落雷に春風




 こちらの目の前に降り立った迅の姿を認めた瞬間、最初に感じたのは違和感だった。思考をするよりも早く受け取ったその違和感の正体はすぐに分かった。常であればほんの一瞬の隙も逃すまいと既に握っているはずの獲物弧月を手にしていない。どういうつもりなのだろう。迅のことだから何か作戦なのか――と太刀川は警戒して孤月を握る手に力を込める。その様子を見て取ったらしい迅は、顔にはいつもののらりくらりとした表情を貼り付けてはいるもののその口元は楽しさを隠し切れないようににやにやと緩んでいた。
 今日は本部で会うなり、太刀川が口を開くよりも先に迅が「太刀川さん、ランク戦しようよ」と誘ってきた。迅から誘われることもそれほど珍しいことでもなかったからいつものように了承したのだが、その時の迅がやけにうずうずとした様子だったことを思い出す。そう、まるで仕掛けた悪戯を隠しているときの子どものように。
 迅の足が地面を蹴る。と、迅の両の手に孤月よりも短い双剣が現れた。見たことのない武器だ。なんだそれは、と聞きたい気持ちはあったが、そんなことに気を取られている暇はない。
(――速い)
 太刀川の首を正確に狙って振られた迅の右手の短剣を、寸でのところで孤月で受け止める。キン、と刃同士がぶつかり合う高い音が耳をつんざいた。数瞬そのまま拮抗した後、このまま力押しをしても勝機はないと判断したのだろう、迅はあっさりと刃を退いて太刀川と少し距離を取った。速いが、しかしその分刃を合わせた時の重みは孤月よりも軽い。強度よりも速度を重視した武器なのだろうとすぐに推測できた。しかし、『それ』の正体は一体何なのだろう。
「流石だね、太刀川さん。最初から首を刎ねる気でいったんだけどなぁ」
 体勢を立て直してまた太刀川を正面から見据えた迅は少し悔しそうに、しかしやっぱり楽しさを抑えきれない様子で笑う。
「何なんだ、それ? 見たことないトリガーだが、孤月をカスタマイズしたとかじゃないよな?」
 A級以上の隊員であれば自らのトリガーをカスタマイズすることもあるが、これはそれとは少し違うようだった。孤月とは形も、そして性能も全く違うように見える。初めて見るその武器が気になって仕方がなく、矢継ぎ早に迅に尋ねると迅は待ってましたと言わんばかりに目を細める。
「これねー、軽さと強度のバランスとか微調整に思ったより時間かかったんだけど、ようやくできたんだ。これが初お披露目だよ。……太刀川さん、めきめき強くなっていくからさ。おれも戦い方一から考えなきゃなって思って」
 そう言って迅は手にしたその双剣を握りしめて、宣戦布告といった様子で右手のそれを太刀川にまっすぐ向ける。
「スコーピオン。太刀川さんに勝つ為につくったんだ」
 太刀川が瞠目するのと同時に、ひゅ、と風を切る音がした。迅がまた動き出したのだ。太刀川の懐に入って、最短ルートでトリオン供給機関を目がけて突き立てられた刃を孤月でいなす。孤月を使っていたこれまでの迅の動きよりも数段速いその動きについていくのに集中した。刃が交わる音が何度も重なって太刀川の鼓膜を揺らす。その度、全神経が目の前の迅とスコーピオンに向けて研ぎ澄まされていくようだった。
 ――太刀川さんに勝つ為につくったんだ。
 そう言った迅の言葉が頭の中で反響する。自分でも驚くほどに心の芯から嬉しく、わくわくと弾けるような気持ちがわき上がって体を駆け巡る。爪先まで痺れるような感覚だった。
