唇が荒れている迅悠一×「いやだ」という太刀川慶




 辿り着いた太刀川のアパートの自室、狭い玄関に入ってすぐにふと視線が絡んだ。そのまま吸い寄せられるように顔が近づいてきて――あ、と思って、咄嗟に手のひらでその唇を防ぐ。想定外だったのか目を瞬かせた太刀川は、すぐ少し不服そうな表情になった。
「なんだよ」
 他の人の邪魔も入らない二人きりの部屋の中、拒む理由も普段であればないし、この流れで拒むことなどこれまでなかったのだ。だけど今日はちょっと事情がある。
「ごめんおれ今唇荒れてて、キスしたら痛いかもしんない、から」
 唇が荒れていることには気がついていたが、リップクリームなんて普段持っていない。今日太刀川の家に来る可能性があったのなら、焼け石に水でも本部に寄る前にコンビニで買って適当に塗っときゃよかったと今更に思う。リップを塗る習慣も無いから、すっかり忘れてしまっていたのだ。
 残念だけどまあこんな時もあるか、とひとりごちて靴を脱いで部屋に上がろうとする。と、緩めた手を手首から掴まれて、その動きに気付いたときにはぐんと背中ごと壁に押し付けられていた。
「っな、」
「いやだ」
 その言葉が迅の耳に届くのとほとんど同時に、唇が押し付けられる。柔らかくて熱い太刀川の唇を認識して、かっと全身の体温が一気に上がった。
「た、……っんん」
 文句の声は絡められた舌に奪われる。口付けの角度が深くなり、あっという間に部屋の空気が濃密なものに変わった。煽るように舌をなぞられるともうダメで、もっと欲しいという思いに自分の唇のことなんて忘れてこちらからも深く貪ってしまう。
 呼吸が苦しくなるまでそうしていて、そしてようやく唇が離れた頃には互いの間を唾液の糸が伝うくらいに唇はじっとりと濡れていた。
 そんな迅を見て太刀川は、欲を灯した瞳ではっと笑う。
「こんなに濡れたらもう、関係ねーな?」
 そう言って口角を上げた、太刀川の唇も真っ赤に濡れて光って、その光景の淫猥さに迅は思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。単純なことに、下半身にも熱が集まるのを自覚する。そのうえ。
「俺は今日会った時からしたかったんだから、お預けなんて御免だ」
 そんなことを本気の顔で言われてしまったらもう、唇のかさつき程度で止まれるほど、こちらの理性は固くはできちゃいないのだった。





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