相手とちゅーをする夢をみてしまった迅悠一×温泉宿宿泊無料チケットを貰った太刀川慶




 未来視という能力の延長なのか、迅はたまに予知夢というものを見ることがある。
 勿論、予知夢という言葉が広く浸透していることからも分かる通り常人でもそういった夢を見ることはあるのだろう。だから未来視と実際に繋がっているものなのかは分からないが、時々妙にリアルな夢を見ては夢の中で、あるいは起きた時に「これは予知夢だな」と直感するのだ。困るのは、起きているときに視る未来視と違って本当にそれが自分の能力が為したものなのか判断するのは自分の感覚のみという曖昧なものであるがゆえに、普段の未来視と同等には扱いづらいというところだろう。そのあたりは、どうしても気になる夢を見たときにはそれが起きそうなものかどうかそれとなく探って補強する材料を集めたりすることもある。
 とはいえ今朝の夢は、あれは本当に予知夢だったのかどうかを自分でも信じきれなくて迅は起きてからずっと戸惑っていた。起きた時のあの感覚は、多分予知夢の方。そう長年この能力と付き合ってきた自分自身の直感は言っているのに、しかし見た夢があんまり色々と突拍子もないものだったから、なかなか信じられないのだ。少し自分の能力と直感への自信が無くなりそうですらある。
(あれは予知夢っていうより、むしろ願望……)
 そう、うっかり思ってしまって自滅だ。思わず変な表情をしてしまわなかったかと一瞬心配になったが、平日真昼間のボーダー本部の廊下をうろついている隊員は多くない。周囲を見回しても誰もおらず、迅は内心で安堵した。
 あの生々しい夢の景色を願望だと仮にでも位置づけてしまえば、今までなるべく意識しないようにと目を逸らしてきた自分の欲求をいよいよ突きつけられるような心地になった。自分の感情自体はもう言い訳もきかないと諦めて受け入れていたが、その先のことを考え出すと自制がきかなくなってしまいそうだったから考えないようにしていたのだ。
(だいたい、風景がよく分かんなかったんだよな。きれいな畳の……旅館? そんなとこにあの人と行くことなんてないだろうに)
 今朝の夢を信じ切れない理由のもう一つはそこだ。風景が見慣れなくて、状況がよく分からない。彼と自分が居たのはボーダー本部でもなければ玉狛でも、何度か訪れたことがある太刀川のひとり暮らしの部屋でもない。おそらくいいとこの旅館か何かに思えたが、そんなところに彼と行く理由もきっかけもさっぱり分からなかった。
 だから、今朝の夢がどういうことなのか分からず、迅は起きてからずっとモヤモヤと考え続ける羽目になってしまっている。
(……やっぱあれはただの夢なんだろうな、うん)
 迅はそう結論づけ、思考を終えようとした――のだが。
「お、迅! ちょうどいいところに」
 後ろから飛び出すようにかけられた声、しかもそれがたった今まで脳裏に思い浮かべていた男のものだったので、迅は心臓が跳ねて飛び出すかと思った。実際はトリオン体なので心臓はここには無いはずなのだが。
「た、……ちかわさん、おつかれ。ちょうどいいところにって何が?」
 動揺は果たして声には出ていなかっただろうか。そう心配にはなったものの、太刀川は気づいているのかいないのか、とにもかくにもいつも通りの調子でのんびりと機嫌良さそうな顔で迅に近づいてきた。その手に何やら白い封筒のようなものを持っていることに気がつき目線を向けると、迅が気付いたことに気付いたのだろう、太刀川は「ああ、これな」とひらりとその封筒を軽く振るようにして迅に見せる。
「ちょうどこれの件でおまえを探してたんだよ。じゃーん」
 そう棒読みめいた効果音と共に封筒から取り出されたのは――温かそうな温泉の写真と共に「○○旅館宿泊ペアチケット」の文字が書かれたチケットである。
「……え?」
 瞬間脳裏に蘇った今朝の夢と、今度は視界の端にもご丁寧に表れた未来視に再び動揺させられて咄嗟にうまく返事ができなかった。それを予想外の出来事に驚いたせいだと捉えたのだろう、日頃から迅の未来視を覆したがって仕方がない太刀川は「お、視えてなかったか?」とニヤニヤと得意気に笑っている。
 いや、むしろその逆だからこそこんなに動揺させられてるんだけど――と言ってやりたいが、説明が難しくて何も返すことができない。そんな迅を放って、太刀川は言葉を続ける。
「貰いものなんだけどな、一緒にどうだ? 温泉旅館。結構いいとこらしいんだけど、これがあればタダで泊まれるらしい」
「……、えっと、なんでおれ? こういうのって家族とかで行ったほうがいいんじゃないの?」
 迅が言えば、太刀川は「あー、それも一瞬は考えたんだが」と大学生になってから蓄え始めたあごひげを指先で弄りながら答える。
「ペアチケットだから全員は行けないし、じゃー両親にってのも考えたんだが、折角だから慶がお友達と行ってきなさいって言われちゃってな。なら、一緒に行くのはおまえがいいなと思って」
 だから探してたんだ、と太刀川は事も無げにからりと笑う。
 そんな彼にとっては何でもないであろう言葉がどうしようもなく嬉しくて、期待してしまう自分の単純さに呆れる。だというのに結局、また舞い上がってそんなことどうだってよくなってしまうのだった。
 視界の端の未来視は止まない。というか、むしろ今の流れでほとんど確定に近づいてしまったようだ。なんで、と思うのと同時に、これは期待してもいいのか、なんて今まで思わないように抑えつけてきた欲望が再び頭をもたげる。
(だって、それって、さあ)
「……で、どうだ? ちょうど忍田さんにさっき会ったから休みとれるか聞いてみたんだけど、そういうことならシフトは調整するって言ってくれたし」
 なあ、と小さく首を傾げて彼が誘いをかけてくる。そのさまが、自分とほとんど体躯の変わらない成人男性だというのにいやにあどけなく思えてしまった。
 ここで返事をすれば確定するだろう。そう分かっていたから、少しだけ返事を躊躇った。それにこっちだけが『この先』を分かっていて、それを言わずに了承するのもフェアじゃない気がする。
 そこに行ったら、おれと太刀川さんがキスをするだろうということ――今朝の夢の中でも、そして今未来視の中でも視た、ほぼ確定の未来。
 それも事故めいたものじゃなく、一方的なものでもなく、互いにがっつくみたいな本気のやつ。
 こんなきっかけで関係を変えることになるとは思ってもみなかった。だけど、知らんふりをして了承するのも狡いように思えて自分の矜持が許せなかったし、なによりチャンスが今目の前にあると知ってみすみす逃すつもりにもなれなかった。
 だって気付いた時には、おれはこの人のことがずっと好きで、触れてみたかったから。
「うん、……でも返事をする前にちょっと太刀川さんに言っておきたいことがあるんだけど」
 そう迅が言えば、太刀川は不思議そうな顔をする。流石にこの話題を本部の廊下のど真ん中でするのはどうなんだと思って、「ちょっと、こっち」と近くにある使われていない小会議室へ太刀川を視線で誘った。「何だ、内緒話か?」と楽しげな顔で言う太刀川を横目に、迅は気づかれないように小さく息を吐いて、ありふれた告白と予告への緊張をいなした。





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