日、――太刀川さんのこと抱きたいよ」
青い目の中に灯った我慢を、はちきれそうな期待の色が追い越すのを見た。そのことに深く満足をして、同じくらいに期待で渇望して、太刀川は「待ってた」と言って目を細めて笑った。