小さな怪我をした迅悠一×旅先で相手の指の動きを思い出してる太刀川慶




「い、……っ~~!」
 鋭い痛みに、反射的に迅はばっとまな板から手を引いた。人差し指を見ればじわりと血がひと粒浮き上がってきたところで、うわあと一人で顔をしかめた後、絆創膏を取りにのろのろと迅はリビングの棚に向かう。
 キッチンから続く玉狛の広いリビングには今は誰もいないので、先程の声も今慌てて絆創膏を探すさまも誰も心配してはくれない。見られて心配をかけなくて良かったという気持ちと、一人であたふたしているさまが少し恥ずかしい気持ちの両方がある。
 みんながお腹を空かせて帰ってくるまではまだ少し時間があるので、このくらいのタイムロスは問題ない。見つけ出した絆創膏の包装を剥がしながら、迅は時間を改めてざっくりと逆算する。
 今日の夕食当番の迅以外ほとんど誰もいない玉狛というのは珍しい。小南たちは防衛任務に行っているし、烏丸はバイト、後輩たちは本部で訓練、ほかにもみんないろんな用事で出払っているのだ。しんと静かなリビングで、迅はくるりと指先に絆創膏を貼る。先程包丁で切ってしまったところにじわりと血が滲んでいるのが絆創膏越しにも分かったけれど、出血はたいしたことはなさそうだ。ほんの指先をちらりと切ってしまっただけなので、すぐに治るだろう。ほっと息を吐いてから、迅はなんとなく自分の手を眺めた。
 不意に思い出す、昨日のこと。先ほど自分の注意を散漫にさせた原因でもある。この手で、指先で、あのひとの柔いところに触れたのだということ。
「??って、また思い出すなよ、おれ……」
 思い出してしまえばまた平常ではいられないというのに。耳が熱くなる。だって鮮明に思い出せてしまう。触れた指先の感触も、温度も、あのひとの反応も、全部。
 昨夜触れて、今日。もう〝こちらの世界〟から旅立った彼を思う。


 ◇


「太刀川さん? どうしたんすか、怪我でもしたんですか」
 手をじっと眺めていたら、出水に不思議そうに言われて顔を上げる。考え事をしていた。いけないな、と思ってから、でもどうせ着くまで暇だしなあと太刀川は思い返す。
「いや? そもそもトリオン体なんだから怪我してたら黒い煙みたいなやつ出てるだろ」
「まあ、それもそうですね」
 言ってから、なんて先程の自分の行動を説明したものか考える。包み隠さず言ってしまうのは躊躇われた。だいたいそんなことを部下に言うのはよろしくない。これもセクハラに当たるのかもしれない。だから少し考えてから、太刀川は当たらずとも遠からずなことを言う。
「指の形って人によって違うよなーって」
 そう言えば、出水は案の定何を言い出したんだという顔をする。だから太刀川はなるべく噛み砕いた言い方になるように考えながら言葉を続けた。
「ほら細かったり、骨ばってたり、するだろ。同じ男でもさ」
「あーまあ、確かに」
 出水はまだ納得しきれていないような顔をしていたものの、少し自分の手を眺めたあと、その話題には飽きたのかそれ以上は触れないでくる。退屈そうに欠伸をしていた当真が食堂の新メニューの話をしだしたので、話題はそちらに移っていった。遠征艇が目的地に着くまでの間、どうでもいい話をして退屈を凌ぐのはいつものことだ。
 太刀川は怪しまれない程度にもう一度自分の手を見てから、休憩をとるふりをして目を閉じた。

 迅の手が太刀川の体に初めて触れたのは、昨日のことだ。
 最後まではしなかった。生憎準備がなかったからだ。だけど互いの体のいろんなところを触りあって、互いの形や温度を知った。「帰ってきたら、この続きをしよう」と言ってシャワーを浴びてふたりで眠った。
 一夜が経っても、あまりに鮮明に思い出せるのだ。迅が触れた場所。感触。温度。そのかたち。指の動きのひとつひとつすらも。ずっと知っていたつもりだったのに、知らなかった迅のこと。
 迅の指があんなふうにいやらしくて、自分を気持ちよくさせるということも。
(きもちよかったな)
 また触れてほしい。素直にそう思う。そして自分も触れたかった。
 思い出すだけじゃもう、早くも足りなくなりそうだ。そんなことを思う自分がおかしくて、俯瞰して内心で苦笑する。あいつと遊ぶのはいつだって楽しくて、嬉しくて、気持ちが良いから待ちきれない。それが色事も同じだというのは太刀川にとって新たな発見ではあったのだが。
 それはきっと――今はトリオン体になっているしそんなわけはないはずだというのに――迅が昨夜何度も触れた指先の温度が、いまだ太刀川の肌から余韻のように離れてくれないせいでもあるのだ。





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