 確かに、ここ最近の迅とのランク戦は太刀川の勝率の方が高いことは明らかだった。太刀川の入隊当初は勿論迅に負けることの方が多かったが、すぐに互角となり、そして最近ではずっと太刀川が勝ち越している。勝敗がどうであろうが迅との戦いが太刀川にとって何よりも楽しいことは疑いようもなく、結果としては太刀川が勝っていると言っても他の誰よりも太刀川に刃を届かせ、太刀川に食らいついてきたのが迅である。ほんの一瞬でも気を抜いたら首を落とされてしまいそうなその気迫と太刀筋の鋭さ。その瞳が同じ熱さを湛えていることに気が付く度、太刀川は嬉しかった。だからこそこの男を全力で倒してやろう、と何度でも思うのだ。
それで太刀川にとっては十分に楽しい日々だったのだが。
(まさか、新しいトリガーを作るなんてことを企んでいたとはな)
 迅がそれほど本気で、太刀川を倒す為に、新しいトリガーまでつくって挑んできた。その事実に口角が上がるのを止められなかった。――なんという優越、なんという高揚だろうか。
 孤月と何度もぶつかり合って僅かに刃のこぼれたスコーピオンが、一瞬の隙を狙って太刀川の右肩を割く。腕を落とすとまではいかない浅さだったが、斬られた傷口からトリオンがじわりと漏出していくのが分かった。
(まぁ、浸るのは後だ。まずは全力で相手をするのが最高の礼だろ)
 一太刀浴びせたところで体勢を立て直そうと退きかけた迅に、ほとんど反射のように孤月を振るう。既に迅は太刀川から十分に距離をとっていたが、太刀川のトリガーには旋空もセットしてあるためこの距離は太刀川の射程の範囲内だった。旋空孤月の鋭い斬撃が迅の左足を捉え、膝の下からを斬り落とした。
「――っ、と」
 仮想の住宅街、旋空弧月によって亀裂の入ったアスファルトの上に迅が座り悪そうに着地する。迅の落とされた左足からもトリオンが漏出していくのが見える。
 迅のことだ、これで抑えられたなんて思いやしないが、迅の強みでありスコーピオンとやらの能力を最大限に発揮できる機動力は多少落ちただろう。これまでの孤月での迅の動きには目は慣れていたが、このスコーピオンを手にした迅の速さはなかなか厄介そうだ――この“厄介”は太刀川にとっては“楽しい”と同義なのだが――そう思った瞬間だった。
「こいつは、しょうがないな」
 ぽつり、と迅が零すように呟いた。抑揚の少ないその言葉が太刀川の耳に届いた直後、迅が動き出す。アスファルトを蹴り出して太刀川の方へ向かってくるその速度は先程までと遜色がなくて驚かされた。切り落としたはずの足から、光る刃が生えているのを視認したのはその次の瞬間だった。
 迅の青い瞳が深い色を宿して、太刀川だけを真っ直ぐに見据える。ばちん、と弾けるように目が合った瞬間、指先がびりりと痺れて、トリオン体には流れていないはずの血が沸き立つような錯覚を覚えた。
ぞくりと背筋を駆けるのは、恐怖などではなく確かな興奮と高揚だ。新しいおもちゃを買って貰った子どものようにわくわくと楽しそうに、同時に絶対に仕留めてやるという強い殺意を湛えて――迅の瞳の奥で揺れる炎を見て取った時、それが瞼の裏に焼き付いて太刀川の心を強く揺さぶった。体中に電気が走ったような、そんな錯覚を覚える。
 ――まるで、青い落雷のようだった。
 先程太刀川が肩を割かれた右側から迅は足の刃を蹴り出して、太刀川の両足を斬り落とす。その一瞬の隙を突いて、右手に持ったスコーピオンで正確に太刀川の胸の横――トリオン供給機関を割いた。
 ぴし、とトリオン体に亀裂が入る音がする。
『トリオン供給機関破損、緊急脱出ベイルアウト
 機械音のアナウンスが耳に届いた瞬間の、迅の嬉しそうな表情ときたら。太刀川は負けたというのに、つい笑いそうになってしまうほどだった。

