相手とのえっちな夢をみてしまった迅悠一×餅つき器を買ってきた太刀川慶




 目が覚めて、一瞬自分が今どこにいるのか分からなくなった。カーテンの隙間から漏れる光ですっかり明るくなった部屋の中、見慣れた自室の天井を見つめて数秒。ああ今のは夢だったかと理解が追い付いて、迅はゆっくりと頭の中の熱が引いていく心地になる。
 同時にこみ上げてくるのは羞恥だ。ああ、もう、という気持ちと共に自分の身体の一部が熱を持っていることにも気づいてしまって、余計に居たたまれない気持ちになってしまう。まったく、こんな寒い真冬だっていうのに。
 はー、と一人ベッドの上で大きく息を吐いたところで、枕の横に置いていたスマホが短く鳴った。まったく油断していたせいで迅は思わずびくりと大袈裟に体を跳ねさせてしまう。こんな朝から――いや、もう昼に近いかもしれないが――一体誰なのだろう。そう思いながらスマホを手に取って通知を確認して、驚きで迅は思わず息を詰めた。
 そこに表示されていた名前が、つい今さっきまで、迅の頭の中を占めていた男の名前だったせいである。


「――えーと、何? それ」
「何って、餅つき機だよ」
 部屋に入るなりした質問に、そう「知らないのか?」と言わんばかりに返されて迅は「はあ」となんともいえない返事をしてしまった。そんな迅に対して太刀川は気分を害した様子もなく、むしろ「今ちょうど蒸しあがったところなんだよ。これから餅つきだぞ、いいタイミングだったな」と鼻歌でも歌い出しそうな調子で言う。そんな機嫌良さそうな太刀川とは裏腹に、迅は肩透かしを食らったような気分になってしまった。
 とにもかくにも、迅は太刀川に倣って太刀川の住む部屋の真ん中に陣取っているこたつの前に座って、そしてその上に鎮座している四角い機械――餅つき機を眺める。小さく音を立てている機械はくるくると中にあるもち米を器用につき始めて、迅の斜め前に座る太刀川が「おお」と感嘆の声を上げた。
「腹空かして来いってそーいうことね……」
 迅が言うと、太刀川は「そういうことだ」と頷く。
 起き抜けの太刀川からの連絡は、今日空いてるか、という誘いのメッセージだった。ちょうど今日は珍しく予定らしい予定も無かったの、で空いてるけど、と返信をすると、じゃあうち来いよ、腹空かせてな、と返ってきたので何のことかと思ったのだ。このところ太刀川に会えていなかったから未来視のチャネルもちょうど途切れており、事前に視ることもできなかった。
 だから、部屋に上がっての第一声が「何それ」だったのも仕方ないだろうと迅は思うのだ。そもそも餅つき機なんて、人生で初めて生で見た。関西人とたこ焼き器、くらいのポピュラーさでは大抵の人は接することのないものだろう。
「前々から気にはなってたんだけどな~、今朝散歩してたらフリマやっててさ。そこでほぼ新品のやつが出てたから、そのまま買ってきちまった。これでいつでもつきたての美味い餅が食える」
「へえ」
 楽しげに言う太刀川に対して、迅の相槌はあからさまな空返事になってしまった。良くないな、と内心で反省をするものの、それにしたって今朝見た夢が悪い。タイミングも何もかもが。せめて今日会わなければもっと冷静でいられたかもしれないのに――と思うのに、太刀川に誘われてつい断る発想もなく来てしまった自分も自分だ。
 だって目の前にはぐるぐると回るもち米、ふんわりと美味しそうなお米のにおいが漂う部屋、あまりにも健全なのである。そんな中で、太刀川の後ろに鎮座するベッドに視線を向けては今朝の夢や先月の出来事を思い出してしまう自分の感情ばかりがこの場に不釣り合いで、恥ずかしくてならない。
 どうせそんな下心をこの場で抱いて、意識しているのなんて自分ばかりなのだと突きつけられるようで居たたまれないのだ。
 あーもう忘れよう、やめやめ、と思ってこたつに肩まで潜らせたところで、視線に気づいて顔を上げる。と、太刀川がじっとこちらを覗き込むように見つめていた。
