手を握りたい迅悠一×小さな怪我をした太刀川慶




 最近は色々と忙しくて会うのが久しぶりになってしまったから、彼のことをこのところ未来視でも視ていなかったのだ。だから本部で顔を合わせた瞬間、「え」と本気で驚いた声を出してしまった。そんなこちらを見て、太刀川はその手首に巻かれたものとは裏腹にいつも通りのんびりとした様子で笑う。
「すげえ、おまえの本気で驚いた顔久々に見たわ」
「いや、驚くでしょ、久々に会ったら太刀川さんが手首に包帯巻いてるなんて。――怪我?」
 迅が指差しながら言うと、太刀川は「ああ」と自分の左手首をちらりと見やってから呑気な声で言う。その手首には白い包帯がぐるぐると巻かれていた。数週間前に顔を合わせた時にはまったくなかったものだ。
「午前中に大学で久々にバスケしたら足が滑って、そんで手ついたらグキッと」
「グキッと」
「包帯がちょっと大袈裟なんだよ。ま、軽い捻挫だってな。利き手じゃなくて助かったわ」
 太刀川はそう言った後に、「最悪、トリオン体になれば動けるし。……まああんまりずっと換装してると治りが遅くなるらしいから必要な任務の時以外生身でいろって言われてんだけど」と残念そうに付け足す。この残念そうな表情はつまり治るまではランク戦も極力控えろと、おそらく彼の師でもある本部長あたりに強く念押しされたからだろうと視ていなくても簡単に想像がついた。
「おまえ今帰り?」
「え、ああ。うん、そうだけど」
 予想外の出来事に少しぼうっとしてしまったらしい。聞かれてはっと我に返った迅がそう答えると、太刀川はにまりと楽しそうに笑う。
「俺も。本当はおまえと戦りたいが、実質ランク戦禁止令出されちまったからな。――一緒に帰ろうぜ?」


 まだ夜と言うには浅い時間と言えど、冬は日が暮れるのが早い。ボーダー関係者しか入ることのできない警戒区域の中は街灯が必要最小限に絞られているから余計に暗く思えた。
 ランク戦をした流れで一緒に帰るということはあっても、ランク戦をせずにこうやって一緒に帰っているというのも少し新鮮だ。太刀川と本部で会えば、大抵ランク戦をしようと言われるから。
 昔だったら、そういう流れの必然性がなければしなかったかもしれない。だけど今は、自分たちは『そういう』関係であることを思えばある意味で自然なことなのかもしれないと迅は思い直した。
 ふ、と、手の甲がわずかにぱしんと掠めるように触れる。近づきすぎたかもしれないと焦って手を離そうとする気持ちと、手を繋ぎたいという気持ちが迅の中で同時に沸き起こった。しかしそう思ってから右側を歩く太刀川の左手を見て、今はだめだと思い直す。触れたその手の甲のすぐ上には包帯が巻かれているのが目に入ったからだ。
 今日はそういうのなし、と自分に言い聞かせてから「ごめん、今の痛くなかった?」と迅は体をわずかに引いて太刀川に聞く。手を握りたい、なんて昔であれば恥ずかしくてとても考えられなかったことを自然に思ってしまう今の自分に、この人に甘やかされすぎたせいで甘えたになってしまったのかもしれないと自分が内心で恥ずかしくなってしまった。
「いや、全然大丈夫――」
 言いかけた太刀川が、何かを思いついたように「ああ」と小さく呟く。何だ、と思った迅の未来視が追いつく前に太刀川が「こっち」と迅を手招いた。そして太刀川の右側のスペースを指差す。意図が読み切れないまま迅は言われたとおり太刀川の右側に立つと、太刀川は右手で迅の手をぎゅっと握った。
「こっちなら繋げるだろ?」
 得意げな表情をした太刀川にそう言われて、迅はじわりと耳が熱くなってしまった。手を繋ぎたがっているのがバレていた事も、こうして太刀川に一枚上手をいかれてしまったことも、恥ずかしさと少しの悔しさと、そして触れた温度の嬉しさで咄嗟に何も言えなくなってしまう。
「……太刀川さんってほんとかっこいいよね」
 かろうじてそれだけ口にすれば、太刀川は「だろ?」と言ってなっはっはと笑う。そうした後、一瞬沈黙が降りて、そして太刀川が再び口を開いた。
「視逃して悪いとか思うなよ」
 はっと迅が顔を上げる。目が合った太刀川は、いつもの静かなまなざしで迅を見つめていた。
「なんならおまえのびっくりした顔が見られて今日は面白かったし」
 そう言って小さく思い出し笑いをする太刀川に、迅はなんだか体の力が抜けてしまう。そうだ、この人はそういう人だった。
(……なんかもう、色々バレてるよなあ)
 太刀川の手首の怪我を見たとき、まず最初に「おれが視ていたら防げたんじゃないか」とわずかな後悔が生まれてしまったこと。そんなこと太刀川は別に責めやしないと分かっていても、これはもう二十年近くこの能力とともに生きてきたゆえの染み付いた癖みたいなものだった。
 そんな責任は自分にないことにも、自分が全てを視ることもそれらをコントロールすることもできないと、身に沁みてよく分かっていたとしても。そういうことも全部、この人はなんでもないみたいに笑い飛ばして、いつだって迅自身すら気付いていない欲しい言葉をくれてしまう。
 返事の代わりに、繋がれた手にわずかに力を込める。警戒区域の終わりはまだしばらく先、誰かがここを通る未来も視えない。太刀川は迅が握り返した手をそのまま、気ままな速度で歩きながら小さく揺らす。
「久々におまえとランク戦したかったし、俺も触りたかったけど――今日はこのくらいまでだな」
 太刀川の言葉に、迅は「うん」と頷く。
「治ったころにはまた、ちゃんと会いに行くからさ。……そしたらどっちも、しよーよ」
 迅がそう言うと太刀川はふっと楽しそうに口角を緩めて、「ならさっさと治さないとなあ」とのんびりとした口調で笑うのだった。





→next






close
横書き 縦書き