 個人ブースの黒いベッドに沈んですぐ、通話が目の前の端末に届く。
『どうだった? 太刀川さん。スコーピオンは』
 その声色はこちらを試すように軽薄そうな響きをもって、しかし弾んでいるのも隠し切れていなくて、声だけでも迅が高揚しているのがよくわかる。迅がこれほど楽しそうなのを隠し切れないのも珍しくて、太刀川は何だかそんな迅をかわいい奴だなと思ってしまった。普段は年齢の差なんてほとんど気にしやしないが、そういえばひとつ年下なんだよな、なんてことをこんなところで思い出す。
「めちゃくちゃ面白かった」
 素直にそう言うと、画面の向こうで迅がくつくつと楽しそうに笑うのが分かった。
「ていうか何だあれ、最後のやつ! 足から生やしてたのもそのスコーピオンってやつか?」
『ご名答。体からも生やせるのはもうちょっと伏せておくつもりだったんだけどな~』
 迅が少し悔しそうにそう言うので、太刀川は口角を上げる。
「予知でも視えてなかったか? じゃあおまえの予知には勝ったってことだな」
『太刀川さんの、おれの予知に勝とうとするその執着はなんなのさ』
 そう苦笑する迅は、しかし嫌そうな色はなくむしろ楽しそうな様子だった。
「ランク戦でも予知でもおまえに勝ちたいからな」
『残念だけど、そう簡単に勝ちは渡すつもりはないよ』
 挑戦的な口調で迅は言う。――それはそうだろう。今の一戦で、迅の本気度は伝わってきた。『勝ちは渡すつもりはない』の言葉はハッタリなどではなく本気なのだと強く思わされる。先程の一戦を思い出して、高揚して心が疼いてたまらない。
『うまくいったところといかなかったところはあるけど……実践の最初だからまぁこんなもんかな。おれもスコーピオンの扱いにもうちょっと慣れないとな』
「じゃあ早く次をやろう」
 そう言うと、迅は『こういうときはせっかちだなぁ、太刀川さんは』とおかしそうに笑う。しかし迅だって、からかうような言葉とは裏腹にわくわくして仕方ないという声色をしているのだからお互い様だと思う。