「……なに?」
「いや、何か機嫌悪い?」
 そう言われて、ぎくりと心臓が鳴る。この太刀川という男は、ぼーっとしているように見えて実はしっかり人のことを見ているのだ。いや、こちらもあまり繕う余裕がなかったために分かりやすかったかもしれないというところは否めないのだが。
「べつに、悪くないよ」
「その言い方は機嫌悪いやつの言い方だろ。機嫌悪いっつーかなんか、拗ねてるのか?」
 追及されて、別になんでもない、と返そうとする。しかしなんだかそれでは堂々巡りになってしまいそうで、そして何だかこちらばかり勝手に振り回されているのもばからしいような気持ちになってしまって、迅はもう正直に白状することにした。
「拗ねてるつもりもないよ。……ただ、今朝見た夢がさ」
「夢?」
「うん。太刀川さんとやらしーことする夢」
 そうあえてあっさりと言い切ってしまえば、太刀川がわずかに目を見開いた。この人の驚いた顔なんて珍しいな、と少しだけしてやったりという気持ちになりながら、迅は「だからさ」と何でもないような口調になるよう意識しながら続けた。ちらり、と太刀川の背後にあるベッドに視線を向ける。
 あそこで先月の終わり頃、この人と。
「だからちょっと、下心があっただけ」
 あの夜が、初めてだった。あれ以来していない。互いになかなか時間を取れず、そうこうしているうちに二回目の誘い方も分からなくなってしまったのだ。
 だいたい本部なんかで会っても恋人らしい甘い空気なんて自分たちにはまるでないから――周囲には基本的に新たに増えた太刀川との関係については言っていないので、あえてそうしないようにしている部分はあるが――余計に言い出せないまま時間だけが経ってしまった。そのせいで今朝、あんな夢を見てしまったのかもしれない。
 そんな折に太刀川から連絡があったものだから、条件反射で期待してしまうのは男の性(さが)というものだろう。
 言い終わってから、じわりと頬が熱くなる。それを隠そうと、こたつの天板に顔を伏せた。ひやりとした板の温度が熱を持った頬をちょうどよく冷やしてくれて気持ちがいい。ちょうどいいから頬の熱がおさまるまでそのままでいようと思っていると、不意に頭に太刀川の大きな手が触れた。そうしてわしゃわしゃとまるで犬か何かにするみたいに髪をかき混ぜられて、ちょっと、と流石に抗議の声を上げようとしたところでくつくつと太刀川が喉を鳴らして笑う声が餅つき機の稼働音の隙間から聞こえた。
「確かになあ。あれ以来してないから――そりゃあるよな、下心も」
 笑い交じりでそう言われてしまえば、頬の熱はまだ引きそうにない。「そりゃあるよ」と破れかぶれで言えば「そうだよな」と太刀川が笑う。そして一呼吸置いてから、「俺ももっかい、したかったしな。おまえと」という言葉が続いた。思いがけない言葉に迅がはっと顔を上げてしまえば、楽しげに目を細める太刀川の顔があった。
 それは先ほどまでと同じようで、だけど確かに違う。その目の奥に、じわりと熱いものが覗いていたからだ。
「……今日は時間あるんだろ? だったら、なあ」
 そう言って太刀川がちらりとベッドに目をやる。あの夜、この人のいろんな表情をみた場所。迅もつられてそちらに目をやってから、視界の端に現れた未来視を直視しないように気を付けながら頷く。
 太刀川はそれを見て満足したように笑ってから、迅を誘ったのと同じ声色で「あ、でもこの餅を食べてからな。つきたての餅は絶対すぐ食べるのが美味いから」なんて付け足すからうっかり逸りそうになる気持ちを抑えるのに苦労して、迅は折角のできたての餅をちゃんと味わうことができず後で太刀川に呆れて笑われてしまったのだった。




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