 次のフィールドに転送されて、再び迅と相対する。今度はその手には最初からスコーピオンが握られていた。真正面から瞳がぶつかり合う。初動は今度も迅が速かった。こちらの懐に入ってくる迅のぎらついた青い瞳に、先程の光景が重なる。
 ――落雷のような青が、太刀川を灼く。
 ああ、この目がたまらなく好きだな――これまでにも思っていたことだったが、今日はより一層、強烈に思い知らされるような気持ちだった。逸らせない、逸らしたくもないその色を見据えたまま太刀川は孤月で迅の刃を受ける。刃と刃がぶつかり合う衝撃が指先を痺れさせた。
 この普段は風のようにのらりくらりとしている男が、太刀川への勝利にこれほどまでに執着し太刀川を切り裂くためにこの刃をつくりだしたのだと思うと、この男もこの刃も愛しくて仕方がない思いだった。ランク戦も、迅と戦うこともずっと楽しかったけれど、これまでとは比べものにならないくらいの感情が自分の中で膨れ上がるのを感じていた。
 迅の刃を弾き返して、少し距離を取ってまた正面から相対する。
「……太刀川さん、イイ顔してんね」
 その言葉、そっくりそのままお前に返してやる、と太刀川は思った。

 ――最終的に、そんな調子で時間を忘れるくらいに戦い続けた結果、いい加減に帰れと鬼怒田さんにブースからつまみ出されてしまったのはまた別の話だ。



 ◇



 まだ着慣れない真新しい制服を身につけ、スクールバッグを肩にかけて、玄関を出る前にリビングにちらりと顔を出す。リビングでは林藤が朝食の時に使った食器を洗っていて、雷神丸はソファの隣に座って休んでいた。陽太朗はまだ眠っているのか、リビングに姿はなかった。レイジは既に登校していったらしい。目的地は同じだというのに、毎朝遅刻スレスレで登校する迅とは大きな違いだ。
「お、迅。いってらっしゃい」
 流れる水道の水の音と、かちゃかちゃと食器が小さくぶつかりあう音。迅が顔を出したことに気付いた林藤が、食器を洗う手は止めずに迅に声をかける。
「いってきます。あとさ、今日も本部に夜までいると思うから夕飯はいらないってレイジさんに伝えておいてくれない?」
 今日の夕食当番はレイジなので、林藤にそう言伝を頼む。林藤は「了解ー」と頷いた後、少し考えるような素振りで迅のことを見つめる。
「? どうかした?」
 そう聞くと、林藤は水道の蛇口を一旦止める。水の流れる音が止んで、迅の方をまっすぐに見て訳知り顔でにやりと笑う。
「いやー、最近楽しそうだなぁって思ってさ」
「……そう?」
 ドキリとする。林藤に見抜かれるくらい自分は浮かれているのだろうか――そう動揺する気持ちを表に出さないように、迅はいつもの飄々とした表情を慌てて取り繕う。林藤にはそんな手管は通用しないと分かっていても、これは迅なりの意地のようなものだった。そう言われる要因に思い当たることはあるけれど、それを指摘されて素直に認めるのはなんだかどうにも照れくさいのだ。
しかしそんな思いすらきっと林藤には見抜かれているのだろう。林藤はそっけない迅の返答を気にする風もなく笑みを深くする。
「いいことだと思うぜ」
 そう言った林藤の表情も声色も優しくてあたたかくて、嬉しさと照れくささが一緒にこみ上げる。
迅の本当の親はとうに居なくなってしまったけれど、時々林藤は親のような表情を迅に向けてすることがある。それはとても照れくさいけれど、同時にものすごくありがたいことでもあるということはちゃんと分かっているつもりだ。
「……ありがと。いってきます」
 林藤の笑顔を背に受けながら、迅はスニーカーを履いて玄関の扉を開ける。背中で再び水道の水が流れ始めて、食器がかちゃかちゃと音を立てるのを聞いていた。

 玄関の扉を閉めたところで、ぶわりと強い風が吹いて迅の長い前髪を乱す。冬を過ぎて優しくあたたかく降り注ぐようになった太陽の光と、まだまだ冷たい風の温度がなんだかちぐはぐだった。
風がどこかから散り始めた桜の花びらを連れてきて、迅の目の前を追い越していく。迅の先を走って行く桜の花びらをなんとなく目線で追いかけながら、迅は学校へ向かって歩き出した。肩に背負ったスクールバッグは、今日提出しなければいけない宿題と筆記用具程度しか入っていないので軽い。教科書やノートの類はほとんど学校に置きっぱなしにしているからだ。
 先程の花びらはすぐに遠くへ行ってしまい見失ってしまったので、桜の桃色と新緑の緑が混じり始めた街路樹を眺めながら歩く。時折すれ違う人々がいれば、不穏な未来が視えないかもしっかりと確認しながら、だ。そうして学校への道のりを歩きながら、迅は先程の林藤の言葉を反芻していた。
 ――いやー、最近楽しそうだなぁって思ってさ。
(……おれ、そんなに分かりやすかったかなあ?)
 そう心の中で呟いて苦笑する。ばれているのは林藤のような、旧知の仲であるごく近しい人間だけ……であると思いたい。
 確かに、最近の自分は毎日がとても楽しく、自分らしくもなくわくわくと浮かれていると思う。その要因は、よく分かっている。――太刀川とのランク戦だ。
 太刀川は今のボーダー本部ができてすぐに入隊してきたうちの一人だった。一気に大所帯になったボーダーの中核となってより忙しい日々を送るようになった忍田が、直々に師となって指導すると言った時には驚いたが、同時にそれほどの期待株なのだろうなと思ったものだった。トリガーの使い方をある程度覚えた太刀川と最初に手合わせをした時には、その動物的な勘と動きの良さ、忍田仕込みであろう太刀筋の鋭さに想像以上だと驚かされたことを覚えている。それでも最初の頃は経験値の差で迅が危なげなく勝っていた、のだが――あっという間にトリガーの扱いと戦い方を覚えた太刀川に互角にまで追いつかれ、そして太刀川に段々と勝ち越せなくなってきていたのも自覚していた。
 自分が、こんなにも悔しく――そして楽しいと心の底から思えるなんて、自分で自分に驚いた。
 未来視のサイドエフェクトを持っている自分は、勿論完璧なんてことはないが、相手の動きをある程度の精度で読んで躱したりその動きを利用して罠にかけたりカウンターに持ち込んだりといった戦い方を得意としてきた。しかし、本能や勘で動く部分も大きい太刀川には未来視をかいくぐって予想外の攻撃をされることも間々あった。そして未来視で視えたとしても、太刀川の孤月の鋭い動きにこちらの体が対応しきれないこともある。
 殊、トリガーを使っての戦いに関しては驚くほどに吸収の早い太刀川との戦いはこれまで戦ってきた全てと重なるようで、どれとも異なるようだった。いつだって百パーセントの全力を注ぎ込まなければ、ほんの一瞬の綻びを容赦なく突かれてしまう。太刀川と戦っていると、トリオン体には流れていないはずの血が沸騰するように沸き立つ瞬間があるように錯覚する。
 孤月での戦い方は太刀川の戦闘スタイルに驚くほどぴったりと合っていた。元来の才能と、忍田が直々に仕込んだ剣筋は伊達ではない。孤月では自分はおそらくもう太刀川には勝ち越せない、そう判断して自分の戦闘スタイルに合わせたトリガーを作ろうと思った。
それほどまでの衝動に突き動かされた自分に驚いたけれど、しかしそう思いついた瞬間から実際に太刀川の前で披露するまでわくわくしてたまらなかった。何度太刀川に言ってしまいたくなったか。そうして出来た新しいトリガー――スコーピオンを太刀川とのランク戦で披露した時の、太刀川の表情を今でも鮮明に思い出せる。思い出して、迅は知らずのうちに口角を上げていた。
 同じ熱を宿している、と思った。それが嬉しくてたまらなかった。
 スコーピオンを作ってからの太刀川との戦いはより一層楽しくなった。スコーピオンは孤月よりも強度は劣るものの軽く、スピード重視の自分の戦い方によく馴染んでいる。スコーピオン開発以降の太刀川とのランク戦の勝率は五分五分といったところで、太刀川もより迅との戦いに燃えるようになっているのが迅にも伝わってきた。毎日学校が終わると本部に入り浸っては、時間を忘れてランク戦に明け暮れる日々を送っている。
 楽しくて、楽しくて仕方がなかった。太刀川と刃を合わせることが。太刀川と何度戦っても飽きることなんて全くなかった。むしろ、戦うほどにもっと、もっとと求めてしまう。どれほど水を注いでも満たされることのない飢えだ。自分がこんなにも何かに執着できる質だなんてまったく知らなかったから、自分のこの衝動には何度でも新鮮に驚かされてしまう。
(明日が来ることが、こんなに楽しみに思えるなんてね)
 渡っている途中の横断歩道の青信号が点滅をして、迅は小走りで横断歩道を駆け抜けた。向こうの角を曲がれば、遠くに高校の校舎が見えてくる。
 ――悲しみに、絶望に、飲み込まれそうなときもあったけれど。
 迅はちらりと空を見上げる。今日は抜けるような快晴、絵の具で塗ったように綺麗な青に雲はひとつも浮かんでいない。
(天気いいなぁ)
 そう心の中で呟く。先程よりも幾分弱い風が迅の頬を撫でて、地面に落ちていた桜の花びらをくるくると揺らした。
 悲しくて、苦しくて、この先を生きていく理由も希望も全部手のひらから零れ落ちてしまったように思う瞬間もあった。母を失って、師を失って、仲間も沢山失って、未来が視えても変えきれない自分の力のなさに握りしめた拳に血が滲んだ夜もあった。この先自分がどう生きていくのか、この暗闇の中から抜け出せる日がくるのかなんて想像できなかった。それでも、未来は続いていくといつだって己のサイドエフェクトは教えてきた。

(今日はどんな手を試してやろう。スコーピオンの性能を太刀川さんも把握し始めてる。ただのスピード勝負では読まれる、もっと意表を突いて隙を生ませて――)
 そう思うだけで心の中がわくわくと疼いた。
 こちらが沢山考えて鍛えて強くなっても、太刀川も同じだけ強くなっていく。終わりのないその繰り返しが楽しかった。もっともっと、太刀川と刃を合わせたい。刃を合わせる度に太刀川のことを誰よりも深く知ることができるようで、それでいてもっと分からなくなっていくようでもあった。そんな感覚が心地が良かった。
 ああ、早く放課後が来ないだろうか。まだ学校に着いてすらいないというのに、迅はそう自分らしくもなく逸る気持ちを自覚していた。



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